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ONCE 一度だけ

作者: 恵奈
掲載日:2026/03/19

 



 ……キスとか

 ……SEXとか

 オトコノヒトは、どんな気持ちでするんだろう

 彼女じゃない誰かと

 恋でもないのに

 だけど

 そこにやさしさがあればいいと思う

 ……同情でもいい

 本能だけじゃなくて

 気持ちが

 何かひとつだけでも気持ちがあれば



 キスをしたことがあった。

 一度だけ―――。



 落ち込んでいた、その時。

 いつものようにひょいと気まぐれに私を訊ねてきたのその人は―――『彼の友達』だった。




「元気しとるか」


 なつっこい笑顔で、その人は私に言う。


「元気だよ~」


 つられるようにして、私も笑える。


「どう、最近。飲みに行かない?」


 高校生の私にそういう誘い文句は本来ダメだと思うんだけど……断るわけなくて。


「うれしー」


 いそいそと出かける用意をする。


 季節は冬。

 コートの下までモコモコと着込んだ私とは対照的に、彼は薄着。

 スタスタと数歩前を歩いていく。

 コレが彼だったら。

 なんとなく寂しく感じてしまう後姿も、彼なら平気だった。


 ―――そんな距離が私たち二人には似合ってるような気がした。




「尚也、今度いつ休み?」


 タバコ片手に生ビールの一気飲み。

 男っぽいなー、なんて内心思いながら。


「知らない。このごろ電話ないし」

「そっか」


 尚也、って言うのが私の彼氏の名前。

 2コ年上で、もう働いてるヒト。最近忙しいのか、連絡もない。

 私の落ち込みの原因だったりするんだけど。


「雅史のほうは? 彼女とどうなの」

「あー……、まあ、それなりに、な」


 雅史。今私の目の前で2杯目のビール飲んでるヒトの名前。

 よく遊んだり、飲みに行ったり。

 いろいろと誘ってくれるけど、雅史にも、ちゃんと彼女がいる。

 そしてその彼女とは年が8コも離れていてて、いろいろあるらしい。

 ちょうど、私と彼が離れて住んでて、いろいろとあるように。


 そんな共通点が、二人でいる時間を心地よくしていたのかもしれない。



 雅史は尚也と違って、けっこうたくましい系。

 だから、二人で歩いてる最中、いきなり抱きついたり飛びついたりしてもOK。

 いつも触れ合える距離に尚也がいないせいか、私はよく雅史に抱きついたりしていた。

 彼のほうも、嫌ではないようで、わざとよけたり、抱きつき返してきたり。まるで兄妹のようにじゃれついては遊んだ。

 包容力って言うのかな。

 尚也にはないあったかさとか、大きさとか。

 居心地良かった。

 安全だ、って思ってたからかもしれない。





 キスしたときの状況、は。

 酔った勢い、だった。……と思う。


 私が尚也のことを相談してた日のこと。

 二人で飲んだあと、送ってきてくれた、家のドアの前。

 不意打ち。振り向くと至近距離に顔があって、気がつくと唇がくっついてた。


「……っ!」

「麻理はかわいいから。……自信持てば?」


 悪びれない笑顔でそう言われて、顔が真っ赤になったのを覚えてる。


「何よそれ~」


 不思議と、イヤじゃなかった。ただ、びっくりしただけで。

 もう処女でもなかったし、キスぐらいで騒いだりするのもなんとなくみっともなく思えたし、ただバシンと雅史の胸を叩いただけ。


 ……尚也しか、知らなかったから。

 少しはドキドキしたりもしたけど。

 雅史のことは。

 やっぱり『彼の友達』でしかなかった。

 ―――その時は……。








 尚也に、女の影を感じた。



 尚也の勤める会社の社員寮。隣の県の、うちからだと電車で1時間かかる尚也の部屋に、週末ごとに泊まりに行く。

 合鍵をもらっていたし、例えば尚也がまだ仕事から帰ってなくても私はその部屋に入ることが出来た。

 学校が終わると、自宅とは正反対のそこへ向かい、部屋で一人待ってたりすることもあった。


 そんなある日、私は見つけてしまった。ううん、……見つけたと言うより、目に入った、と言った方がいい。

 ―――机の上に、無造作に置かれた手紙。

 こんなとき、読んじゃいけないんだろうな、と頭の隅で警報が鳴る。

 だけど、あまりにも無造作に置いてあったし、封も開けてあった。手紙自体、封筒から外に出ていたし……。

 言い訳にしかならないんだけど、伸ばした手を、引っ込めることが出来なかった。


 文面から読み取れることは―――。


『この間は楽しかったです、また連れて行ってくださいね♪』


 ……どこか出かけたの?

 丸い、女の子の文字。可愛い便箋につづられている言葉。


『やっぱり好きです、あきらめきれない~っ』


 ……スキ?……好き?


 苦しかった。

 あきらめきれない、ってことは、尚也がそのコの告白を受けて、そして断ったことを意味してるんだけど、二人で出かけたことがあるという事実や、一言も私には話してくれなかったこととか。……いろんな意味でショックだった。

 そして、なによりもイヤだったのが。

 今夜私が来ることを知っているのに、こんなふうに無造作に手紙を置いておく無神経なところ。

 なんとなく、涙が出てきて、悔しくてたまらなかった。



「仕事先にバイトに来てるコで、もう断ったから。気にすんなよ」


 そんなふうに言った尚也を、私は信じることしか出来なかった。






 それからしばらくして。

 尚也は私に友達を一人紹介した。

 彼氏の友達に紹介されるって、けっこう嬉しかったりする。

 だけど、びっくりした。

 その友達と二人きりになったとき。―――聞かれた言葉に。


「彼氏いないの?」

「え……」


 ショックだった。

 尚也は、私のことを彼女だと、その友達に説明していなかった。


「私、彼氏いるよ。尚也だよ、それ。ねえ、尚也、そうだよね?」

「当たり前じゃないか」


 首をかしげるその友達よりも、私は尚也を信じた。

 即答してくれた尚也を、信じたいと思ったからだ。

 もしその時……そう信じなかったら、私はぺちゃんこにつぶれちゃってたかもしれなかったから。



 ―――多分、いつからか無意識のうちに【終わり】を感じてた。



 ずっと、心のどこかで知っていた。

【終わり】がこの道のすぐ先にあることに、私は気付いていた。



 それでも、私は目を閉じ、それを見ないようにしていた。

 人を好きになって、その人に好きになってもらえて。

 2人でいることの幸せを知ってしまったから、一人ぼっちになるのが怖くて、だまされたままでいることを望んでいた。

 尚也がうまくやってくれることを願っていたの。

 私にこれ以上、女の影を感じさせないで。

 何も知らないままなら、まだ私があなたの一番だと信じていられる。

 姿の見えない【もう一人の女】がいても私は知らないフリをしているから、このまま尚也と私と、つながったままでいることを望んでいたの。

 そんなふうにして、私の「見ようとしない」努力によって、私と尚也はつながっていた。

 ぎりぎりのところで。






 そんな日々は、唐突に終わった。


 彼の帰りを待ちながら、小さな部屋の中にいたとき。

 その瞬間はついに訪れた。

 チャイムの音に、ドアへと向かう。

 小さな覗き穴から見えたのは、女……。



「いつから?」

「…………」


 仕事から帰って来た尚也は、小さなため息を何度もついた。

 女のほうからすでに事情を聞いてるらしく、私がいても驚きもしなかった。

 そして、聞きたかった言い訳も、ついに一言も漏らしてはくれなかった。

 出来心だった、とか。

 言い寄られてしかたなくだった、とか。

 本当に好きなのは麻里だよ、とか……。



 冷静だったと思う。


「どっちを選ぶの……?」


 それでも答えを分かっていながら、聞くのはつらかった。


「ごめん。麻里を選べない」

「……」


 はっきりと切り捨てられた事実に、私は打ちのめされた。



 苦しくて、くやしくて。

 そして、それは自分ではどうしようもないところで起きていて。

 ただ黙って夜の道を歩いて。

 ……助けて欲しい。

 バスに乗ったり、タクシーを止めたりしなかったのは、もしかしたら尚也が追いかけてきてくれるかもしれない。……まだどこかでそう思っていたから。

 今のこの私を助けることの出来るただ一人の人。

 好きで好きで。

 本当に好きで。

 全部をあげた人。


 一度別れたこともあった。

 どうしても二人でうまく付き合うことができなくて、私のほうから言い出した別れ。

 そのときは彼のほうから、「よりを戻してほしい」と請われた。

 ……でももう、請われることはない。

 私に代わる人が、彼には居て。――――――私は捨てられた。



 泣いたら、少しは楽になれるのに、涙は出てこなかった。

 ただ寄りかからせてくれる、〔誰か〕を求めていた。




 何度か通ったことのある道。

 電話越しの声を思い出しながら足を進めた。

 手にはコンビニで調達してきたビール。

 ―――笑える。

 尚也に振られたというのに、私が助けを求めた人は―――『彼の友達』だなんて。



 雅史の家のすぐそばまで来た時、門のところに人影が見えた。

 首をかしげ、その人物を確かめる。


「よお」

「雅史」


 薄闇の中、雅史の表情は確認できなかったけど、なぜだか安心した。

 いつものくせで、つられて笑顔になる。


「遅くにごめんね。コレ、差し入れ」


 コンビニの袋を差し出すと、それを受け取ったあと、もう一方の手が私の身体を抱き寄せた。

 正直、驚いた。

 雅史に、こんなふうに抱きしめられるのははじめのことだった。いつものふざけてするのと明らかに違うやさしい腕。

 心の奥が軋んで悲鳴に似た音が頭の奥で鳴る。


「雅史、大丈夫だから。……大丈夫なんだから、ほんとに」


 戸惑いが、そのまま言葉になる。


「ムリしなくていい」


 雅史の声が、私を包んだ。

 そんな言葉をかけてもらえるとは思っていなかった。こわばってた私の感情がほどけてしまいそうになる。

 ぶっきらぼうな抱き方。頬を押し付けた雅史の服は夜の冷気のせいで冷たくて。なのに、伝わってくる雅史の気持ちは暖かかった。


「ムリなんて……」


 ―――ずっと、してた……。

 痛いほど苦しくて、だけど悔しさから、尚也の前では泣けなかった。

 一人になったところで泣いても惨めで、情けなくって、泣けなかった。

 だから。こんなふうに不意に優しくされたら―――。


「……っく……」


 張り詰めていた糸が途切れる。容量を超えた心の痛みが、そのまま目から涙になって溢れ、零れ落ちてゆく。

 ただ、何も言わず、抱き寄せてくれる腕。

 あふれる涙を受け止めてくれる胸。


 涙はしばらく止まらなかった。



「ま、汚いけど適当に座って」


 トイレから戻ると、雅史が床に散らばってるいろんなものを脇にどけながら、私の座る場所を作ってくれる。

 水に濡らしたハンカチを目元に当てたまま、そこへ座る。

 トイレで鏡に写った自分の顔を思い出し、急に恥ずかしくなる。びっくりするほどに目を泣き腫らしていた。


「こっちのほうが冷たいって、きっと」


 普段と同じような口調が、ヤケに染みる。


「ありがと」


 手渡された缶ビールをそのまま目元に当てる。

 ひんやりとした感触が目元に気持ちいい。


「ねえ、知ってた?」


 缶ビール越しに雅史を見ると、困ったように頭を掻いていた。

 ふーっ、と息を吐き自分の高ぶった気持ちを静める。


「……そっか」


 知ってたんだ―――。

 雅史はどんな気持ちで私のことを見てたんだろう。

 疑うべきところに目をつぶり、尚也の『彼女』という位置にしがみついていた私のこと。だまされたいと願うバカな女のことを。

 今になって思えば道化でしかない自分。それでも、私は必死だった。

 ……笑ってた? ねえ、私を見て笑ってた?


「悪かったな。……男の友達ってこういうもんなんだよ」


 背を向けたまま、低い声がそう言う。

 その背中には、罪悪感があるように見えた。


「……」


 もしかしたら、雅史は、私が思ってる以上に私のことを気にかけていてくれたのかもしれない。そんな思いが頭をよぎる。

 何度も飲みに誘ったり、相談に乗ってくれたり、あのときのキスも。……雅史なりのエールだったのかな。


「べつに雅史を責めようとか、そんなんじゃないの。ただ、知りたくて。……もし雅史が言ってたとしても、私信じなかったかもしれないし。……私、必死だったもん、みっともないくらい。だから……あんまりそゆこと言えないよね、ふつう」


 へへへ、と弱々しく笑うことしか出来なくて、なんとなくビールをあわてて流し込む。


「時間かかるだろうけど、ちゃんと吹っ切るし。何とかなるよ」

「がんばれ。……ってこんなことぐらいしか言えないけどな、俺も」


 立ったまま一缶目のビールを飲んだ雅史が、二缶目のビールを手に隣に座る。

 一瞬触れた腕に、思わずドキンとした。

 すぐ横にある雅史の存在。

 こんなときなのに。……こんなときだから……?

 ちらりと視線をめぐらせれば、まるで雅史の腕の中が、とても素敵な場所のように思えた。

 ついさっきまで私を抱きとめて、枯れるまで存分に泣かせてくれた場所。

 傷ついた心が、誰かの優しさを求めてた。


 ―――私、甘えてもいいかな……。


 傷つき、疲れて。弱り果てて。

 どうしようもなく寂しくて。

 そんなときに、求めるのは……罪、なのかな……。

 あとで後悔するかもしれない。

 だけど、ぬくもりが欲しかった。


 ことん、と雅史の肩に頭を乗せた。

 誘い方とか、よく分からなくて、なんとなく距離を縮めたらいいのかな、と思った。

 しばらくして、雅史の腕が私の肩を抱き寄せたとき、ものすごくドキドキした。

 心の傷の痛みが癒えたわけじゃないけど、その鼓動はまるで麻薬のように痛みを感じさせなくしてくれた。




 雅史は、私のことを抱いてくれた。

 ためらいがちだったのは最初だけだった。

 お互い、相手にかける言葉も、かけて欲しい言葉も思い浮かばなくてただ黙ったまま、行為に没頭した。


 ―――尚也と違う唇。

 ―――尚也と違う指。

 ―――尚也と違う身体。

 ―――尚也と違う行為。


 身体の表面をすべる愛撫は、より鮮明に私の中に残る尚也を思い出させた。

 尚也じゃない、と感じてしまうひとつひとつのことが私を苦しめる。

 それでも、それが妙に心地よかった。

 涙を流すことは出来ても、痛いよ、苦しいよ、と泣き叫ぶことの出来ない私の【声】が、嬌声へと形を変えて体外へと吐き出されていく。

 膿のように、何もかもを出して空っぽになりたい。


 私の胎内に入って来る、尚也以外の初めての人。

 私が尚也を想って抱かれているように、雅史も誰かを想って抱いているのかもしれない。

 単純に、失恋したての女の子につけ込んだ、とは思えないその所作。

 乱暴になりきれない愛撫の手は、優しさを感じさせた。

 身体を気遣う、一瞬の躊躇や、確かめる視線。

 彼女じゃないんだから、そんなに優しくしてくれなくてもいいのに。

 もっと粗野に、本能のままでもかまわないのに。

 ……でも、それが嬉しかった。

 雅史なりの優しさだと、信じたかった。


 ―――「好き」と囁くことのない、初めてのその行為に溺れた。



 朝になる前に、私は雅史の家を出た。


 帰り際、一度だけ引き止めてくれたけど、雅史も少し困ってるように見えた。


「家でゆっくり寝るよ。失恋したし、泣いたし、えっちしたし、疲れた」

「なんだよそれ。……まー、そんだけ言えるなら上等か」

「ん。立ち直るよ、どうにかして」


 いつものように、笑ってくれたらいいのに。

 そう思っていたけど、雅史の笑顔はいつもと違う気がした。

 後悔してる?

 それとも後ろめたい?

 私は、もう半分ぐらいは立ち直りかけてたのかも。……雅史のおかげ。


 じゃあね、と軽く手を振って別れた。



 家へ帰って、服を脱ぎ散らかし、そのままベッドへ入る。

 そのまま心地よい疲労感の中でとろとろと眠りにつく。

 そしてふと思った。

 雅史は私とのこと。

 尚也に言うんだろうか。




 好きじゃない相手と寝ることって、あんまりほめられた行為じゃない。

 私の場合、雅史。

 スキとキライで分けるとしたら、なんとなく『スキ』になるぐらい微妙な位置。

 でも、当時きっと後悔しないと思ったとおり、2年たった今も後悔はしてない。



 あの夜から、数ヶ月の間、雅史は以前と同じように、


「元気しとるか?」


 と飄々とした笑顔で遊びに来た。

 バイトとか、ガッコウのこととかで落ち込んでるときっだったり、絶妙のタイミングで、いつもありがたかった。

 そして二人の間で、あの夜のことが話題になったことはない。

 だから、あの夜のことを、雅史がどんな風に思ってるのか知らないし、そのことを尚也に言ったのかどうかも知らない。

 以前と変わらない様子に、後悔してはいないことだけ、わかる。

 ―――そんな風にすごした数ヶ月。私たちはあれから、一度も寝たりすることはなかった。



 そうしてるうちに、私に新しい彼氏ができて、それきりになった。

 高校を出て、引越しをし、偶然出会うこともなくなった。

 元気にしてるんだろうか、と時々思い出す。

 そしてある日、雅史の事を聞く機会に恵まれた。

 皮肉にも私は、尚也と偶然再会した。



 好きだった人のはずなのに、久しぶりに会ったということに特別な気持ちはわいてこなかった。

 おざなりに挨拶し、お互いの近況を話しながらも、私の聞きたいことはひとつ。


「雅史は今どうしてるの?」

「結婚したよ」


 当時付き合ってた、年上の彼女と結婚したという。

 なぜだか、嬉しかった。








 ―――今だから言えること。

 尚也とのことよりも、ずっと深く印象に残ってる雅史のことを、私はやっぱり少し好きだったんじゃないかと。

 友達、と堂々と呼べる期間もなく、ただ『彼の友達』だった雅史のこと。

 そして、一度だけ私を抱いた雅史のことを―――。



 私の中に、雅史の思い出があるように。

 雅史の中にも、私が少しでもいいから残っていてくれればいいと思う。

 スキじゃなくてもいいから。

 私に分けてくれたやさしさを、覚えててほしい。

 ―――そう願う。





過去サイト初出2003/05/15-20

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