影踏み
久しぶり、というかまさかの2つ目の短編作品です。独立して投稿してもよかったのですが、せっかく作ってあったのでこちらにしました。
とある駅前。多くの人々が行き交うそこは、まさに雑踏と呼ぶに相応しい。彼らの足元からは一人一つずつ影が伸び、他者のものと時に重なり、また離れていく。その足音ひとつひとつに人生があり、思いがある。とはいえそこですれ違う人々の大半は自身の人生に関係することはなく、ふと立ち止まって考える以外に深く思いをはせることもないような事柄であるが。
ここにも、そんな影を伸ばす人物が一人。大きな駅の近くに必ずある交番の、その掲示板の前。所々錆びつき古びたそれは時代を感じさせるものの、そこには今も多くの情報が雑多に貼り出されている。「神隠し、情報求む!」「狐火発生中、地図に描かれた地点通行止め」等々。その人物、白木 洸太はざっとその情報を見たものの、小さく息を吐いた。どうやら彼の興味を引くようなものはなかったらしい。
【特になんもなかったな。行こうぜ】
「うん、そうだね」
どこからともなく聞こえてきた声に小声で応え、洸太は踵を返して歩きはじめる。だが、彼の周囲には誰もいない。……彼自身の“影”以外には。
そう。彼は、自分の影と話すことができた。初めてそれに気付き、普通ではないのだということを自覚したのはいつだったのか。正直なところ、彼自身それは覚えていない。だが黒河 玄哉と名乗った洸太の影は、性格は彼と違い少々アグレッシブだ。そして玄哉の存在は、現在の洸太の進路に深くかかわっていた。
赤城大学怪異学部、異形学科。ざっくりと言ってしまえば、オカルトを研究する学科だ。とはいえ、実は彼らが研究しているのはただのオカルトではない。そのオカルトの裏にいる存在……影の魔物、“影魔”だ。
大学構内に入った洸太は広々とした敷地内を縦断するように歩き、外れにある古ぼけた建物の中に入る。第五研究棟。洸太の所属する花村研究室がある建物である。ダンボールや実験器具らしき電子機器、明らかにジャンクのようなPC等、色々なものが雑多に積まれた廊下を歩いていく。
やがて「花村研究室」と書かれたプレートのあるドアの前に辿り着いた洸太は立ち止まり、自分の名前が示された小さなホワイトボードのマグネットを「在室」に変え、中に入って行く。
部屋の中には雑多に物が並び、机が十個前後置いてある。その半数にパソコンが置かれている。中には女性が一人だけ。それを見て、洸太は意外そうな顔をした。
「あれ、教授いないんだ」
室内を進み、背負っていたワンショルダーバッグを研究室の壁際にある自分の机に下ろす洸太。その言葉に答えながら、肩をすくめつつ女性が一枚の紙を持って近寄ってきた。彼女は広瀬 澄香。洸太と同じく影魔の研究をしており、主に神仏関係のアプローチから謎に迫ろうとしている人物である。
「なんか学会で知り合った教授から呼び出されたってさっき出て行ってさ。しばらく戻ってこないって」
「そっか。この前の依頼終わったから報告書出しに来たのに、無駄足になっちゃったな」
「コックリさんの解決依頼だったっけ? デスクに置いとけばいいじゃない。明日には目を通しておいてくれると思うよ。 ……で、これ。新しい案件」
「あ、サンキュー。えーっと……」
澄香に差し出された紙を受け取りつつ自分のワンショルダーバッグからクリアファイルを取り出し、その中にあった報告書を取り出した洸太。一旦それを机に置いて、椅子に座りながら紙の内容を読む。ついでのように澄香も紙を覗き込み、一緒に読む。
花村研究室には、民間や時には警察から捜査の依頼が入ってくることがある。人探しや現場検証など依頼内容はまちまちだが、大半が野外調査だ。その過程や原因に妖怪や影魔が関係している可能性のある案件が回ってくるため、実物を自分で目にできる貴重な機会ということもあって研究室の中で手の空いているメンバーが受け持つことになっている。
内容はそれほど長くなかったらしく、ほどなく依頼書を読み終えた洸太は思案するように紙を手放し、顎に手をやった。
「神隠しで消えた少女の捜索、か。依頼としては普通だけど、消えた場所が神社っていうのが厄介だね」
「だねー。どうする? 私も一緒に行こうか?」
「うーん……いや、とりあえず一人で行ってみるよ。広瀬の方の狐火解決の依頼、まだ続いてるんでしょ?」
少し迷った洸太だったが小さく首を振る。彼女自身も案件を抱えているという事を知っていたからだ。澄香は小さく肩をすくめ、だいたい目途はついてるけどね、と言った。
「あの感じだと狐火じゃなくて人魂っぽくて。ざっと色見た時も思ったけど、スペクトル解析してみたら人魂寄りでさ。原因の場所も見つけたしお坊さんにはもう連絡したから、お祓いしてもらってそれで治まったらおしまい」
「あー、そうだったんだ。あのスペクトルは確かに狐火っぽくはなかったもんね……神隠しか、何が原因なのかな……」
「基本的にはまぁ、神隠しって言うくらいだし神様のせいか、天狗系のせいかだよね。あとは狐とか」
「狐に化かされて帰ってこれなくなってる、か。それも可能性としてはアリだね」
「ま、何にしろ現場に行ってみないことには始まらないね」
そりゃそうだ、と頷いた洸太は早速行こうと席から立ち上がる。机の下から黒い鞄を取り出し、一旦机の上に置く。一眼レフのケース程度の大きさと材質で、肩に下げられるように肩ひもが付いている。洸太はまず自分の持ってきたワンショルダーバッグを背負ってから、それと反対側の肩にその鞄をかけた。
「じゃあ、行ってくるね」
「はーい、行ってらっしゃい」
手を振って送り出す澄香に洸太も手を振って答え、報告書を教授の机の上に置いてから研究室を出る。出がけに自分のマグネットを「依頼」に変えて、廊下の先へと歩いていった。
大学からさほど遠くない、古ぼけた神社の前に立つ洸太。鳥居の先に少し直線が続き、そこから神社まで続く石造りの階段が見える。洸太は念のためここが現場かと研究室から持ってきた依頼書で神社の住所と名前を確認し、一致していることに頷いて中に歩いていく。
「今回の依頼は、神隠しに遭った少女を探すこと。対象は小学生、依頼者はその母親。大学受験をする長男の合格祈願に訪れた際、子供を連れてきたのだが、いつの間にかいなくなっていた……だってさ。周辺を捜索したが見つからず、人通りもそこそこ多い時間だったにも関わらず目撃情報もゼロ」
紙をワンショルダーバッグにしまいながら、洸太が玄哉と話す。
「で、神隠しと断定されたって訳だね」
【なるほどねぇ。とはいえ、行方不明者の捜索なんてキリがないからって、ろくに情報も集めずに大学に丸投げってのはどうなんだろうな。しかも翌日に】
「まぁまぁ、そう言わないでさ。僕らだって貴重な本物を目の前にできるかもしれない機会なわけだし」
そんなことを話している内に階段の下に着いた洸太は一旦足を止め、足元の自分の影に向かって話しかける。
「どう、なにか感じる?」
【いや、まだ何も。セオリーから行くと裏手だろうな】
「わかった。行ってみよう」
玄哉の言葉に頷いた洸太は、腰のケースから携帯電話を取り出した。手のひらに収まる程度でありつつも少し大きめのサイズの、折り畳み式の携帯だ。ボタンを操作して太鼓のアイコンを選択してそのアプリを起動すると、画面に緑色の円が表示され、トン、トン、という太鼓の音が一定時間ごとに円の明滅と連動して鳴るようになる。それを確認し、携帯を体の前に突き出しながら洸太は階段を上っていく。
神社が厄介だという理由。それは神社というものの性質にある。ご存知の通り神社というものは神という存在を祀る、とても神聖な場所だ。すなわち、とても光の側面が強い。だがその反面、その周囲に伸びる影もまた通常より濃いものになってしまう。つまり、強大な何かが存在する可能性があるのだ。
階段を上っている最中は特に何事も起らなかったが、階段を上り切って本堂が見えるようになったところで玄哉から声がかかった。
【相棒、ストップ。何かいるぞ】
洸太はその言葉に足を止め、足元に視線を落とす。
「行く?」
【あぁ、代わってくれ】
その言葉を聞いた洸太はひとつ頷き、自分の影を右足で思い切り踏んだ。その右足を起点として足元から黒い線が無数に上がってきて、洸太に絡みつくように服の上から全身を包み込む。それが浸透し治まると、洸太の顔はそのままで服が黒くなっていた。さらに彼の足元から、影がなくなっている。
「よし、気配を感じられるようになったぜ。こっちだな」
携帯のアプリを切り、その先で待ち受ける何者かに気付かれないよう静かに本堂の裏手へ向かって歩いていく玄哉。砂利の地面なので足音を立てないように気を付けつつ、あちこちに目を配る。
本堂の完全な裏に着くころ、玄哉は何かに気付いたように足を止めた。視点を、密集している木々の枝の一つに固定する。
「いたな」
【あ、あれか。さすが、よく見付けたね】
「まぁな」
小声で話しながらその場所から視線を外さずに、玄哉は肩にかけていたカバンからカメラを取り出し、首紐を通す。基本的には普通の一眼レフのようだが、レンズ周りに梵字のような文様が描かれている。起動させて構えると、漆黒の猛禽類の姿が映り込んだ。大きさは足から頭まででおよそ30センチ、まだこちらには気づいていないようだ。
玄哉が慎重にシャッターを切り、“それ”を数枚撮影する。しかし視線に気づかれたようで、目線をあわせた“それ”は大きく鳴きながら一直線に襲ってきた。
「うおっと!」
玄哉は腰のケースから携帯電話を取り出し、閉じたまま人差し指でサイドボタンを押す。すると携帯全体が淡く発光し、それで襲ってきた猛禽類を叩くと怯んで勢いが止まった。
【影鷹だ!】
「神隠しの原因はこいつか!」
洸太と玄哉が叫ぶと、数回繰り返された攻防に諦めたのか影鷹は逃げる体制に入って背を向けて飛びはじめた。すかさず洸太の声が飛ぶ。
【玄哉、トレーサー!】
「わかってるって!」
洸太に返しつつ玄哉は携帯を開き、中指で中央の先ほどとは別のサイドボタンを押す。画面に呪符の文様が複数浮かび上がり、玄哉が親指で数字の1のボタンを押すと一つの呪符が拡大された。その画面を影鷹に向けて狙いを定めて玄哉が携帯を開くボタンを押しこむと、画面から光の呪符が発射され、影鷹に命中する。しかしそれに衝撃はなかったようで影鷹は気にした様子もなく飛び去り、追おうと玄哉は走った。……だが。
「……はぁ……はぁ……」
十メートルほど走ったところで息が上がってしまい、玄哉は膝に手をついて立ち止まる。その間に影鷹も見失い、肩を落として息も絶え絶えに洸太にぼやいた。
「くー、やっぱキッツいなこっちの世界は……。俺フィジカルじゃお前に敵わねぇ」
【その分感知能力とか気配を読むセンスとかは玄哉の方が上だけどね。……見失っちゃったし、そろそろ代わろうか?】
「あぁ、頼む」
言った玄哉は姿勢を正し、左足で自分の足元を踏みつける。今度は白い線が左足を起点に伸びてきて彼を包み、衣装が白くなって影が落ちる。洸太に代わった彼はすぐに息を整え、首から下げたままだったカメラをカバンに、携帯を腰のケースにしまった。
「さて、問題はさっきのあれと神隠しが関係あるのかどうかだね」
【だな。場所がビンゴ過ぎるから、確率は高いだろうが。……トレーサーの反応は?】
玄哉に問われた洸太は再び携帯を取り出し、ボタンを操作して地図の画面を呼び出した。地図上を光点が移動しているのが映っている。先ほど影鷹に放った呪符には位置追跡機能があり、携帯で相手の位置を知ることができるのだ。
「バッチリだね。まだ移動中か……人間の足じゃ追いつけないし、これは少し泳がせるしかないかな」
呟いた洸太は携帯を閉じ、顎に手をやって思案する。
「この近辺での他の捜索願はなし。だから長期間にわたる相手じゃないことは確かだろうけど……」
【この辺を根城にしてたり、初めっから神社に住み着いてた奴じゃない、ってことか。どうする? 戻ってみるか?】
「そうだね、何かの痕跡が残ってるかもしれない」
本堂裏に戻った洸太はカメラを構えてうろつきまわるが、先ほどの影鷹に関係ありそうなものは何も発見できなかった。
「で、戻ってきたはいいけど何もなさそうだね」
【相手は鳥の影魔だからな、仕方ないだろ。神社なのに影鷹程度で済んだことが幸運だと思うしかないさ】
「そだね」
ため息を吐いて、カメラを鞄に戻す洸太。さてどうしたものか、と腕を組む。
【それにしても、影鷹か。天狗とか神とかならともかく、相手が影鷹となると子供の安否は微妙かもな。あいつら子供を攫うのは食い物にするためだから】
「かなぁ……いや、少し調べてみよう。諦めたくない」
【調べるっつったって、来る道すがらネットで調べられることは調べたじゃんか。それとも広瀬にでも何か知らないか聞いてみるのか?】
「ううん、自分で調べられることは調べてみないと。図書館なら文献があるはずだから、そっちを当たってみよう。古い記述がそのまま残ってる紙媒体のほうが、情報の劣化が少ないだろうから」
オーケー、という玄哉の言葉を聞いた洸太は踵を返して本堂を後にし、そのまま階段の下へと消えていった。
赤城大学に戻ってきた洸太は図書館に向かい、カウンターで必要事項を記入した紙を提出して首から下げるパスを受け取った。これは大学図書館内の書庫に入るためのもので、研究室に所属する大学3年生以上ならば手続きをすることで必要な情報を好きなだけ探すことができる。書庫に入った洸太は事前に調べておいた文献がある第二書庫を目指す。
やがて「第二書庫」と書かれたプレートのある部屋に辿り着いた洸太は金属製の分厚いドアを開け、中に入って行った。中には数えきれないほどの本棚が並び、その高さもゆうに3メートルを超えるほど。本の状態を保つために空調が作動しており、少し肌寒い。その中を進んで洸太はある棚の前で立ち止まり、かなり古ぼけた本を手に取ってめくった。背表紙に〔日本怪異録〕と書かれている。パラパラとめくるうちに目当ての情報を見つけ、あるページで手を止めた。
「あった。これだ」
洸太がそこで文章を読み上げて内容を追っていく。
「影鷹。影世の猛禽類であり、神隠しの原因の一つとされる。小さな子供を攫い、食糧としているという説がある。獲物が小さな子供に限定されるのは、影鷹自身のサイズ的にそれ以上の人間を持ち運ぶことが困難であるからだと考えられている」
【これはやっぱ絶望的か】
洸太が読み上げた内容を聞いて、諦めたような声色の玄哉。それに同意しかけた洸太だが、本を読み進めて、ある記述を発見して否定した。
「んー……いや、そうでもないかも」
【お?】
「影鷹は決まった巣を持たず、林や森といった限られた部分を渡って縄張りとし、その外から得物を持ち帰る。獲物を食らうのはテリトリーに持ち帰ってからであるが、狩りに消耗するためなのか狩ったその日には捕食しない。またカラスのように貯食の概念があるらしく襲った獲物をその日に捕食することはせず、数日前に狩ってきた獲物から順番に捕食するという生態がある。その間、狩った獲物は獲物が逃げられないような高い木の枝に数日引っかけておくという」
【数日……?】
「さらに影鷹はこちらの世界で言う鳥目であるため、夜に入ると何も見ることができないので、日が暮れるとすぐに眠ってしまう。……だってさ」
洸太の読み上げた内容を聞き、その意図を察した玄哉は納得したような声を出した。
【なるほど、そういうことか】
「うん。この時間からなら、もうすぐ日が暮れるから眠る時間に入る。この記述が確かなら、今日はもう縄張りに帰ったはず。さっきトレーサーを付けたからGPSで居場所は分かるし、夜のうちに飛んで行った方角を探せば、捕捉できると思う」
【しかもその日には捕食しないってんなら、依頼の子が無事である可能性もそこそこ高い、か。よっしゃ、そういうことなら早いところ行こうぜ】
「うん。影鷹は二種免持ってれば討滅可だからね。保管庫で装備借りて狩りに出よう」
本を閉じて、元の本棚に戻す洸太。必要な情報は得たと、踵を返して出口に向かっていく。その足で洸太は先ほどの第五研究棟に向かった。しかし今度は研究室の方へは向かわず、地下への階段を下りていく。階段を下り切るとすぐに守衛室のような場所があり、洸太は中にいる初老の警備員に声をかけた。
「すみません、保管庫から武装を持っていきたいんですが」
「はいよー。じゃ、ここに必要事項を書き込んで」
慣れた手つきで差し出された紙に必要事項を書き込んでいく洸太。日常的に何度も顔を合わせている警備員なので、書き込んでいるそれを覗き込んできた。
「あー、影鷹の討伐か」
「えぇ、神隠しを追ってたら見つけまして。トレーサーで追跡はできているので、これから狩りに行くんです。……はい、記入終わりました」
用紙を警備員に渡し、受け取ったことを洸太は確認して先に進んでいく。突き当りまで歩くとドアがあり、横にカードリーダーのような機械があった。洸太は財布を取り出し、中から学生証を取り出して機会に触れさせる。すると電子音が鳴り、ドアのロックが解除された。中に入るとロッカーがいくつも並んでおり、洸太は自分の名前が書かれたロッカーの前に行って扉を開けた。
中にはいろいろな装備が入っており、洸太はそれらを手早く身に着けていく。指ぬきグローブや籠手、ミリタリーブーツ、ベストのように装着するプロテクター、腰に色々な道具が付けられたツールベルトを装着する。額当てを着けて最後にロッカーの中から小太刀を取り出し、ベルトのアタッチメント部分に着けた。全ての装備を装着し終えた洸太はロッカーのドアを閉め、その部屋を後にして現場に向かった。
先ほど影鷹をロストした地点(住宅街だった)に戻ってきた頃には、夜になってしまっていた。早いところ探し始めようと、洸太は黒いバッグから手のひら台の大きさのデバイスを取り出し、左手の籠手に装着する。スイッチを押すと画面の電源がつき自分を中心とした周辺の地図が表示された。
「さて、と。どこにいるかな?」
呟きながらパネル横のボタンを操作し、先ほどの影鷹の反応を探す洸太。このデバイスには先ほど携帯から射出したトレーサーのGPS反応がリンクしてあり、何度目かの操作で画面上に赤く点が表示されたので洸太はそれを注視する。
「いた、ここだ。案外近いね」
【よし、交代だ相棒】
「うん」
影踏みをした洸太は玄哉と交代し、歩き出す。腕に着けた装置と玄哉の勘、その両方で影鷹を探すためだ。住宅街の中を歩いていくとだんだん家がなくなっていき、緑が増えていく。そして数十分後、GPSの信号が自分の半径数メートルまで迫ってアイコンが自分のものとほぼ重なった時、玄哉は足を止めた。
「GPSの測位精度で絞り込めるのはここまでだな。あとはトレーサーのペイントと……」
【勘、だね】
「その通り」
にやりと笑って自分の感覚のままに動く玄哉。あちこち見まわし、一つ頷いて歩き出す。その足で向かった先には、森林公園があった。
散歩コースのような一本道を歩いていく玄哉。整備が行き届いているようで歩きやすくはあるものの、明かりはところどころに点在している街灯しかないような状況だった。何かの気配を掴んだような玄哉はほどなくして立ち止まり、目にしている木々、その枝のうち一つを注視した。
「いたぞ相棒」
【え? どこ?】
「あそこ。……って言ってもわかんねぇよな、俺が見てる梢の一つ」
【僕には見えてないけど、玄哉が見えたんならまあいいや。じゃあ、写真とビデオお願い】
「おう」
件の木に足音を立てないようにしながら接近しつつ、黒いバッグからデジカメを取り出して影鷹を数枚撮影した後、ビデオカメラを取り出す玄哉。録画を開始し、ビデオカメラのレンズ部に取り付けられた複数のレンズを交代させながら枝に留まって眠っている影鷹を撮影する。右の翼に命中していたようで、呪符の文様が浮かび上がっていた。その間に洸太と小声で話す玄哉。
「残念だよな、こんなに近くにいるのに捕獲できないってのは。サンプルがあれば生物学的な解析もできんのに」
【ホントだよねー。影世の生命体だから存在が希薄で、すぐに消滅しちゃうから死体も残らないし】
「研究で映像データだけって割と致命的だよな。時間停止素材の研究とか応用できねぇのかな」
【術式が干渉しあっちゃって無理だって話が上がってなかったっけ? 時間停止の術式周波数と影世へ干渉するための周波数が邪魔しあっちゃうとかなんとか……】
「そういやそんな論文もどっかにあったなぁ……。さて、こんなもんでいいかな?」
【うん、そうだね。もう長さは十分だと思う。仕留めよう】
その洸太の言葉を聞いた玄哉は録画を止め、鞄にビデオカメラを戻す。代わりにツールベルト右腰のホルダーから短い矢を取り出した。腰の後ろから長さ三十センチほどの吹き矢を取り出し、先ほどの矢を中に入れる。
「さーて。外すと面倒だし、慎重にやらんとな……」
気配で気付かれてしまえば逃げられる可能性があるので、口に吹き矢を当てつつ慎重に狙いを定める玄哉。タイミングを見極めた玄哉が吹き矢を発射すると、矢は狙い違わず眠っている影鷹の首元に着弾し、甲高い悲鳴が響く。そのまま影鷹は地面に落ち、燃えた紙が風にさらわれるようにサッと消えていった。
「さて、後は行方不明の女の子を見つけ出すだけだな」
【てか、実際そっちの方が依頼された内容なわけだけどね】
影鷹が消滅したことを確認し、吹き矢を元の位置に収納して携帯を取り出し、太鼓のアプリを起動させる玄哉。トン、トンという音が響く中、全方向に携帯を向け、テンポが少し速くなった方向に歩き出す。
しばらく歩いていくと、ある地点で太鼓の音のテンポがさらに速くなった。それを確認して、玄哉は一度立ち止まる。
「近いな、この辺だ。俺らの読みが正しければ例の子だろう」
【どっちの方向だか、わかる?】
「ソフトだとこれ以上は絞り込めない。俺の勘としては……あっち、だな」
【休憩しなくて大丈夫? 一旦変わろうか?】
「いや、まだ平気だ」
洸太に返事を返しつつ玄哉はアプリを念のため起動したまま再び歩きだし、さらに藪や木の茂っている場所へ入って行った。そこを歩いていくうちに玄哉の顔に確信めいたものが浮かび始め、早足になっていく。
そして、ある大木の根元で玄哉は足を止めた。ゆっくりと視線を上げていきながら枝の細部まで見つめていた彼の視点が、ある位置で明確に固定される。
「相棒、見つけたぞ」
【どこ?】
「説明するよりさっさと下ろした方が速い。俺が近づけば相棒も認識できるからな」
【大丈夫? 体力的にキツくない?】
「まぁ、ぶっちゃけそろそろキツいとは思う。だがまぁ枝の上じゃ影踏みできねぇし、頑張るわ」
【わかった、任せるよ】
玄哉は頷き、木に登っていく。彼が登っている内に何もなかった木の枝がだんだん揺らぎ始め、やがてゆらぎは明確に子供の姿を取った。だらんと枝にうつ伏せでぶら下げられている格好だ。玄哉はその子供を抱え上げ、どうにか地面まで降りる。子供を一旦地面の上に横たえた玄哉は息を切らせながら鞄から資料を取り出し、そこに張り付けられていた顔写真をベストから取り出したライトを当てて確認した。その後子供の方に屈みこんで、顔を確認する。
「……この子、かな?」
【たぶんそうじゃないかな、顔立ちも服装も一致してるようだし。よかった、見た感じ大した外傷もないみたいだ。起こして確認してみよう】
「おう」
返答した玄哉は女の子の肩をゆする。すると女の子が薄く目を開けたので、安心させるように笑いかけながら声をかけた。
「こんばんは。柏木 真理佳ちゃん、であってるか?」
「お兄ちゃん……だれ……?」
「あぁ、俺は……っと。相棒、そろそろ代わるぜ?」
【あぁそっか、わかった】
真理佳のそばに屈みこんだまま左足を踏み込み、影踏みをして洸太に代わる。服が突然白くなったことに真理佳は小さく首を傾げるが、誤魔化すように笑いかけた。
「僕は白木洸太。よろしくね。お母さんに頼まれて君を探しに来たんだ」
「ママ……どこ……?」
「お兄ちゃんがママの所まで連れて行ってあげる。痛いところとか、ない?」
「うん……だいじょうぶ……」
眠たいのか意識が定まらないのか、語尾がおぼつかない真理佳。それを察して洸太が声をかけながら抱え起こす。
「眠いかい? だっこしていってあげる、寝ててもいいよ」
真理佳は頷き、そのまま洸太に体を預けて眠ってしまった。そのままで洸太は真理佳の体を軽くチェックし、念のため外傷がないかどうかもう一度確かめる。そして問題なさそうだと確認して頷き、立ち上がって歩き出した。
【この後どうするんだ? 直接家に連れてくのか、病院にでも連れてくのか】
「依頼書には見つけたらすぐ連絡くれって書いてあったから、今電話しよう」
携帯電話を取り出して依頼書に書かれていた番号を押し、電話をかける洸太。数コールで相手が通話に出て、洸太は現状を説明していく。
「あ、こんばんは。御嬢さんの捜索依頼を承っていました花村研究室の……」
と、話したところ安心したような様子ですぐに迎えに来ると言い、それではと目印としてわかりやすいので例の神社を待ち合わせ場所にすることにした。さほど離れたところに住んでいたわけではなかったらしく、到着して待機すること数分で両親らしき人物と真理佳の兄であろう少年が走ってくる。洸太のところまでたどり着くと真理佳の名前を呼ぶが、眠たげながらも明確な反応が返ってきたことに一様に安堵したような表情になった。
父親が真理佳を受け取り、家族そろって深く頭を下げてくる。それに頭を下げて返しつつ、洸太は念のため他に近辺で神隠しや行方不明事件があったという話がなかったか聞いてみたのだが、そういう話は耳にしたことがないと言っていた。やはりあの影鷹は、この近辺に長いこと根ざしていたものではないようだ。
何度も頭を下げながら去っていく一家を見送り、洸太ももう一度頭を下げる。これで、今回の依頼は完了だ。
夜。整然と物が並んだ自室で、ノートパソコンに向かって楽な格好に着替えた洸太が依頼完了の報告書を書いていた。パソコンに向かってキーボードを叩きながら、玄哉と雑談している。
「今回は本物の影魔を目の前で見られたし、いい機会だったね」
【あぁ。神社が失踪現場って聞いたときは、どんなヤバい奴が相手なのかと思って身構えたけど、影鷹だったからな。行方不明になってた子も保護できたし、映像も撮れたし】
その後少しの時間キーボードを叩く音だけが響く。そんな中、ポツリと玄哉が呟いた。
【それにしても。結局なんなんだろうな影魔って】
「どうしたのさ、今さら藪から棒に」
【いや、なんか改めて疑問に思ってさ。普通の妖怪とも、神とも違う影の魔物。そんな得体のしれない謎のもん相手にしてるんだよな、俺ら】
「それ言ったら僕たち影踏み能力者全員が謎になっちゃうよ」
苦笑し、キーボードを叩く手を止めて伸びをする洸太。椅子から立ち上がり、キッチンに向かう。カップを取り出してインスタントコーヒーの粉を入れ、魔法瓶からお湯を注いでいく。
「普通の超能力は世の中に溢れてるし、UMAだって妖怪だって腐るほどいるし。自分の影と話せる影話の能力者もまぁまぁいるけどさ。僕たちとか広瀬たちみたいに、一時的に合体できるような能力者は少ない。一般人からすれば、僕たちだって立派に謎さ」
【まぁ、そうなんだけどよ】
コーヒーを淹れ終わり、一口飲む洸太。その間にも玄哉の言葉は続く。
【でも大抵の物には実体があり、それに光を当てた結果として影がある。それこそ、妖怪だろうがUMAだろうが人間だろうが虫だろうがな。影踏み能力者とはいえ、お前にもある。でも影魔は違う。実体がない。あいつらは本当に影でしかないんだ。なのに現実世界に干渉してくる。わけわかんねぇぜ】
「それを解き明かそうとしてるのが花村研なんじゃんか。難しく考えたって仕方ないよ、データを集めて調べていくしかない」
【……ま、それもそうか】
洸太の言葉に一応納得したような口ぶりになった玄哉。それに頷き、洸太もコーヒーの入ったカップを持ってデスクに戻っていく。キーボードの横にコーヒーを置き、洸太は再びキーボードを叩き始めた。
いかがだったでしょうか。少しでも楽しんでいただけていれば嬉しいのですが。少しだけこの話について話しましょうかね。
この短編は、とある脚本賞に応募して見事に落選したものを短編として再構成したものです。なのでまぁ、セリフばっかり続いてたり地の文ばかり続いていたりするのはその名残だったりします。基本的に地の文だったのはモノローグとして語らせていたりしたものだったので。
血色のような異能力バトルもの(そこまで戦ってませんが)なのでジャンル自体は慣れていたものの、しっかりと妖怪などについて調べて書いたのは初めてだったので大変でもありつつ、楽しくもありつつって感じでした。一応1クール程度の簡単なプロットを作ってはあったので、気が向いたら続きを投稿したりするかもしれません。
では、次でもお会いできることを願いまして。おそらく次に更新するのは血色の方だと思います。