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鵺の森  作者: イヲ
第二章・すゞね
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四、


「狸が……」


 人の姿になった狸が、にこりとほほえんだ。

 唐茶色の着流しと、派手な深緋色の羽織を肩に羽織っていて、どこかつかめない表情で笑っている。


「どうもこんにちは。人間の嬢ちゃん。俺は暁暗(ぎょうあん)。この通り、化け狸のたぐいさ」


 袖をひろげて、飄々とくちもとをゆるめた。

 髪の毛は茶色にも似た紅鳶色で、頬は雪のように白い。それでも男なのに、くちびるは自然な朱色になっている。


「私、銀子。……どうしてこの家にいたの?」

「ああ、噂には聞いている。でも、いたわけじゃないよ。ちょっと通らせてもらっただけ。那由多どのも占部どのも通っていいって言ってるからね。時々通らせてもらってるのさ」

「ふうん。どうして?」

「嬢ちゃんは質問ばかりだねぇ」


 けらけらと笑う暁暗は、やはりつかめない。ほんとうにそう思っているのか、思っていないのか銀子の目には分からない。彼にはそれが分かるのか、奇妙な笑いかたをして銀子に目線を合わせた。


「このあたりは道がなくてね。どうしても通らなきゃいけないとき、通らせてもらっているんだよ」

「そうなんだ」

「俺もきみにすこし聞きたいことがあるんだ」

「なに?」


 赤茶色の目を細めて銀子と目を合わせたまま、こう問うた。


「どうしてきみは、鵺の森なんかに来たんだい?」

「それは……」


 家族に捨てられた、などと言えやない。うつむいて口をつぐんでいると、暁暗は銀子の肩を軽くたたいた。


「まあ、人間が鵺の森に来て、伊予姫に見定められたこと自体希有だからね。おかしなことを言った。忘れてくれ」

「――私、家族に捨てられたんだ。妖怪たちが見えるからって」


 逃げてはいけないと思ったのだ。

 家族に捨てられたのはほんとうのことで、変えられないことなのだから。それでも、妖たちが見えることを嘆いたりしない。いつだって、やさしかったから。


「そうか……。ああ、そうだ。これから、飴屋にいくんだ。きみも一緒に行くかい?」

「あめや……?飴を売っているの」

「ああ。俺の大好物でね。切らしてしまったから、買いに行こうと思ったんだ」

「いいの? じゃあ、那由多に聞いてみる」

「ああ、そうするといい。俺はここで待ってるから」


 玄関から那由多がいる部屋までは、なんとなくだが覚えている。しかし、この屋敷はなぜこんなにも広くて、曲がりくねっているのだろう。銀子以外の客を見たことがないし、お手伝いのひとも、藤以外見たことがない。

 なのに、どうしてこんなに広いのだろうか。


「那由多……」

「どうした、銀子」


 文机に目を落としていた彼は、銀子に気づいたのか顔を上げた。


「暁暗ってひと、知ってる?」


 那由多の前にすわって問うと、彼は目をかすかに見開いて「暁暗?」と問い返す。


「うん。飴屋さんに連れて行ってくれるって。行ってもいい?」

「暁暗か……。彼なら信頼できる。いいよ、行ってきなさい」

「那由多。暁暗って、やさしいひとだね」

「そうか。きみがそう思うのなら、きっとやさしいのだろうね。わたしは、あの男のことはよく知らないんだ。神出鬼没、見たと思ったらすぐに消えてしまうからね」

「そうなんだ……」

「行っておいで。銀子。すこし歩いてくるといい。暇だっただろう?」

「……暇ってわけじゃなかったけど……行ってきます」


 実際は暇だったのだが、暇だと豪語することはできなかった。それさえ那由多には分かってしまっていたのか、「行ってらっしゃい」とかすかにほほえんだ。

 こうして見送られることがなくなったのは、いつからだろう。

 いつから、母や父、祖母が「行ってらっしゃい」と言わなくなったのは。

 だから、うれしかった。

 那由多が笑って「行ってらっしゃい」と言ってくれたことが。



「暁暗!」

「ああ、どうだった?」

「行ってきてもいいって!」

「そう。じゃあ、行こうか」


 嬉しそうに笑う銀子にうなずき、長い石畳を歩いていく。

 空はとても晴れており、白藍の色がどこまでも広がっていてきれいだ。前はきっと、空がきれいだなんて、当たり前すぎて分からなかった。

 鵺の森にきてからはじめて思うこの「空がきれい」という思いは、きっとこれから大事なものになるのだと思う。なぜならここにはきっと、人間がいないからだ。人間と妖はちがうと聞く。だから思うこともちがうだろう。


「すごい!」

「そうかい? 俺は、そうは思わないけどね」


 さまざまな野菜や果物、そして着物や日用品を売っている露店がずらりと並んでいる。視界のなかにやっとおさまるほどだ。


「ここは、アソウギ通りと言ってね。鵺の森のなかで露店が一番多い通りなんだよ」

「そうなんだ……。飴屋さんって、どこにあるの?」

「ずっとむこうだよ。ついておいで」

「うん」


 人通りも多いが、暁暗の派手な羽織を目印にすれば、きっとはぐれることはないだろう。それに、彼は足取りもそれほど速くない。銀子を気遣ってなのかもしれないが。


「銀子」

「なに?」


 5分ほど歩いただろうか。暁暗はいきなり立ち止まり、銀子の名を呼んだ。それでも立ち止まったまま、何も喋ろうとしない彼を不審がった銀子は、後ろをむこうとした。


「振り向くな」


 しかし、暁暗に鋭く止められておもわず体がこわばる。


「鴉どもだ」

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