甘いあまいお薬をあなたに……
かなり遅くなりましたが。すいません^_^;
チョコレートが完成しほっと一息ついてつかの間、郁人はとりあえず冷蔵庫にそっと崩れないように安置して、次は後片付けにとりかかった。電動泡だて器やボウルやヘラを湯銭で使用した熱湯を使ってチョコの油分を落とし、洗剤で汚れを落として洗い場の横でタオルの上にどんどん積み重ねていく。
これが結構気を使うのだ。うっかりこの山が崩れたら破片を片付ける必要が出てくるからである。
――というか、調理器具が普通にどこにあるかちゃんと把握しているあたり、紗雪の家の台所はもう既に郁人の城かもしれない。
それにしても……我ながら同い年の女の子と比べても遜色ない出来である、と満足な笑みを浮かべた。まぁ彼はほかの女子のチョコの出来なんて知りようもないわけだが、調理実習の手つきにおいては少し上を行く郁人である。
「ただいまー」
「…… おかえりー」
と帰宅の挨拶とともにドアにつけられているベルがチリーンと涼やかな音を立てて紗雪の帰りを知らせた。それに郁人も台所からではあるが声をかけた。なんだか夫を迎える新妻のようである、とは思いもよらない彼だ。
そしてカチャカチャとピンクと白のストライプのエプロンをシャツの上に身につけてお皿や器具を元の場所に戻していった。
が、パタパタと小刻みな足音がこちらに近づいてくる。きっと紗雪だろう。
「いくとぉー」
と珍しく甘えた声を出しているあたりどうにも彼女の顔に疲れが見える。艶々したストレートの黒い髪ヘアピンをひとつにラフなジーンズに白のトップスに大き目のニットカーデを羽織っていた。
小さい肩に、ほんのり色づいた頬に、自分よりも幾分か高い声に誘われる
……抱きしめてもいいだろうか。
とどうにもいつもよりも庇護欲が掻き立てられる様子に衝動に駆られた郁人である。
――今までならそうしていたかもしれない。だって彼は兄の立ち位置にいたのだからやましいことは皆無だと思っていたし、そのつもりだった。
「ん……? どした」
とそっけなく返すも、甘えてもらえる、頼る相手として自分が選ばれたことが誇らしくサッとエプロンを外して紗雪を食卓の椅子に座らせて、冷蔵庫からレモンティーを出してやった。
「今日の収録……」
と紗雪は口にしてすぐに食卓の机にへちゃりと沈んだ。
今日の収録……?
んー、今日俺仕事なかったしな。何の仕事だろ。
聡さんに聞いてみるか。俺らの仕事くらい把握してんだろう、と考えた郁人は聡にメールを送った。
「あーっと、あぁ『朝ちょく』ね。でもこれどうせいつも通りだっただろうし特に疲れそうとかないと思うんだけどなぁ。」
と携帯が振動とともにメールの返信を知らせた。そして目を通し思案するも原因はよくわからなかった。
「ん…? PS.オカンが録画してるから」
あぁ、紗雪のお母さんが。けっこうマメなんだなぁ。けっこう男前というか大雑把な印象だったから意外だ。まぁうちも録画してくれてるけど、あれはどこで管理してんだろ。大人になってから見るの軽く黒歴史だと思う代物もありそうだよなぁ……と郁人は考えるのをやめた。
「……じゃあスイッチオン!」
と食卓に沈む屍の横の椅子に陣を取りテレビに目を向けた。
「今日は2月13日ということで、バレンタイン特集です。もう皆様用意されましたか?
まだの人は必見です!」
という紗雪の一言ともにCMが流れて、少し肩透かしを食らうも早送りしてCMをスキップした。
いつもどおりの順番で番組は進められていった。まずはゲストの紹介。
そして前フリ、そしてチョコや彼に送るのにお勧めの商品を実際に目の前で使ってみたり食べてみたりして和気藹々と紹介されていく。彼の仕事別にも紹介されたりと工夫もされているようだ。
そして最後にゲストの出ている番組の宣伝が始まった。
「……? 特に問題なさそうだけど」
と番組を見終わって紗雪に目を向けるとレモンティーを口に含んでいた。
「で……? んーと。何でそんなに疲れてるんだ??」
と直球で聞いていいものかとも思ったがアレではよくわからないので訊いた。
「共演者さんが」
ん……?
誰だっけと思いもう一回番組に目を通すも見覚えのある顔。
だけど、そう何度も一緒に仕事していない子だった。
そう、この人は確か。
あぁ、なんか中華風のユニットのアイドルでなんかリンリン、ランラン的な名前で
俺らよりもよりキャラ押しというか語尾に「~ある」とか「あいやー」とか似非中国語だったっけか。
あれ使ってトークするらしい…? うーん、たぶん。
よくアオザイみたいなの着てるし、濃ゆいキャラで周りと差をつけて売り出しているとか土浦さん言ってたような。その片割れか。
あー、この人ドラマで一度だけ一緒したかも。
割と普通の子だったけどなぁ……。やっぱりわからん。
「何が問題?」
「……なんか距離が近いの。共演者さんだから力づくでどうにかするわけにはいかないし、はっきりと口に出して好意を示されたわけでもないし、何でなつかれたのかも不明でどう対応していいかわかんなくてちょこちょこやんわり断ったんだけど通じないし、それになんか妙というかなんというか、
それにギリギリ許される範囲がわかっているというか強かというのかしら……あれは、怒るには微妙なラインで留め置かれるからこっちも、なかなかきっぱり離すことができなくてじりじり、いらいらするというかなんというか」
立石に水のように言葉が駄々漏れの様子を珍しく見せた紗雪に少し郁人は驚いた。
……なんか大変だったようだ。しかし距離が近いとはねぇ。ずかずかとパーソナルスペースに入ってくる人間は苦手らしい。まぁ、対応に困る人種ではある。気さくなのと無遠慮なのは違うということだ。
しかしブラックリスト入りだな。今度土浦さんに彼らについて聞いておこう。
「ん、疲れたときには甘いもの
一日早くて悪いけど。フォンダンショコラ」
レンジで30~40秒程度で暖めなおし、ケーキをフォークでさくっと切れ目を入れると中からあったかいチョコソースが出てくる代物だ。ベリー系のソースともよく合う。オレンジ系でも可。
こういう目の前で暖かいものが渡せるのは家族とか、恋人とかかなり近しくないとできないことで。
当日は忙しくて渡せないから前日だがまぁしょうがない。
「はい、あーん」
と一口大のチョコを紗雪の口に放り込んだ。
すると、へにゃりと疲労と緊張で強張っていた顔が緩み笑顔を見せた。
それは心底安心した営業スマイルゼロの笑み。
これが見たくて、
一緒にすごしたくて
ほかの人には譲りたくない
「美味しい。ありがとう郁人」
その言葉が、笑顔が欲しくて
「どういたしまして」
それは貴方に伝えられる
聡さんにもちゃんと後で残り物はあげたそうですよ。
「ていうか、そもそもディナーが用意出来なかったのが不満です」
「お前はいったい何を目指してるんだ……」