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──2──
夜、深いとまではいかないが、十分に暗い夜の入り口の時間帯。
診察を終えた俺は、人工の光が輝く街を離れ、結構に黒く染まった道を歩いている。
「ダブル、か……」
医師の一言を反芻し、途方にくれていた。
──ダブル。
聞いたことがある、いや、小学校の頃からなんども繰り返し繰り返し教師から耳にたこができるほど聞かされ続けてきた。イヤでも覚えてしまう。それは小学校の生活の本の一ページ目、目次にも堂々と名を連ねていたし、中学校の歴史の教科書にも姿はあった。
──ダブル。
決して、同じ学年を二度続けることではない。
二倍や二重という意味と思ってくれても差し支えない。
もっと端的に表現すれば「二人目」とか「偽者」というほうが正確だろう。
──いつの頃からか、この世界は全ての存在が二つになった──
いやなったのだと、俺は聞かされている。物も、動物も、人も全てが二つになった。これだけ言えば、ただの気が狂った輩の戯言と済まされてしまうのだろうが、空を見上げていただければきっと納得してもらえるはずだ。
──月が二つあった──
黄金色の皿のように丸い、満月が二つ俺を見下ろしていた。模様も同じだ。
加えて言えば太陽も二つあるのだが、俺にとってはこれが生まれた頃からの当然の風景である。だが昔はこうではなかったらしい。
なにが理由で太陽と月が二つになってしまったのかは不明だが、これが‘ダブル’というやつだ。
一つだったものが二つに、そしてどちらがどちらか見分けが付かない。もっと明快にわかりやすく言えば、ダブルとは要するに本物とまったく同じ偽者である。さっきの月の例で言えば、同時に打ち上げた月面調査船の持ち帰った両の月の構成物質はまったく同じだった。太陽で言えば黒点の位置などが二つとも全て統合する。
要するに、完全無比なまでに本物と同じ偽者、それがダブルなのだ。
そしてダブルが存在するのは物だけに留まらない。
──人間だって例外ではなかった──
世界中の人間それぞれにダブルが一つ存在するらしい。顔から体、指先から穴の毛、そして染色体に存在するDNAの塩基配列まで完全に同一な人間が世界中の何処かに一人いる。見分ける方法があるとは俺は聞いてはいなし、普通は出会うことはなしに人生は終わってしまうと言われている。
何処から現れ何処に消えていくのか、ダブルとはなんなのか、その存在がわかっていながらなぜ誰もダブルの存在に気づかないのか、謎を考えあげればきりがない。しかし政府もこの調査を早々に打ち切った。ダブルを見つけ出す方法はある、だがそれがどうした、真偽を見分けられなければ意味がないではないか。
真偽交合ながら平穏といえる六十億人の生活を脅かしてまで、三十億人の偽者を絞り上げることに意味はなかった。
それに、ダブルは社会構成の単位として細部にまで既に浸透してしまっていたのだ。ダブルが仕事を持ち、本物とは全く関与せぬ場所で家庭を持ち、生活している。ダブルという存在自体は謎に包まれていたが、それが普通となっていた。
だが間違いなく、一人、俺の偽者がいる。
それが俺の命を救う方法。
「ダブルは本物と遺伝子レベルで同じ偽者。ダブルの体は俺の体と同じ。その心臓を移植すれば、それは俺に拒絶反応もなしに完全に適合する」
納得のいく話だった。
確かにその方法なら確実に助かる。俺としては、移植順をただ待つのなんかより遥かにいい。
だがここで一つ問題が浮上する。
どうやって見つけるかだ。単純だが恐ろしく難しい問題。それに俺は途方に暮れて、トボトボと歩いていた。
「ったく、どうすりゃいいんだよー」
と、俯いてぼやいていたときだ。
「うわわわわわっ、危なーーい!」
「え?」
顔を上げると、しっかりライトをつけた自転車が俺に向かって突っ込んできていた。
危ない、そう思ったときにはもう遅く、体を捻って避けようとしたものの正面衝突してしまう。自転車に乗っていた奴はサドルから吹っ飛び、俺は自転車を受け止めるようなかたちで仰向けに倒れた。
アスファルトにぶつけた頭ががんがん痛む。男と決まったわけではないが、野郎、ただでさえ悪い成績がさらに悪くなったらどうしてくれるつもりだ。俺はぶつかって来た相手を睨みつけた。
「てめえ、何処に見てやがんだ!」
「ご、ごごごごごめんなさいっ」
そいつは俺と同じように学生服(他校の)を着ていた。
少し距離がある上に暗いので顔はよく見えないが、背格好が俺にとても似ている。おどおどとした声の調子で謝りながらそいつは俺に近づいてきた。こけっ放しの俺に手を差し伸べてくれる。
「なっ……!?」
だが俺はその手をとることはなかった。正確には、近くまで来て見えるようになったそいつの顔を見た途端瞳が止まり、手をとる事ができなかったのだ。
──同じだったからだ。
髪型は違った。だがスラリとした眉、二重まぶたに整った目鼻立ち、まるで鏡の前にでもいるかのような錯覚に陥るほど二枚目で(と俺は自負している)瓜二つだ。世界には三人自分のそっくりな人間がいるというが、これは……湖面に映った自分の姿がそのまま現世に体現してしまったかのようである。
似ている、そう思ったのは相手も同じだったらしく俺の顔を見て目を白黒させていた。
「あああああああああああああああああぁぁっっ!!」
そして絶叫。これは俺もだが、あまりの驚きに互いの顔を指差して3mほども後ろへ跳び下がってしまった。
「なんで俺が二人いるんだ!?」 「なんで僕が二人いるんだ!?」
叫びの内容もタイミングも完全に同じだった。唯一違うの人称だけ。
もうわけがわからない、と。
「ひいいぃぃぃっ!!」
俺にそっくりのそいつ(微妙にややこしい)は、情けない悲鳴を上げて猛スピードで逃げていってしまった。
だが、気持ちはわからんでもない。人気のない道(現にそいつが去ってから俺一人しかいない)で夜中に、自分と同じ顔をした人間に出会ったんだから不気味でしょうがないだろう。俺の足も力を失いガクガクと震えている。
そのときは、そいつが手帳らしきものを落としていったことに雨露ほども気づいてはおらず、
「び、びびったぁ……」
俺はその場に崩れ落ちたままで、少年が走り去った方向を呆然と眺めていた。