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ダブル   作者: 北洋
7/8

──7──


 俺は人を殺せるのか?

 答えは‘No’だ。数日前、この病院の医師に渡された折りたたみ式のナイフを手の中で遊びながら、俺はそんなことを考えていた。

 心臓病薬の袋に入っていたナイフ。銀白色のそれはボタン一つで刃の部分を簡単に展開できる実用重視の携帯武器、そんな感じだ。切れ味鋭い音と共に飛び出す両刃のナイフは刃渡り30cmほどで短い。刃物特有の金属光はそれがレプリカではないことを語り、しかし刃こぼれ一つない刀身(ナイフでもこう呼ぶのだろうか?)はまだ一度も使われていないのか、または余程の強度であることを示していた。

 で、だ。答えは‘No’だ。

 俺は軍人でもなけりゃ殺人鬼でもない、だから人を殺すなんて無理だ。これは精神的な問題であり倫理的な問題でもある。十七歳の俺の体つきは成人のそれと変わりないどころかよっぽど逞しい、実際に殺人という行為を行うことぐらいはできるはずだ。

 だが答えは‘No’だ。度胸が無い、それで結構。戦争にでも駆りだされない限り俺は人を殺さないだろう。

 しかしダブルは人間ではない。だから殺しても、それは法的に殺人ではない。

 数日前、マサキは発作で倒れた俺をこの病院に運び込んでくれた。だがその顔を見て俺が感じたのは食欲や性欲にも類似した奴の心臓への希求心だった。

 マサキの心臓を移植すれば俺は助かる、初めて死の恐怖を味わった俺は目が覚めた瞬間から、病院の一階特別室でそのことばかり考えていた。

 奴がダブルかどうかはもうすぐ判る。

 折りたたんだナイフを懐にしまうとすぐに、DNA鑑定を頼んだ医師が俺の病室に入ってきた。


「先生、結果はどうでしたか?」


 俺の質問に医師は答えなかった。

 無言のまま、医療用ベットに腰掛けている俺に近づいてくる。

 そしてあのいやらしい笑みを浮かべて言った。


「──そんなに結果が知りたいですか?」

「え、ええ、まぁ……」


 生返事でそう返すと、今度はしっかりと医師の口元が歪んだのを俺は見た。

 次の瞬間、俺は襟元を医師に掴まれてベット上から、掃除の行き届いた見た目綺麗なタイルの床へと強引に引かれる。顔面から床に投げ落とされた。鼻の軟骨が砕けたような衝撃と鼻奥に燃えるような熱さを感じる。鼻血が出ていた。


「これが答えですよ」


 これは、立ち上がった俺に吐きつけられた医師の言葉だ。

 俺には医師の言っていることもやったことも理解できていなかった。


「な、なんでこんな……?」


 自然に洩れ出た疑問を医師は嘲笑う。


「なんでですって?──ふふ、そうですね、知らずに死んでいくのはいかに貴方と言えどあまりに不憫。では答えてあげましょう……」


 俺と医師との距離は約2mほどで、俺の背後には大きな窓ガラスがあった。患者に外の景色が良く見えるようにとの配慮だろう。

 いりなりの混乱に俺の心臓も脈打つ速度を上げる。

 苦しくなって胸を押さえたが医師はそれになんの反応も示さず、懐から黒光りしたものを取り出した。


「っ!!」


 拳銃だった。

 警官つかっているようなリボルバータイプではなく連射可能なオートマチックタイプ。

 レプリカだろうか? いや、こんな状況で取り出すのだ。おそらく本物だろう。

 だが何故……それに医師は答えを出した。


「鑑定結果が出たのですよ。安藤正樹さん、貴方と安東真崎の関係は100%ダブルと本物です」


 予想外にも、医師の言葉は俺が待ち望んでいたものだった。

 マサキがダブル。DNA検証の結果が出た。奴の心臓を移植すれば俺は100%助かる。俺は胸の苦痛に後押しされ奴の心臓への欲望を更に強くした。

 銃を突きつけられている今のシュチュエーションも忘れて。

 

「わかっちゃいませんね」


 ……と、俺が余程嬉しそうな顔をしていたのか、医師はまるで汚物のように俺を見た。


「私は、貴方と安東真崎の‘関係’は100%ダブルと本物、と言ったのですよ。それにこうも言いましたよね、今の私たちの知識では、理論的に誰々の‘関係’が本物とダブルとはわかっても、どちらが本物でダブルなのか判断する手段は得ていない、と」


 医師は何故か‘関係’という言葉をイヤに強調している。

 二度目の診察(相談)の時、この医師は言ったのを思い出す。


<彼のDNA塩基配列と、あなたのDNA塩基配列が完全に一致すれば、あなたと彼は、本物とダブルの関係になりますからね>


 俺は、それは「マサキ=ダブル」としか意味を捉えていなかった。

 俺が本物で、マサキがダブル。そう思うのは人間として当然の心理だろう。

 だがこの言葉にはもう一つの可能性が潜んでいる。

 

「………………まさか」


 一つのそれが脳裏をかすめて、俺の心に大きな不安を置いて帰った。

 さらに拍動が激しくなり比例して胸の痛みも増す。

 砂漠の中で飲む水は命をつなぐ希望に等しい……俺は医師の言葉に希望を求めた。だが医師はおかまいなく命の水を払いのける。


「安藤正樹さん、いや安藤正樹、ダブルは貴様の方だ」


 医師の口調がさきほどまでとは正反対に鋭くなった。

 だがそれほど気にならない、というより余裕が無い。医師の宣告で俺は自分自身の全存在を否定された。ショックだった。絶叫する。

 

「う、嘘だ!」

「嘘じゃない。DNA鑑定の結果で俺は気づいたんだよ。本物とダブルの見分け方をな」


 医師の一人称が‘私’から‘俺’に変わっているが、おそらくそちらの方が地なのだろう。患者に対しては礼儀正しくありたいと思っているかは知らないが、俺に対しては無礼なまでにしっかりと銃口を向けている。

 医師は続けた。


「ダブルは完璧だった。理論どおり全て遺伝子データは完璧に一致し違いは見つけられなかった。ただ一つの点を除いてだがな」

「ひ、一つの点……?」

「本物にあってダブルに無いもの、23対ある染色体の1対──それは生物の性を決定する性染色体だ。生物である以上存在していなくてはないはずの性染色体が欠落していた。穴があいたようにその部分だけが存在しなかったんだよ!」


 ペラペラ喋っていたかと思うと突然、医師は俺に向かって銃の引き金を引いた。

 銃声を残し弾は俺の背後の窓ガラスを貫通する。

 ガラスには貫通痕から蜘蛛の巣のようにひび割れが走っていた。

 恐ろしくなりその場から逃げ出そうとしたが、医師に銃身で頭部を強打される。滝のように血が溢れ出し、俺はその場に膝をついた。


「何故ダブルに性染色体がないか分かるか?」


 医師が何か口にしたが激痛で言っていることが飲み込めない。

 血で赤く染まった視界で医師が銃口を向けている。その距離は50cmもない。数日前味わった死の恐怖とは別種の、奪われる側の恐怖。赤く染まった銃口が、まるで血を滴らせる人食いの魔物のように、俺には見えた。

 十七年の人生がフラッシュバックする。悪事を働いた覚えは無い、ごく普通の生活をしていたはずだ。このような目に合わなければならない因果も通りも見当たらない。

 ああ、やはりこの世には神も仏も存在しない……俺はそう確信せずにはいられない。


「冥土の土産に教えてやろう。ダブルは生物ではない偽者だ、完璧な、な。見た目で精液や卵が出てきても生殖能力は無い。その証拠にダブルは本物が死ねば消えてしまう。七割を超える不妊率もその事実を裏づけしている……もっとも、俺もこの事実には先ほど気づいたばかりなんだがな」


 医師は銃口を俺に押し付けた。

 悪意と欲に満ちた笑み言う。


「お別れだ。お前の遺体は本物と比較され、今後の医学の発展に大いに貢献するだろう」


 その主翼を担うの自分だとばかりに声には喜びが溢れていた。

 

「死ね」


 頭が痛む、これは頭部を強打されたからだ。

 胸が痛む、これは心臓病のせいだ。

 心が痛む、これは医師を殺さないと生き残れないからだ。こんな状況でも良心が痛むことに俺は正直驚いた。人間的な感情だ。自分は本当にダブルなのかと疑問が生まれた。だがそれも生への執着の前では水泡となって消える。

 俺は懐に隠していたナイフをすばやく取り出すと医師に飛び掛った。


「なに!?」


 俺がナイフを展開するよりも早く医師は発砲していた。

 炸裂音と共に飛び散る血しぶき。放たれた銃弾は俺の頭を貫通……しなかった。突撃した拍子に医師が体勢を崩し狙いが外れたのだ。

 だが銃弾が左肩を貫通していた。


「うわああああぁっっ!!!」


 病室内に俺のではない絶叫が響く。

 展開されたナイフを目の前にして恐怖した医師の叫びだった。

 医師が押し倒される形となる。

 銃が再び俺に向けられたが、発砲音より先にナイフが医師の眉間にたっていた。


「あっ……」


 最後の声を漏らして医師は事切れた。

 銃を握っていた手から力が失われて銃が俺の目の前に転がる。生の名残がまだ暖かい医師の体を痙攣させていた。

 俺の命を奪う者はもういない、そう安堵したのも束の間、


「きゃあああああああああああああぁっ!!」


 様子を見にきた女性看護師の絶叫に安堵感はかき消された。

 彼女は医師の死体を目にして顔をブルーに染め、震える足で後ずさりしている。


「ちっ……!」


 人を呼ばれる。そう直感した俺は医師の銃を手に取り発砲していた。

 銃弾は彼女の腹部を直撃、そのまま彼女は崩れ落ちて意識を失う。だが騒ぎを聞きつけ病院職員が来るのも時間の問題だった。


「へっ、これで俺も逃亡者かよ」


 同名の映画のことを思い出す。

 妻殺しの汚名を着せられた主人公が、脱走版として逃亡品がら真犯人探すという内容だったはずだ。もっとも俺の場合は無実ではない。

 すぐ傍に殺した男の体が横たわっている。

 マサキの顔が浮かんだ。俺がダブルだと思っていた男。俺の命になるはずだった男。俺が殺人を犯した原因になった男。そう、マサキだ。全て奴が悪い。奴が諸悪の根源だ。

 ─── 殺してやる。

 心臓欲しさではない、逆恨みから来る初めての明確な殺意。

 もう一人殺してしまった、一人も二人も同じだ。

 それにマサキを殺す、それは俺がダブルかどうか確かめるための最後の手段なのだ。


「うわあっ、なんだこれは!?」


 誰かが病室を見て悲鳴を上げた。

 俺は医師の銃を手に取りそれで窓ガラスを砕く。

 左腕の感覚は既に無い。俺は血に塗れたまま病室を飛び出した。そして走る、奴の家へ向けて力の限り。


「逃げたぞ!!」


 病室が騒がしかったが振り返らなかった。

 退路はもう無いのだ。

 俺は人を殺せるのか?

 答えは‘Yes’だった……。


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