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──3──
ダブル。
ベットのことではない。あくまでシングルのそのベットは俺が腰掛けると、体重で弾力感を生み出すためのスプリングが軋む。安っ
ぽいそれから供給されるリラックスなど今の俺の精神状況を落ち着けるには程遠い。
帰宅して、自室に戻った俺の頭によぎるのは、医師に病院で言われたその単語だった。
「似てたよな……他人の空似で説明できないぐらい……」
螺旋を巻いているかのようにぐるぐると思考が繰り返す。
つい先刻人気のない路地で出くわした、髪型以外は俺の生き写しと言ってよい、あいつは誰だったんだ、と。
「もしかして、あいつ──」
一つの可能性が俺の中に、それこそ突如巻き起こるつむじ風のように降臨した。
「──俺のダブルだったんじゃ」
ダブル、それは唯一無二にまで本物と同じ偽者。遺伝子レベルでまで同一のそれが世界人口六十億の中に一人だけ存在している。今
日、俺が見た俺にそっくりのあいつはダブルだったのではないか。閃いた可能性とはそれだった。
約六十億分の一……確率的に考えればそれはほぼ在りえないことだ、パニックになった頭が生み出した俺の幻想だといってもいい。
──しかし、ゼロ、ではない。
頭では理解していてもその考えが頭から拭い去れない。現に、先ほどまで自分はそのことで悩んでいたではないか。ダブルを見つけ
るなど大金持ちのボンボンならともかく、ごく普通で平凡な民家で生まれた俺では協力を何処かに依頼することもできない。つまり可
能性は皆無に等しかった。
政府だって、簡単にダブルが発見できればダブルの研究にもっと費用を裂いているはずだ。しかしダブルの見分け方その他は発表さ
れていない(もしくはしていない)。唯一一般市民である俺が知っているのは、二つ。一つはダブルの肉体は本物が死ねば消滅するこ
と、二つ目はダブルと認定された人間(過去数件に事例がある)には人権が認められないことぐらいだ。
後者に至っては耳にするととんでもなく聞こえるが、ダブルは偽者で、人間ではない。人権がないのは当然のことだった。
──そして誰も、ダブル認定された人間の行く末を知らない。
もしかすると病院で医師が平然と言ってのけたように、ダブルの臓器は臓器移植用として使われているのかもしれない。だがダブル
の肉体は本物の死と同時に消滅する。運が悪ければ、拒絶反応がなくても翌日に亡くなる可能性は無きにしも非ずだ。
そう考えた途端、俺の背筋を冷たいものが走った。実行されている確証などありはしないのに、想像だけが勝ってに先走ってしまう。
「ほとんど人体実験だな……」
だがその問題も本人のダブルなら万事解決だ。
先にも言ったが、ダブルの肉体は本物の死と同時に消滅する。ちなみにこの消滅するとは、爆散したりすることではなく、影が闇に
溶けていくように消えてしまうことだ(とのもっぱらの噂だ)。それが事実なのか、誰かの一言に尾びれ背びれが付いたものかは定か
ではないが、少なくとも俺は本当のことではないかと思っていた(度々推測めいて申し訳ないが目撃していないのだから仕方ない)。
で、だ。ダブルの肉体が本物の死と同時に消滅するとして、だ。ダブルの臓器を本物に移植するとどうなるのだろうか?
これは持論だが、今日出会ったあいつが俺のダブルだとしたら、俺は相当の幸運の星の元に生まれたらしい。
俺はあの道端で拾った手帳を開いた。
〈安東真崎、十七歳>
そこには俺と漢字こそ違うが同姓同名、年齢まで同じという偶然と言い難いプロフィールが記されていた。それは通う学校こそ違う
が、俺と非常に似通った生徒手帳の中身だった。
「マジっすか?」
ほんの少しだけ、神を信じてみる気になった。