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鵺の森  作者: イヲ
第十二章・朱夏
101/129

四、

 頭が霞がかったっように、ぼんやりとする。

 銀子は必死にそれをつなぎ止めるように歯を噛みしめた。


「ここにいるには、相当な力が必要だよ。よくここにいられるね。いつまでいる気? 戻ってこれなくなるよ」

「言ったでしょう。私はあなたを根の国に送らなくちゃいけない。そして、私は占部のところに帰る」


 冷たい湖にぬれた白いほお。

 銀子は月虹姫を睨み、ぐっと掌を握りしめる。

 

「わたしはもう、生きることを諦めているもの。もう、どうでもいいって言ったでしょ。殺したいならすればいい……っ!?」


 幼い少女の体が、跳ね上がる。


「月虹姫……!?」


 かすかな、肉を裂く音。

 そして、銀子は見た。月虹姫の変化を。

 骨がねじれる音。

 肉と肉がこすれる音。


 彼女の背中から羽根のように肉を裂いた骨。千早から木の幹のような茶色の細長いものが突き出る。


「なに……これ(・・)……」


 首はすでに力なく垂れ、言うなれば、巨大な木で出来ためちゃくちゃな人形だ。

 だが足は少女のままだ。がくん、と不気味な音をたてて、確実に銀子のほうに向かってきている。


「月虹姫!?」

「あ……っ、が……っ」


 くるしそうな声。

 だが、おそろしい体になってしまった彼女が向かうのは、銀子のもとだ。

 直後、風がおきた。

 するどい風だ。


「あ……っ!!」


 銀子の腕を、千早の袖から伸びた尖った枝のようなものが貫く。

 ぱっと血が散って、おもわず背中を丸めた。


「どうしたの、一体……」


 血がどくどくと流れてゆく。けれど、ここは現実ではない。現実の銀子の体がどうなっているのか、想像もつかないがここで死ねば、現実でも死ぬだろう。

 無意識に、首にかかった首飾りをにぎりしめる。

 ほのかにあたたかいその首飾りは、銀子の背を押してくれるような気がした。


「そう……。くるしいのね、月虹姫……」


 子どもが作った、下手な人形のような姿。

 その姿は、月虹姫の心のかたちのように見えて仕方がなかった。


「終わらせよう。もう……くるしいのは、いやだもんね……」


 自分に何ができるか、考える。

 

「ぅ……」


 銀子の、噛みしめた歯から悲鳴がもれる。目にも追えない速度で、その尖った骨や枝のようなものに貫かれる。

 それでも、考えることをやめない。

 そもそも、この姿の彼女に言霊が届くのかどうかも分からない。

 乳白色の湖に、赤色がにじむ。


 無意識に、懐をさぐる。

 そこに札があったはずだ。

 血まみれになった手で、札を手に取る。

 息をふきかけようとした直前――銀子の体が吹き飛んだ(・・・・・)


 両方の掌を貫かれ、湖のある洞窟のようなごつごつした壁に背を思い切りたたき込まれる。


「う……あっ」


 いつのまにこんな壁があったのだろう、と頭のかたすみでおもうが、すぐに痛みで引き替えされた。

 これでは、札がつかえない――。

 声を出そうにも、うめき声しか出ない。

 なんて――

 なんて無様だろう。

 このまま、占部の顔を見られないまま、根の国に送られてしまうのだろうか?


 うつろに開いた銀子の瞳から、一滴の涙が、白いほおをなでた。

 

 月虹姫だったものが、こちらを見上げている。

 銀子の瞳がふいに生気を取り戻す。

 それと同時に、両の掌に激痛が走った。

 顔をゆがませて、痛みをやり過ごそうとする。


(声……声を……出さなければ。)


 幸いにも月虹姫だったものの両手から、銀子の掌を貫通させている。

 それを離させれば、振り切ることができるだろう。


「は、離して……」


 かすかな声。

 それでもそれの体が震える。

 足りない。

 もっと、心の底から言わなければ。


「離せ!」


 びくっ、とその体が引きつり、湖のなかに一瞬だけ沈んだ。銀子にとってはそれだけで十分だった。

 固い枝のようなものは掌から引き抜かれた。

 血まみれになりながら、銀子は札を手にした。


 その札に、息を吹きかける。舞った札は驚くべきことに、龍の姿に変化していた。


「……占部?」


 以前のように、一角獣ではない。

 背丈5メートルはあるであろう巨大な炎の龍。

 まるで、占部から借り受けたような感覚が、銀子の心のうちを満たした。


「そう、占部……。あなたなのね」


 湖のなかにひたっても、炎の龍はびくともしない。

 まるで――そのものが占部のようだった。

 乳白色の湖が、赤く、赤く染まってゆく。

 

 それは、すこし怯えたようだった。

 気高い龍の咆哮。

 びりびりと、この空間に響く。けれど、銀子は怖くはなかった。逆に、安心したのだった。

 

 それの背から生えている羽のような骨が、目にも追えぬ速度で炎の龍に襲いかかる。

 白い残像。

 それでも「彼」は、口でそれをかみ砕いた。

 白い骨が砕かれる音と共に、月虹姫の悲鳴が響く。


「きゃあ、あああああ!!!」


 この声を、苦しみを、銀子は背負わなければならない。

 白い骨は残骸となって、湖のなかに音をたてて落ちてゆく。


「どうして……」


 かすかな声。

 首が力なく前へ垂れた彼女の声は、弱々しいものだった。


「どうして、こんな目に……わたしはただ……」

「月虹姫。それは、あなたの業だよ。あなたはそれだけのことをした。独りよがりが、こんな結果になってしまった」

「うるさい……! お前に、わたしの気持ちが分かってたまるか!」

「私には、あなたの心は分からない。だって、分かってもらおうとしていないじゃない」

「……」


 口をつぐんだ彼女の体を、炎の龍がかみ砕こうとする。


「待って!」


 湖の空間に、しん、とした静寂が訪れた。

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