第一話 奇跡の子
「神父様、こだま様の所へ行って参ります」
山奥の小さな村の小さな教会で、少年が神父に声をかける。くたびれた麦わら帽子を被った神父は草をむしる手を止め、立ち上がった。
「よっこら、しょ。ああ、腰が……」
腰をトントンと叩く手には深い皺が刻まれている。
「神父様、草むしりなら僕が後でやります。あまり無理をなさらないでください」
「ありがとう、ギルは本当に優しい子ですね」
「……いえ、神父様の方こそ優しいですよ」
ギルの表情は笑顔であるものの、すっと影が差したように見えた。神父は軍手を外し優しく頭を撫でる。神父は知っている。ギルは引け目を感じて少しでも神父の役に立とうとしていることを。
十年前、村の近くで大きな土砂崩れが起きた――――。
雨が上がった翌朝、馬車道は土砂に埋もれており、村人たちは総出でその片づけに追われていた。そのとき、一人の男が使うシャベルに堅いものがぶつかる。
「ん? 石? いや、木だな……お、おい! 馬車だ! 土砂の中に馬車が埋まっている! 誰か手伝ってくれ!」
土を掘り起こし、馬車の屋根をはぎ取ると、男と女が何かを守るように折り重なっていた。その男女の隙間からか細い声が聞こえてくる。
「赤ん坊だ! 神父様! ここに赤ん坊が……生きています!」
「おおお……なんという奇跡……」
神父はか細く泣く赤ん坊を抱き抱え、頬に付いた泥を拭う。
「身寄りが見つかるまで私が預かりましょう……」
翌日から神父は、近隣の町や村を巡り、赤ん坊の身寄りを探し続けた。しかし、その声に応える者はいなかった。
半年後、神父は赤ん坊にギルという名前を付けた――――。
「ああ、そうそう。木霊様の所へ行くのならこれを持ってくと良いでしょう」
神父がポケットから銀色の掌サイズの球体を取り出し、手渡す。
「鈴……ですか?」
「昨日、タロさんが森で大熊の足跡を見たって言っていたのですよ。木霊様の所とは反対側の北の森ですが念のためです」
「わかりました。こだま様にも何か知っていらっしゃるか聞いてみます」
ギルは鈴を斜めかけの鞄にしまうと、一礼をして南の森へと走っていった。
「見えぬ者ではなく、人との繋がりも大切にしてほしいものです……」
誰にでも優しいギルだったが、笑顔を作り、何処か一線を引いている。神父はそんな風に感じていた。
「こんな小さな村では生きにくいのかもしれませんが……」
小さな村では人と人との繋がりが強い。そんな中に一人異質物が紛れ込んできたのだ。村の住人もギルを受け入れてはいる。しかし、腫れ物に触るように接していた。
かわいそうな子。
もしかしたらそれを感じて取っているのかもしれない。ギルの背中を気遣わしげに見つめ、神父はため息を一つこぼした。
◇
「こだま様~!」
大きな木のバケツを両手で持ち、ギルはよたよたと神木へと近付いていく。ギルの声に応えるように神木がざわざわと揺らぎ、枝と枝の間から光が溢れだした。
ギルが木の根本に到着するとバケツを地面に置き、両手を上に広げ見上げる。キラキラとした光の中から大きな新緑の葉がひらりと落ちてきた。
「お待たせしました」
葉だと思っていたものが新緑と同じ色をしたワンピースに変わり、ふわりと揺れる。ギルの胸の中には、いつの間にかくりくりと丸い瞳をした幼い女の子がいた。
いくら小さな女の子だからと言って、上から落ちてきた子を少年が抱き止めることが出来るはずがない。しかし、この女の子は木の葉のように軽かった。
ギルの胸から静かに降りた木霊は、湧水を入れたバケツを覗き込む。
「喉が渇いているのですね。今、用意します」
ギルは、肩にかけていた鞄からコップを取り出し、バケツの水を入れて手渡した。キラキラと光を浴びた水を受け取ると、木霊は一気に飲み干す。木霊の体は少しだけ透けていたが、体に入っていく水は見えない。
「もう一杯飲まれますか?」
木霊は短い髪を揺らしながら首を左右に振った。今度は開いたまま地面に置かれた鞄を指さしている。
「え? 鞄? ああ……これですか?」
中から取り出した鈴を見ると木霊の瞳が輝いた。ギルから鈴を受け取るとカラカランと音が鳴り、目を見開く。
「鈴ですよ。見たことありませんでしたか? こうやって振ると音が鳴ります」
ギルが鈴を振る素振りをすると、木霊も同じように振った。カラカラカランと鳴り響く音。自分が止まれば音も止む。それが楽しいのか何度も真面目な顔をして繰り返した。
「気に入られたのですね。こだま様、一度そちらを貸していただけますか?」
木霊は首をかしげながらもギルに鈴を返す。ギルは微笑むと、鞄の中から麻紐を取り出し、鈴に紐を通し結ぶ。
「はい、差し上げます。胸にかけておけばこだま様が動く度に音が鳴りますよ」
鈴を木霊の首にかけるとギルは飛び跳ねて見せた。木霊はまたギルの動きを真似て飛び跳ねる。カランカランと音が鳴り、木霊は鈴をじっと見つめた。
「どうされました?」
ギルが首を傾げると、木霊は急に飛び付いてきた。
「わあ! ちょっ、こ、こだま様! あはは、くす……ぐったいです」
木霊の愛情表現なのか表情も変えずにキスの雨を降らす。神木もさやさやと揺れ、喜んでいるようだった。木霊は満足したのかふわりと浮かび、鈴を鳴らしながらあちこち飛び回りすっと消えた。
鈴の音が消え、遠くで鳥のさえずりが聞こえる。
「あ、大熊のことをお聞きするの忘れた……まあ、また明日お聞きしよう」
神木を見上げ呟くと、ふっと笑った。大きく空気を吸い、神木の匂いを取り込む。根本に座り瞳を閉じた。風が心地よい。
ここはギルが唯一心を開き笑える場所。
村は息苦しかった。
村の住人も神父も嫌いではない。
みんな優しい。
だけど……。
――――奇跡の子。
影でそんな風に呼ばれていた。ギルはそんな二つ名が嫌いだった。
奇跡なんて欲しくない。
ぼくはあの時助からなければ良かったんだ。




