“白い結婚”だと……我が漆黒に染めてくれよう!
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「この結婚は、形式上のものです。互いに干渉せず、感情を交えず。あなたが僕を愛する必要もないし、僕もあなたを愛することはありません。いわゆる“白い結婚”というやつですね」
第三王子クロノスのその言葉に、ホワイティアは口元に影を落とし、妖しく笑みを浮かべた。
「ふ、ふふ……良かろう。我が魂に刻まれし漆黒の盟約……形式だけの契りなど造作もない……!」
彼女の名はホワイティア・クライツァ伯爵令嬢。かつて世界を恐怖に陥れた魔王の魂を宿す転生者であった。だが、周囲からは変人として扱われていた。
(愛? 婚姻? 絆? そんな人間が語る妄執に、我が心は微塵も震えぬ)
「では、契約といこう……虚ろなる白の誓いを、この指先に刻もうぞ」
互いに手を伸ばし、白い羊皮紙にサインを交わす。白い契約書。白い手袋。白い装い。白い関係。
しかし、魔王の魂を宿す彼女は、白を忌み嫌った。望むはただ一つ、闇がその純白を覆い尽くすこと──。
(フハハハ……形式だけで済むと? 甘いな、王子。貴様もいずれ、闇の虜となろう……! 我は黒を愛す。白などは愚かな虚飾に過ぎぬ。この“白い結婚”を、真の漆黒へ堕としてやろう──!)
◇
クロノスとの生活は、ホワイティアにとってあまりに退屈であった。
互いに干渉せず、関与せず。まさに“白い”仮初の共生関係。
(この静寂は、もはや試練……だが崩す悦びは完全であればこそ甘美……だが、誤算もあった。奴の声が、笑顔が……あまりに無垢で、憎めぬものとはな)
「や、やめろ……その微笑み、まるで聖光のごときもの……我が理性が蒸発する……っ」
枕を抱き転げ回る彼女は、自らの矛盾に苛まれながらも、計画を着々と進めた。
クロノスの寝室のカーテンを漆黒に替え、枕には悪魔的刺繍を施し、夜着は絹の漆黒へ。香には魅了の魔法の如き効果を忍ばせた。
すると──
「……あれ? なんだか部屋が暗いけど、妙に落ち着くな」
(フフ……ようやく貴様の魂が闇の甘美に気付きはじめたか……)
◇
真夜中。
ホワイティアは、夜の帳が降りるたび、己の存在を世界に知らしめる儀式を欠かさなかった。そのため、毎晩のように王城の屋根へ登り、闇に向かって声を張り上げる。
「聞け、闇に蠢く存在どもよ! 我こそは漆黒を統べし終焉の支配者なり! 闇の深淵が我を讃え、星の囁きすら沈黙する……! いざ感じよ、我が暗黒の鼓動ッ!!」
しかしその晩、瓦の端に足を滑らせ、彼女の身体がぐらりと傾いた。
「ぐっ……この程度で堕ちる我ではない!」
だが、落下寸前のところで、伸ばされた手が彼女の腕を掴んだ。クロノスだった。
「ホワイティア。まさか、そんな無茶をするなんて……面白い人ですね」
「……ふん、愚かなる王子よ。我を侮るなかれ。これは漆黒の儀式の一環にすぎぬ」
そう言い張るものの、顔の赤みは夜の闇では隠しきれなかった。
◇
翌朝。
ホワイティアは、城の大階段を見下ろしながら眉をひそめていた。下りるのが面倒だったのだ。
「ふ、階段など我が歩む道に非ず。闇の風が我を運ぶのみ……!」
そして一息に飛び降りた──が、空中でバランスを崩し、着地寸前で顔面から床へ激突しそうになる。
「しまっ──」
そのとき、またしても彼が現れた。クロノスが素早く彼女を受け止めたのだ。
「ホワイティア……またですか。そんな無茶、やめてください。怪我でもしたらどうするんですか?」
「……ふん、今日は魔力の流れが乱れていただけだ。我が本来の力、見誤るなよ?」
「本当に面白い人ですね。あなたのような女性に会ったのは初めてです」
「我も、貴様のような……干渉が過剰な男は初めてだ……」
そう口を尖らせながらも、ホワイティアの胸の奥には、淡く、温かな火が灯りはじめていた。
◇
ある晩、ホワイティアは眠れずに廊下を歩いていた。すると、開け放たれたクロノスの寝室から、ふと寝息が聞こえた。
そっと覗くと、彼は穏やかな顔で眠っていた。月明かりに照らされたその横顔が、やけに神々しい。
「……ば、馬鹿げている……なぜ貴様のような光の使徒に……我が心がざわつく……?」
踏み込むべきでないとわかっていた。でも足が止まらなかった。
気づけばベッドの傍に立ち、彼の髪に指先が触れていた。
(……このまま口づけを交わせば、契約は崩壊し、白き誓約は黒き盟約へと転ずる……)
「……いかん。まだ時は至らず。我が先に歩み寄るなどできぬ。それは、堕ちた者のすること……!」
それは契約の枷ではなかった。魔王としての誇りだった。
だがその瞬間、クロノスの手が、不意に彼女の指をそっと握った。
「……ホワイティア?」
「ぬ、ぬわあっ!? な、なんでもない! 我はただ……深淵より貴様の安寧を見守っていただけだ! そ、それでは、おやすみであるぞ、光の王子ッ!」
彼女は顔を真っ赤にし、まるで逃げるようにその場を去った。
クロノスは、その後ろ姿を微笑みながら見送った。
その夜、ホワイティアの胸の奥には、かつてない熱が宿った。
(……な、なんだ、この高鳴り……鼓動がうるさい……!)
かつての魔王の心に、かすかな人間の情が滴り始めていた──。
◇
翌朝、クロノスが言った。
「最近、ホワイティアの香りが好きになってきました」
(……なに? 魅了の効果が効きすぎているのか?)
「それに、黒も悪くないと思い始めたんです。夜空の色、君の瞳の色……心が落ち着くんです」
(待て、それはつまり……既に我が黒に染まっているというのか!?)
「それと、昨日の夜──」
「な、何も起きておらぬ! 断じて! 月の魔女が夢を見せただけだ!」
慌てて顔を赤らめる彼女。
(我は何をしている……これが恋という名の呪いか!? 染めようとしていたのは我だが、染まっていたのは──我の心であったとは……)
ホワイティアがそう思ったとき、壁に飾られた契約書をクロノスが手に取る。
「これは、もう必要ありません」
「クロノス……?」
「形式じゃない。君と本当の夫婦になりたいんです」
彼女の胸が高鳴る。
「白き契約は無意味。黒がすべてを覆いました……。僕は君に染められたんです!」
白い契約書は炎に包まれる。燃え落ちる形式。焦げる誓約。
「フフ……漆黒の闇にようこそ、クロノス。逃れられぬぞ……この黒き絆の中で、貴様は永遠に我の傍にいるのだからな」
二人は真実の愛によって結ばれた。
白く冷たい絆から、黒く熱き愛へと──。
最後までお読みいただきありがとうございます。
※魔王の性別はありません。人間の女性に転生したので男性にときめいています。
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