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鵺の森  作者: イヲ
第十二章・朱夏
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三、

(わたしには夢があった。)

(だれかに愛される夢を。)

(でも、それは叶わないことだったから、もうどうでもいい。)

(どうでもいい。)

(わたしはわたしのために、この世界をめちゃくちゃにしてやる。)

(そうすればきっと満たされる。)

(うつろな、この心が。)



 残った氷の槍は、すでに跡形もなくなくなっていた。

 残ったのは、腹に穴を開けた月虹姫だけだった。


「ちっ、生きてやがったか」

「……わたしはわたしはわたしはわたしはわたしは」


 壊れたラジオのように月虹姫のくちびるからはき出されるのは、まるで呪詛のようだった。

 うつむいている彼女が、ばっと、こちらを向く。


 そこは、黒かった。

 目も口も鼻もない。先ほどは白かったもののわずかな凹凸はあった。

 だが今や凹凸もなく、黒いだけの、顔とも呼べないものがそこにある。


「満たして」


 黒い髪の毛と同化してしまっている顔から、こいねがうことばが紡がれた。


「え……?」

「聞くな銀子。アレはもう話が通じる相手ではなくなった。今やただの赤子(・・)だ」


 ずるりと、足を引きずるように前へ出す。そして、銀子は「見た」。月虹姫の――足跡を。

 黒ずんでいた。

 草花があったはずのそこは、見るも無惨にくすぶり、黒く変色してしまっている。


「どうして……。まるで、あれは……」


 占部の血の跡のよう、ということばは飲み込んだ。

 それでも占部は知ったのか、忌々しそうに黒い月虹姫を睨む。


「月虹姫の力が、暴走している。おそらく見切りがついた(・・・・・・・)んだろう」

「見切りがついた? もう、どうでもいい、ということ? ヒトの命も、妖たちの命も、自分が――その頂点に上るということも……」

「そうだ。心が暴走している、ってことだ。倫理も、―ーまあ、最も最初からなかったようなものだが――正論も、もう通じない。分かったか、銀子。もう、説得は無理だ。根の国に送るしかない。心も、体も、すべて根に絡ませなければ」


 占部は少しずつ近づく月虹姫の前に立ち、札を五枚、取り出す。

 彼がほんのすこし――恐れていることが分かった。

 銀子は自身の胸に手をあてて、占部に任せっぱなしの自分を叱咤する。

 

(占部だけを戦わせるわけにはいかない。私も、この、お母さんから受け継いだ力と、つぐみから受け継いだ力がある。鵺の森のために、ヒトの世界のために、私は今こそ、戦うべきなのだろう。)


「月虹姫。あなたが満ち足りていないことは分かるよ。でも、それでは多くの人が犠牲になってしまう」

「銀子!」

「あなたの心は永遠に満ち足りないままでしょう? なら、もう沈まなければ、ほんとうの意味で安らぎは訪れない」


 そっと、麻の浴衣の裾をゆらす。足を一歩踏み出す。

 銀子はもう、月虹姫を恐れなかった。

 哀れな少女だと、そう思う。

 それがたとえ、傲慢でも。


「前に出るな、銀子」

「大丈夫。私も、もう守られてばかりじゃない。根の国に送ろう? 占部。この、ちいさな少女を」

「銀子……?」


 ふわ、と、風が、やわらかな風がふいた。

 それは、銀子から発せられている。占部が訝しんだ直後、月虹姫の手が銀子の手を掴んだ。


「満たして」

「かわいそうな子」


 万感の、言霊。

 月虹姫の手が、びくんとふるえる。

 それでも、彼女の手は掴んだままだ。


「銀子!!」


 占部が叫ぶのも無理はなかった。

 月虹姫が掴んだ手から、黒ずんだ煙が出ている。

 あきらかに、異常をきたしているその腕を、占部は振り払おうとする――が、銀子がきつくそれを制した。


「待って。占部。大丈夫だから……」


 そう言って無理にわらう少女のこめかみから、脂汗がにじみ出ている。


「だめだ、銀子! それ以上触れられていると、腐り落ちるぞ!!」

「それだったらそれでいい。今は彼女の心のなかを見ることが先」

「心の中をみる? そんなこと」

「夢見の力。お母さんから受け継いだ力があれば、きっと……」


 目をとじる。

 腕の焼け付くような痛みの先。

 

 ほんとうは、ひとのこころの中なんか見てはいけない、なんて分かっていた。

 それでも今は、このかわいそうな子を送らなければ。


 月虹姫が銀子の手を掴んでいるときがチャンスだ。

 だから、今しかない――。


 徐々に、銀子の意識と月虹姫の意識が重なり合う。

 

 海に片足をひたすように。

 深く。

 ずっと深く。

 もっと、もっと深く。





 痛みもなにもない。

 あるのは、乳白色の湖。

 つぐみの湖のように、周りに草木もない。

 ただ、まるい湖だけだ。


 ずっ、と音がする。

 振りかえると、「彼女」がいた。

 黒い髪の毛が水に乱れ、張り付き、重たげに体に巻き付いている。


「よく……ここまでこれたね。こんな深いところにきたら、戻れなくなるかもしれないのに。ここはわたしのこころの中。死んでしまっている、こころの奥」

「私はあなたを許さない。だから、敵。そして、あなたの敵。だから、私はあなたを根の国に送る」

「そうね。わたしはあなたの敵。あなたはわたしの敵。いいわね、敵がいるっていうのは。まっすぐ見つめることができたのは、あなただけだよ、銀子」


 幼い体に張り付いた千早と緋袴は濡れて湖のなかに浮いている。

 銀子の体も、浅い湖に立っているせいか、体が重たかった。水色の浴衣も、彼女と同じように浮いている。


「で、このわたしを根の国に送るのでしょう? どうやって送るの? あなた、自分の手を血で汚すことができるの? 今までぬくぬくと占部に守られていただけの子が? 笑える」


 くすっとほほえみ、「赤い瞳」が銀子を睨んだ。


「そういうの、すごくむかつく。いい子ぶって、自分の心を隠してる」

「そうだね。むき出しの心をさらけ出すのはすごく勇気がいる。だから私は嫌われないようにしてきた。それに苛立つあなたは正しいよ」


 一歩。

 足を踏み出す。


「だけど、あなたの正義を、私は否定しなくちゃいけない。あなたにとっての悪にならなくちゃいけない。それが私の正義。ほんとうの心よ」

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