第六話 明日と手品と双葉の話
「いやあ、双葉ちゃん家のお風呂は広いですなあ」
親曰く何かこだわりがあるらしい。皆で一緒に入れる様にー、とかそんな風なこだわりが。まあ物心付いてからと言う物姉と偶に入るのが精々だったけど。
「風呂はやっぱり広い方が良いもんな」
これは案外意見が分かれるところだと思うが、あたしは広い方が好きだ。この開放感が何とも言えない。
「双葉ちゃんあたしの揉んでみる?」
「遠慮しとくよ」
そう返して、あたしは希実の背中を程々の強さで擦る。手に持ったスポンジからはレモンの香りがしていた。
「なーにー、あたしの胸が揉めないってのかー!!」
「お前ほんとは眠いんだろ……」
何というか覇気が無い。心ここにあらずというか、どこを見ているのか分からないというか、とにかく普段の希実ではなかった。
「うーん、そうだねー…………はっ!!」
「突然どうしたんだ。そんなありがちな目覚め方して」
いつものことっちゃいつものことだけど。
「いやね双葉ちゃん。私はそろそろこの日常に何らかのターニングポイントを作るべきだと考えるんですよ。乙女の青春は短いんだからもっと充実感のある日々の方が良いと思うんです。要するに今の双葉ちゃんは怠惰すぎます!!」
拳を握り、人差し指だけを立てて確信を突いた探偵の如く喋る希実。あたしの悪口は置いといて、珍しくまともなことを言っているな、と思ってみるが、
「と言うことで双葉ちゃんに意見を求む」
やっぱり最後は他人任せである。
「方針ねえ……」
人に語る様な夢は生憎持っていないし、これと言って思い付きもしない。ああそう言えば一つあったな。
「ボコりたい奴が居る」
「双葉ちゃん暴力的過ぎ!!」
まあ確かに個人的な恨みで仕掛ける喧嘩に希実は巻き込みたくない。ならばあたしの好きなパンで……
「じゃあ日本の名を冠したパンを作る?」
「それはパクリっ!?」
ばれたか、ばれてしまっては仕様が無い。しかし他に何かあったっけ。
「なら全国一の爆走集団を作るなんてのはどうだろう」
人の夢を語るもまた一興。言わずとも分かるかも知れないがこれは牧原の夢である。ちなみにあいつは原付の免許すら持っていないけどな。
「また暴力的だよ双葉ちゃん! もっと平和的に行こうよ!!」
文句を言う希実を他所に、風呂から湯をすくって彼女の背に掛ける。
「とりあえずお湯に浸かろうか。あたしの身体が冷える」
「あいあいさー」
そう言うや否や、てけてけと歩いてゆっくりと風呂に浸かる希実。おかしいな、いつもなら抱き締めて温めたげようか双葉ちゃんとか抜かすはずなのに。
「湯加減は良い感じか?」
次いであたしも湯船へ。汗をかいた後の風呂は格段に気持ち良い。
「うん、良い感じだよー」
「ところで希実。一つ訊くけど何故ずっとあたしに背を向けてるんだ?」
やるなと言えば人はやりたくなる。あたしと言えどそうだ、目の前のこいつには結構色々言っているけどそこら辺は何ら変わりが無い。
「へっ!?」
なのにこいつは一向にこちらを向かなかった。
「ほれほれー、今のあたしは無防備だぞー?」
温泉の素で少し緑がかったお湯は、然れど透き通っていて、あたしの柔肌を見るには十分な透明度。これならば食いつ……
「ぐぬぬぬぬぬぬ……」
「かないだとおおおぉぉおおお!?」
「どうしたの双葉ちゃん!?」
何故だろう、あたしの方がもやもやしてきた。仕様が無い、ここは強攻策を打ち出すとしようか。
「悪い、何でも無いから気にするな」
言いながら、あたしは波音を立てぬ様そうっと希実に近付く。距離は50cmくらいだろう、隠密行動には自信があるのだ。
「そうそう双葉ちゃん。さっきの奴だけどなんかおもいつ――はうあっ!?」
危機一髪。ギリギリのところであたしは希実に抱きつく。返事をすると距離がバレてしまうからな。
「ふふふふふ双葉ちゃん! 何してるの!?」
まず最初にお腹に手を回し、胸を押し付け、そのまま手をジリジリ下ろして足の付け根へ。そこからは曲がった肘を伸ばしながら身体の前面で希実の背中を擦り上げる。
「の、ぞ、みー」
仕上げは囁き。耳のすぐ横で猫なで声で名前を呼んだ。
「…………」
……? 希実の反応が無い。これだけすれば希実でなくとも過激な反応をすると言うのに、本当にどうしたんだこいつは。
「おーい希実。何かあったの――希実!? 鼻血吹いて何があったんだよ!! もしかして逆上せたのか!?」
気になって前に回り込んでみると、何としたことか彼女は鼻から血液を垂れ流していた。どうやら意識も無いらしく、身体の力は抜けきっている。
「こういう時ってどうするんだったっけ!? 水、水掛ければ良いのか!?」
――ジャボンッ
パニックに陥ったあたしは迷わず希実を湯船に沈めた。
「殺す気かぁああああああああああ!?」
すると刹那、希実はばねの如く飛び起きる。
「おお良かった! 目が覚めたか」
「いやいやもうちょっとで三途の川で目が覚めるとこだったからね!?」
これだけ元気があれば問題ないだろう。
「それは貴重な体験をし損なったな……」
「まだしたくないよそんな体験! と言うか何で双葉ちゃん裸!?」
そりゃ風呂なんだから当然なんだけど。むしろここでは裸じゃない方がおかしい。
「周り見たら分かるだろそれくらい」
「あー、そうかなるほど。思い出したよ全部。ついでに今の私の趣味も思い出しちゃった」
趣味を忘れるとはまた面白い人間もいたものだ。別にあたしには趣味なんて無いけど、早々忘れる物じゃないことは分かる。
「んで趣味って?」
「ふっふっふ、それは秘密なのだよ双葉ちゃん。でもどうしてもって言うなら教えてあげても良いかなあ…………知りたい? ねえねえ知りたい?」
「やかましい。もったいぶってないでさっさと言え」
あたしは瞬時に希実の背後に回り込み、相手が防御策を講じる前に羽交い締めにする。
「痛い痛い! 痛いよ双葉ちゃん!! 言うから! ギブアップするから止めてえぇぇええ!!」
「良かろう」
腕に入れていた力を抜き、あたしはさっさと希実を解放した。また鼻血吹かれちゃ堪らんからな。
「なーんてねっ。あ、双葉ちゃん顔が怖いよ! 冗談だから悪いジョークだから!!」
「わーったから早くしろって。本当に逆上せるぞ」
さっきまできょろきょろと目線を泳がせていた希実であったが、この瞬間穴を空ける様な勢いでこちらを凝視し始める。そして開口。
「私の手品の名前は愚者の眼光。もちろん種も仕掛けもないよー。それじゃあ双葉ちゃんは明日のお昼ご飯に食べたい物を想像してみて。私が言い当てるから」
他人の家の風呂場で素っ裸なのに種や仕掛けがあったらそれはそれでびっくりだけどな。
「しかしお前には似合わないなその手品の名前。自分で考えたのか?」
「んー、どうだろうね。よく覚えてないかな。ま、そんな事置いといてさっさと妄想しちゃって下さいな」
「妄想って言い方悪いな……」
これ以上文句は言うまい。茶化すのは良くないだろう。と言うことであたしは食べたい物を思い浮かべる。
「……ッ!? チョコッ!? それもチョコレートフォンデュ!! チョコの昼ご飯は明日が食べたいの!?」
「ほんとに当てやがった……アホをこじらせて遂にエスパーになっちまったのか、希実……どうでも良いけど日本語もおかしいぞ」
いやはや、本当に何故分かったんだ。あたしが変食なのは確かに周知の事実だけど、こんな常識外れな答えを導き出せるなんてありえない。
「あ、アホとは失礼しちゃうもんね! でさ、どうだった? 私の手品!」
「種も仕掛けも分からなかったし凄い芸当だよまったく。でも一つ良いことを教えてやろう。これは手品とは言わない」
大方あたしの思考を読んだのだろう。自分で言うのも虚しいが、あたしの考え方は清々しいほど単純なのだ。自称双葉ちゃんの大親友こと希実ならばやって出来ないことでも無いのかも知れない。
「なん、ですと……」
「あっ、そういや種と言えば……」
あたしはふと声を漏らす。理由は少し思いだしたことがあったから。それはついさっきの話題、今後の方針について、に関わるものである。
「どしたの双葉ちゃん?」
首をかしげて希実は言った。対しあたしは右手を握って再度開き、胡桃の様な種を提示しながら答える。
「一つあったよやってみたいこと。この種がどんな樹になるのか、あたしはそれが知りたい」
――そう、この双葉夏希から一体全体どんな芽が顔を出すのか、この上なくあたしはそれを知りたいのである。