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鵺の森  作者: イヲ
第十二章・朱夏
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五、

「待って。あなたはどうしたいの? 本当はなにをしたいの? 答えて(・・・)


 まるでかかしのように立っている、月虹姫のなれの果ては、銀子にとっていまだ「敵」のままだ。

 くるしそうに呼吸をしている月虹姫のくちびるは、かすかにふるえていた。


「わ、わたしは……愛されたかった。あの人に。ただそれだけだった……。だから、あの人以外は邪魔だった。すべて……。でも、もういい。愛されないって分かっているから」


 彼女の――ゆがんだ恋は、最初から那由多に届いていなかった。

 那由多を責めることはできない。

 それ以外を排除しようとした、月虹姫がすべて悪いのだ。

 最初から、知っていたのだろう。那由多は、こうなることを。

 悪にしかならないことを、那由多は知っていた。

 だから、とどかないと彼女は知っていたのだろう。


「あなたは間違っている。それを知ってなお、どうして全てを排除しようとしたの? 愛されないと知っているのに」

「だからよ。ふたりだけになれば、私だけを見てくれる。そう思った。でもあの人はそうなっても、わたしを見てくれない。分かったから、止められなかった」


 すっと、彼女の目から涙がこぼれた。

 これが、月虹姫のほんとうの心。涙を流すほど、痛々しい心。


「そうだったんだね。私はあなたの心を受け入れる。許されないことをしたあなただけど、受け入れるよ。那由多には言わない。それがあなたへの私からの罰だよ」


 彼女は、すこしだけ笑った気がした。

 力ない笑みだった。


「あなたの心は、孤独。でも、私が受け入れるから、孤独じゃないよ。許されないけど、許さないけど、孤独じゃない」

「あぁ……」


 かすかな、感嘆の声。

 ゆっくりと顔をあげた月虹姫の表情は、銀子は決して忘れないだろう。

 まるで恋さえしらないような、幼い、まだ幼い少女の、笑みを。


「お前は、やっぱり好きになれない。お人好しすぎる。私の敵。……でも、敵になってくれてよかったかもしれない……」

「そうね」

「ねえ、くるしいの。そろそろ、終わりにしてくれない? これが私が与える、お前への最後の……嫌がらせ(・・・・)

「……」


 銀子は、そっと龍の体をなでた。

 それが合図だったように、龍は月虹姫を――哀れな少女を――恋を知らなかった少女を――その牙でもって、噛み砕いた――。




 しずかな終わりだった。

 噛み砕かれた少女は湖に落ち、やがて――乳白色の湖に溶けて消えた。


「……」


 静かだ。

 主のいなくなった心の湖は。

 両方のてのひらと、貫かれた片腕が今になって再び痛んでくる。 

 

 どうやって帰るのかなんて、考えなかった。

 悪い癖だな、と失笑する。

 それでも、ひとりじゃない。炎の龍は、いまだ存在していた。

 心配そうに目を細めている。


「平気。だいじょうぶだよ」


 顔をよせてくる彼を撫でる。

 血がついてしまっても、龍は構わないようだった。


「月虹姫を……ちゃんと根の国に送れたかな……」


 実際は銀子の手で送ったわけではないけれど、それを望んだのは銀子であり、彼はそれを受け入れたに過ぎない。

 殺せ、と思わなければ、彼も殺さなかっただろう。

 

 意識が混濁する。

 こちらがわで血が流れすぎたようだ。

 ずる、と湖の底で足を滑らせてしまった。



 そのまま銀子は――湖の奥に沈んでいった。





「銀子!!」


 目を閉じて立っていたはずの彼女が、急に倒れた。

 月虹姫の体はすでに地にあり、今度こそ動きそうにない。それに、月虹姫の体から黒い煙が吐き出されている。


 銀子の細い体を抱き起こし、肩をゆさぶっても彼女は目を開かない。

 くちびるに耳をあてがうが、呼吸はかすかに――ほんとうにかすかにしていた。


「……月虹姫は……根の国に送られたようだね」

「那由多!」


 青ざめた顔をした那由多は、今にも倒れそうだった。おそらく、まだ鴉たちは式神と戦っているのだろう。


「おまえが倒れても、私は二人も運べないからな」


 精一杯の嫌味を言ってやると、彼は、ふっとほほえんだ。


「こんなところで倒れないよ。月虹姫の体は藤が見張っていよう。銀子を、こちらへ」


 那由多がヒトガタの札に息をふきかけると、藤が現れた。

 

「那由多どの。私などを召喚するまでもありませぬ。あなた様のお体が……」

「大丈夫だよ、藤。これくらい、どうということもない。それよりも、銀子を安全な場所に」


 あきらかに無理をしているが、たしかに、いつ鴉が襲ってくるか分からない場所にいるわけにもいかない。

 たとえ、月虹姫がもう死んでいるとしても。

 月虹姫が操っている鴉たちは、いまだ忠実に「それ」を実行しているだろう。


「おそらく彼女は、月虹姫の心の奥底にもぐったのだろう。誰も手が触れられない場所だ。いや――月虹姫自身も触れることが出来なかった場所……っ」


 ふいに、那由多の声が途切れる。

 咳き込んだのだ。口に手をあてがっていたが、そこから血が流れた。

 吐血をするまで術式を使いこんでいたのか――。


「那由多……おまえ、そこまで」

「……銀子が見ていなくてよかった……」

「おまえな……。また寝込んじまうほうが銀子も心配するだろ」

「はは、そうだね」


 憎まれ口を言っているが、占部の胸のうちは嫌な予感がする。

 那由多の体がどうなっているのか、占部はなんとなくだが――分かった気がした。

 もう、限界なのだ。

 月江からの情報だけを頼りに結界を張り、その結界から戻ることが出来ないようにし、そこから転移させ、さらに式神をも扱っている。

 そんな芸当が出きるのは、おそらく鵺の森で那由多だけだろう。

 その那由多も、吐血するほどだ。

 ふつうの術使いならば、命が5つあってようやくできる術式という代物だろう。

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