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鵺の森  作者: イヲ
第十二章・朱夏
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六、

 銀子を彼女の部屋に寝かせたあと、占部は鴉を転移し続けている場所へ走った。

 八龍、瑞音、そして久しぶりに見る夜霜は少々傷があるものの、ほとんど疲れは見せていないようだ。


「おお、占部殿。そちらも上々の結果だったようですな!!」

「うるせぇよ八龍。鴉のほうはどうだ」

「もうまったく来なくなりました。つい先刻まで襲ってきたのですが」

「ならもう戻ったほうがいい」

「畏まりました。那由多さまのお体も限界が近いのでしょうから……。八龍。もどりましょう」

「あいわかった。分かったな、夜霜」

「……分かりました」


 夜霜はどこか不服そうだったが、しぶしぶ了承したようだ。

 ふっ、と、ヒトガタに戻ったあと、結界も解けたように感じる。

 これでおそらくは、那由多も楽になるだろう。


「ったく、世話の焼ける……」


 一応、警戒しておくため、占部はそこから動かない。

 だが、占部の脳裏には銀子の真っ青になった顔がこびりついて離れない。

 深い深い月虹姫の心のうちに踏み込んだのだ。

 五体満足で帰ってこれないかもしれない――。


 ぐっと、てのひらを握りしめる。


「守るなどと……軽々しく言うものでは……ないな」


 このままもどらないかもしれない。

 戻ることも出来ず、ずっと心の深淵の中で眠り続けねばならないのかもしれない。

 銀子のそばにいなかったのは、「逃げ」なのかもしれない。


 ただ――今や言い訳にしか過ぎないが――守りたいという思いに嘘はない。

 死んではならない少女だ。

 鵺の森にとって――いや、占部にとっても、だ。 


 しんと静まりかえった竹林。

 鴉は、もう襲うことはないだろう。

 月虹姫が死んだのだ。

 徐々に崩れ去って行くだろう。月虹姫の圧倒的な力のもとで統一されていた鴉なのだから。


「……銀子」

「そんなに恋しいのなら、行くべきじゃないかな。占部どの」


 聞き覚えのある声。

 振りかえると、暁暗がいた。枯れ茶色の髪の毛をゆらして、ふっと笑う。


「占部どのが嬢ちゃんのことをどう思っているかなんて、那由多どのも月江どのも知ってる。だけど問題は、占部どの自身の気持ちだよ」

「お前……」

「ちょっとバレちゃってね」


 暁暗の体は血まみれだった。

 よく見ると、左腕があるべき場所にない。

 そこから血が出ていないところを見ると、ずいぶん前に「切り取られた」らしい。


「左腕一本ですんでよかったよ。影――というか、人形たちは俺の命をとるみたいだったけど。波達羅盈がどうも俺をまだ使いたいようでね」

「そうか……。悪かったな」

「いいや。俺が好きでやったことだし、占部どのが謝る必要はないよ」


 苦笑いをする暁暗は、本当になにも気にしていないようだった。

 腕一本持って行かれたというのに。

 彼は「それよりも」と占部を見つめた。


「嬢ちゃんのことだよ。占部どの。嬢ちゃんをどうするつもりだい」

「……」

「まあ、俺が口を出すことでもないか」


 暁暗はそう言って、再び苦笑いをした。

 いつもの飄々とした雰囲気がない。相当、力をそがれてしまったのだろう。


「あと、俺の左腕のこと、嬢ちゃんには言わないでいておくれよ。これ以上何かを背負うことはないからね」

「分かった」


 占部がうなずくと、彼はようやく満足そうに笑った。


「嬢ちゃんのところに行ったほうがいいんじゃないかい。きっと、彷徨っている。その手をちゃんと握ってあげてくれ」

「……そうだな」


 互いに、背をむける。

 竹林に風がかすかに吹いた。





 銀子は、海のなかにいた。

 ギンイロがいる海のなかだ。

 ここにくるのは久しぶりだ、とおもう。


「……」


 まるで揺籃のなかにいるようで、うまく頭が働かない。

 ふっと、目の前にきらきらと輝く鱗をもった、人魚が泳いでいった。


「……ギンイロ……?」


 ぼうっとする頭でも、彼女の姿を認めることができた。


「そうよ。銀子。ここは、あなたの心のなか。見て。さんごが、あんなにたくさん育ったわ」

「……」


 下をみると、うつくしいさんごがたくさん、たくさん育っていた。

 空を見つめるようなさんご。

 それは、空への羨望ではなくて、そこにいることを誇るようだった。


「あなたとあなたの母親は私に記憶を授けた。そして、私はそれを守ってきたの。でも、もう大丈夫ね。あなたを道具としてではなく、必要としてくれる人がいる。心から愛してくれる人がいる。それだけで、ひとはとても強くなれる。あなたとあなたの母親の記憶を、すべて返すときがきた」

「記憶……」

「そう。さあ、手を伸ばして。あなたの望んだ場所に連れて行ってあげる」


(私が望んだ場所……。あたたかい手。燃えるような……赤い髪……。)


「ギンイロ……ありがとう」


 銀子がうつろの中で礼を言うと、彼女はやさしげな表情でほほえんだ。


 それからは――分からなかった。

 まるでギンイロのようにこの水の中を泳いだような気がするし、深い場所から一気に明るい場所へ急上昇したような気もするし、逆に深く深く沈み込んだ気もする。


 ただ、手があたたかかった。

 

 銀子が「目ざめて」見たのは、彼女にとって一日ほどしかたっていないのに、泣けるほど懐かしい、自室の天井。

 そして一番会いたかった、あの人の顔があった。

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