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放課後、俺が病院を訪れた頃には双子のように月が輝いていた。
「ほう、それは興味深いですね」
医師があいつ──俺にクリソツ(死語)で名前まで同じな安東真崎、この際、俺もどちらがどちらかわからなくなるので、あいつのことはマサキとでも呼称しよう──の生徒手帳に差し込まれた写真と俺の顔を、言葉のとおり興味深そうに見比べた。
その研究対象を見つけたような好奇の視線はあまり俺の好きな類のものではない。
「どう思いますか?」
俺が少し睨みつけて訊くと、医師は生徒手帳を机に投げ捨ててイスに座り、投げやりな風に答えた。
「どう思う、と訊かれてもねえ……正直、なんとも言えませんよ」
医師はもう一度手帳をパラパラとめくったが、ため息をついてこれを閉じた。
「顔が似ている。名前が同じ。年齢も同じ。しかしこれだけではねえ……ダブルより単なる偶然の可能性のほうが圧倒的に高いですよ」
「やっぱり、そう思います?」
俺が確認で問うと、
「同一よりも似ているだけと考えるほうが普通です」
と返してくれた。
「やっぱ……そう考えますよねぇ……」
その当然の返答に、俺は頭で理解していたことながら軽い失望を覚える。
そりゃそうだ。いくら俺が臓器移植順を待つのがイヤだからって、会いたいと思った矢先に、ダブルのほうからやってくるなど常識的な判断力を持っていれば、ない、と判る。そんな、偶然道端で落ちていたケースを開けると中に一億円入っていたような棚ぼたが、ふつうありえるはずがない……仮にあったとして、後で手痛いしっぺ返しがくるのは必死だろう。
なにせ確立、六十億分の一だ。
だがそんなものにもすがり付きたくなるのが人情って奴で、俺は見事に肩透かしを食らって大きなため息を吐いていた。
「しかし、万が一ということもありますからね。もしこの写真の彼がダブルなら、世界で初めて本物とダブルが接触した事例になりますし」
医師がマサキの写真を再三見返す。
俺は、医師の言い方に違和感を覚えた。
「え……? 初めて接触って、どういうことすか? ダブルに認定された人間って少しはいるんでしょう?」
ダブル認定された人間がいるということは、少なくとも‘本物とダブルが接触した’ことに他ならない。
だってそうだろう? ダブルってわからなければ認定なんてできようはずもないんだし、認定されただけで人権が無視されるんだ、気安く認定できるようなことではないはず──そう、俺は思っていた。
だが医師の言葉にそんなニュアンスは含まれいなかった。俺が初めての接触者みたいに言っている。
医師が呆れたように俺の顔を眺めて口を開いた。
「ええ、確かにダブルに認定さてた人間は世界中に極少数存在していますよ。でも、それらが本当にダブルだったとお思いですか?」
「え……?」
「考えてもみなさい。あいつはダブルだから邪魔だ、排除しろ……なんて、邪魔者を社会的に抹殺するのには最高の手でしょうが。現在の私たちの知識では、理論的に誰々が本物とダブルとはわかっても、どちらが本物でダブルなのか判断する手段は得ていないのです。それに先ほど言ったとおり、世界中で一度も本物とダブルは接触できていません……対比もせずにどうやってダブル認定をするのですか?」
医師の言い草に俺はいやな予感がした。そして予感は的中した。
「よって、ダブル認定された人間がダブルである可能性は間違いなくゼロです……」
医師の眼鏡の奥の瞳が不気味に光ると、俺の背筋には悪寒が走った。
冗談になっていない、ダブルに間違えられるなんて最悪じゃないか。人違いで殺されるのと同じかそれ以上に性質が悪い。
医師は話を続けた。
「それもこれも本物とダブルが接触した事例がないからなんです。本物とダブル、両者を同時に研究できれば見分け方もおのずとわかってくる。この写真の彼がダブルなら、それは歴史的瞬間なんですよ」
言い終わると、医師は細長い金属のスプーンを取り出して丸イスに座る俺に向き直る。
「というわけで、口を開けてください」
「は……なんで……?」
なにが、というわけでなのだろう? ただでさえ信じ難い状況でのその要求に俺は困惑した。
医師はまたまた、今度は完全に呆れた表情で俺を見ると説明する。
「口内からあなたの細胞を採取します。理論的には、この写真の彼のDNA塩基配列と、あなたのDNA塩基配列が完全に一致すれば、あなたと彼は、本物とダブルの関係になりますからね」
「あ、なるほど」
俺は手のひらを叩いて納得した。
一卵性双生児なんてものもあるがあいにく俺は一人っ子だ。俺と同じDNAを持つのはダブル以外に存在ししないことになる。
「要するに俺がマサキの体の一部を取ってくればいいわけだ」
「そういうことですね。はい、口開けて」
「ふぁい」
俺が大きく口を開けると、医師がスプーンみたいな器具で口内の粘膜を擦って取る。
それをシャーレに移しかえると、
「じゃあ、よろしくお願いしますね」
頼み込んだのは俺ではなく、医師のほうだった。
彼は言う。
「もう一度言いますが、写真の彼がダブルならそれは世紀の大発見なんです。彼のサンプルは、くれぐれも私に持ってきてくださいよ」
医師は欲に眩んだ目で俺に念を押してきた。
世界で誰一人として知りえていないダブルの判別方法という知識欲と、それを発見した有能な研究医として評価されより高い地位を得たいという野心。それがはっきり眼鏡の下から見て取れる。
俺は‘Yes’と答えたくはなかった。その目が嫌いだったからじゃない、俺自身がダブルと比較される実験台にされるのがイヤだったからだ。ダブルは人間じゃないから煮るなり焼くなり好きにすればいいが、俺は人間であり、意思決定の権利ぐらいもっている。俺は心の中で、医師に向かって‘No’と吐き捨てていた。
だがサンプルを持ってこないとマサキがダブルであるという確信は得られない。
俺は、自分の心臓のために渋々了承した。
「わかりましたよ。体の一部って髪の毛とかでもいいんですか?」
「構いませんよ」
「じゃあ、手に入れたら連絡入れてここに来ます。先生も鑑定のほうしっかりやってくださいよ」
「任せておいてください」
医師のそのいやらしい笑みに釣られて、俺は自分の顔の筋肉が緩んでいることに気づいた。
笑っているのだ。まだ確定した訳ではない。しかし移植する心臓の当が見えてきている。それは物欲に眩んだ、俺の嫌いないやらしい笑いだった。
居心地が悪くなり早くこの場を去りたいという衝動に駆られる。
丸イスから立ち上がると医師に背を向けた、とそこである事に気づき、俺は医師に訊いた。
「先生。もしマサキがダブルだとしたら、俺はどうすればいいんですか?」
「ああ、そのような問題もありましたか……ふむ、そうですね…………」
今更に気づいた問題は医師の心中にはなかったようだ。
しばらく考え、医師は言った──
「殺してしまいなさい」
──冷たく、冷たく……俺に向かって言ってのけたのだ。
殺す、その言葉が俺の背筋を硬くした。日常的に飛び交う冗談めいた言葉だったが、死と係わり合いの深い、いや、命を助ける立場である医師が言うものとは思えなかった。
彼のほうは至って真面目に俺に言い聞かせてくる。
「ダブルに逃げられては困ります。幸い、ダブルの体が腐敗する速度は人間のソレと比較にならないほど遅いのだそうですから、殺してしまっても、数日中に冷凍処置を施せば移植にも問題はないでしょう。残ったサンプルさえ頂ければ私としても満足ですしね」
「…………でも、それって……殺人じゃないすか……」
「ダブルは人ではありませんよ」
即答。俺が意見すると医師はすぐさま切り捨て、話を続けた。
「安藤正樹さん、私が救うべき対象、それは人間であるあなたです」
「人間である、俺……」
「そうです。仮に写真の彼が重病を患っていても、彼がダブルなら私は彼に治療を行いません。なぜなら、ダブルは人間ではないからです」
なんと言っていいかわからなかった。
医療は人の命を助け、健康を望む人々の手助けをするために日々精進を続けて、可能な限りのサービスを提供している。
だがその技術は人のためにあり──人間でない、ダブルのためではない。
医師にダブルに対する同情などひとかけらも感じられなかった。実験動物を見る科学者のそれのように、ダブルを物としか見ていないことが医師の瞳からはありありと伝わってくる。マサキの手帳と一緒に、病院名が記入された紙袋に包まれた心臓病用の薬が俺の手に渡された。
だがなぜか㎎で調整されている薬がやけに重く感じられる。気持ちの問題だろうかと、紙袋の中身を覗いていると確かに薬が入っていた。だがそれ以外の金属の物体が入っている。
それは折りたたみ式のナイフだった。
「では、お大事に」
医師がにこやかに言う。
それはお決まりの文句だったが、俺には、
「マサキを殺せ」
そう言っているように聞こえてならなかった。
診察室の窓からは、二つの月が仲良く俺を見下ろしている。
ダブルかもしれないマサキに備わった俺の顔が、陽炎のように脳裏に浮かび、沈んだ気分のまま俺は診察室を後にした。
診察(実際は相談だが)料金を支払い、病院を出る。
自宅近くの道とは違い、病院前の大通りは交通の流れが非常に激しかった。
延命手段が見つかるかもしれないというのに、俺の心は晴れない。神はいても残酷なものなのだ、と俺は感じていた。
重い足を自宅へと向け、俺は歩き出した。