プロローグ:ロン・グレイディ
ここからは三人称視点です。
「オオっ!」
石橋をそぞろ歩きする壮年の男が急に身に覆い被さるまでの波風に打たれた。被っている中折れ帽子が強風で吹き飛ばぬよう、片手で抑え付けた。
身震いする程風に煽られたが、しばらく経つと風は徐々に収まっていく。
「フゥ、帽子が飛ばされるところだったわい……」
男は一息ついて、帽子のブリムを掴み、位置を前さがりにズラす。そして改めて石橋を渡っていく。石橋の先にあるのは、赤色とも橙色とも言える夕陽の光に染め上げられた大海が広がり、その隣にはカラフルな配色の建物が軒並み集積していた。
この町は海沿いに佇む断崖絶壁の、上から下まで全体に建築物が軒並み建てられた風の町、ウェントマ。
なぜ"風の町"と呼ばれるのか?ここは世界的に見ても
風が一番多く吹く町として有名であり、穏やかな小風
から荒々しい台風まで、様々な種類の風が吹くことから"風の町"と称されている。観光の名所として広く人々から認知され、「ここの台風を一度でも浴びたいッ」という、風に対して奥深い愛情を持った、風ソムリエなる狂気じみたスリルジャンキーたちが毎日のように足を運ぶのも珍しくない。しかし今は真夏の最中という事もあり、残念ながら微かな風しか吹いていない。
毎年夏に市場の中にある大広場で豊作を祝う、収穫祭
が催される。夏は唯一作物が大量に収穫できる時期であり、それ以外の季節では度々襲い来る台風の影響で、作物が採れないからだ。今日はその祭りの前日と言ったところで、多くの人々が露店準備に追われている。
そんな中、市場では町で育てた野菜や果物が売られていて、加えて海沿いという事もあり、漁業も盛んに行われている。町の海沿いの港では漁船が何隻も身を揺らしながら停泊している。ここの海で獲れた魚などが、
「2万だ!」「いいやこっちは10万出そう!」
競りに出され、町の漁夫たちが喚声を盛り上がらせるのも何ら変わらない日常である。
町の人々の声からして全くと言っていいほど、賑わいが収まる気配など微塵も感じられない。
そこで、
市場の裏手側に回ると小道が続いていてそのまま進み、右側に曲りまた少し進むと、謎の建物が他の建物と密接するように建てられている。その建物の扉の横には看板が貼られていた。そこには
「ウェルズ修練場」とで横長の木製の板に厳しいフォントで彫られていた。そう、ここはハンターたちが日々鍛錬を積むために通う修練場である。
実は町の人間しかほぼ知らない隠れた施設なのだ。
修練場内には実技場と呼ばれる大きな道場があるが、その付近で金属同士が激しく打ち合っているような
けたたましい音が壁越しでも聞こえてくる。
道場に入るとアオアシラを模した目が離せない程に強そうな存在感を放つ、からくり機械の背中側に装着されている皮のサドルに乗りレバーを小刻みに操縦している、ここの修練場の場主である竜人族の青年、ウェルズの姿があった。どうやらある新米ハンターの実技練習に付き合っているようだ。
「おっ!ここよく受け止めたな!腕上げたんじゃないか?」
ウェルズが大きな声で口角を上げながら言った
「まだまだ俺はこんなもんじゃねぇっすよ!ウェルズさん!」
そんなこと言いそのハンターはからくりアオアシラの迫り来る剛腕を大剣型の木剣で風圧を喰らいながら持ち前の力で容易に受け止めた。
木刀を持つ彼の名はロン・グレイディ、今年で十六歳になり一週間前ハンター試験を受かって、ハンターの職に就いたばかりの新米ハンターである。まだ若いがそれなりに情熱があり、好奇心旺盛で明るい性格な少年である。だが頭は全くと言っていいほど良くなく知識試験では落第点をもらっていた。その点は他の試験者よりも大変悪く、同じ受験者からは引くほど失笑されていた。しかし"実技"、"技能"、"体力"試験の結果だけ"で受かったという、ある意味実力者?なのだ。
「ぅおらァッ!!!」
ロンは縦横全体で、50メートルくらいは広い道場全体に反響する程の雄叫びを上げ、極太の剛腕を自身の腕力だけで木剣を振り上げ、気体を突っ切る勢いで弾き返した。
「うぉ!なかなかの力だ!…」
反動でからくりアオアシラとウェルズの身体が一瞬揺れた。
(からくりアオアシラの頑強かつ重みのある剛腕を持ってしても自身の腕力だけで吹き飛ばすとは...まさか試験後こんなに腕が上がってるなんて思ってなかったぜ…」と心の中でも身震いさせ、驚嘆の笑みを浮かべる。
からくりアオアシラの押し返された弾みで後脚部から、ナットなる部品が綻び落ちる。
「まだまだァッ!!」
「うおっ!」
(速い!)
ロンはからくりアオアシラの頭上に跳躍し
「オラァッ!」
木剣大きく振りかぶり反応か遅れたからくりアオアシラのど頭テッペンに、体全体を使って木剣を思いっ切り叩き落とした。
轟音と共に床がめり込み、クレーターをつくって崩壊する。
「ハァッ!?」
(やばい避けられた)
生憎その一撃はまんまと読まれ、いとも簡単に避けられ切先は空を切る。
「おいおい隙だらけだぞっ!」
ウェルズはレバー更に小刻みに作動させ、上から目線を送り嘲笑して、からくりアオアシラの尻を反応が遅れるロンに構わず、ヒップアタックを繰り出した。
(これはさすがに変則的すぎるだろ!)
「ちょっと待てちょっ…」
鉄のように硬い尻がロンに身がよじれるぐらい圧がかかりズゥンと鈍い音と共に迫ってくる。
「グワァッ!」
尻をモロに受けて、ロンは木で組み立てられた壁に背中を強く打ち付けられた。この臀部を後ろに突き出す攻撃は実際、アオアシラなどの牙獣種が行う行動手段の一つだ。
「痛てて…」
ロンはドンと床に尻もちを付き、だいぶ
ダメージが入ったのか、自分の尻を上下に手で摩った。
「ハハハ!やはりまだまだだな!」
と言い、静止するからくりアオアシラの背に立ち上がる。
「負けてないです!もう1回!」
まだロンの闘志は燃え尽きていなかった。木剣を前に突き出し稽古をもう一度と頼み込む。
「今日はもう店じまいだ!また今度な…ってロン!お前明日で町から発つんじゃないか!」
と、ウェルズは言ったように、
実はロンはハンターの中でも少しばかり特殊な役職に就いている。
「あ!知ってたんですか?」
「そりゃあお前の師範だもの知ってるのは当たり前だろ」
そう言ってウェルズはからくりアオアシラから飛び降り、ロンに対して静かに疑問口調で問いかける。
「お前は特殊な役職に着くんだよな、確かぁ...冒険課だったか?」
「はい!」
ロンは木剣を剣先を下ろし、喉に詰まったもの押し出すかのような大声で答えた。
冒険課、それに属する者の名を"冒険者"と呼ぶ。冒険課はギルド所属のハンターの中でも世界中を巡り、その地の自然環境と地域の様子や状況をレポート、及び報告書に記載し、"王立古生物書士隊"と呼ばれる、生物全般を研究し、観察、考察を行う公的組織に情報を発信する、入職人口が少ない役職だ。それ以外にも人類が足を踏み入れた事が無いような未踏の地に赴いたり、科学的にも未だ解明されていない不可解な謎などの研究にも同行する。
「お前大丈夫か?レポートとか書けるのかよ?」
ウェルズも長年ロンと付き添っていた仲なのか、ロンの頭が乏しいことを既に見抜いている。
「大丈夫ですよ!なんせ試験後にレポートの書き方を試験官直々に聞きましたから!...速攻呆られましたが…」
自分で勝手に口走ったにも関わらず、顔を下に向け、急に口を開かず、暗い表情で黙り込んだ。
「まあ、頑張れよ。憧れのハンターになれたんだ。
ほら!シャキッとしろ!」
ウェルズは生気が抜けたようなロンの右肩を叩いて鼓舞してくれた。
「と言うか、なんで冒険者になろうと思ったんだ?」
ウェルズは興味本位でロンに問う
「えっと、それはですね……」
2年前
「ふあぁ、やっと狩練終わった……」
ロンはこの時ハンター試験を受ける為ウェルズに毎
稽古をつけてもらっている。狩練はロンが勝手に生み出した造語で、ハンターが日常的に使うような言葉ではない。ちょうど日没した頃に終わり、町の商店街を放心間近な状態に至りながらも、
(このまま進めばやっと我が安心の理想郷に帰れる!)
ロンはいつも通り家に向かい、汗を服に吸着した、疲労した体を余力で動かし、足早に通りを抜けようとした。
「さーて、早く家に帰って寝るとす……ん?なんだこれ?」ロンは食品店の隣に置かれた掲示板が目に入る。
その掲示板には貼り紙が多く貼られていたが、ロンは一枚の紙に目が移っていた。その紙にはこう記されていた。
【冒険者募集中!あなたも冒険科に入り世界を旅して みませんか?
所属可能職業:ハンター 入職助成金:3万Z】
「冒険者……なんだそれ?」ロンは"冒険"という
言葉に一瞬で心がそれに奪われ、瞳を輝かせた。
「へえ、世界を旅できる……」
(職に就いただけで三万も無償で貰えるのか、
しかもこれまたタダで他地域に赴く事もできるし………)
「面白そうだな、一応検討はしておくかぁ…」
ロンはこの時、"冒険者"になるのかを思案していた。それでも連日悩んだ末にとうとう冒険科を目指す事を決意する。それ故か、ハンター試験に向けてどんなに身が削り落ちる寸前になるぐらいにまで、日々幾多もの逆境を掻い潜ってきた。何度も走った、何度も剣を振るった、何度もからくりに吹っ飛ばされた、そうやって自身の肉体を鍛え上げ、己に眠る真剣を研ぎ澄ませてきたからこそ苦節を乗り超えたロンが今存在するのだ。
「へえ、それで冒険科に入ったと」
ウェルズも納得したように澄ました顔をしていた。
「てか俺の稽古のことお前"狩練"って言ってたのか」
「え?そこ気にしますか?」
ロンは目を丸くして、突っ込みを入れる。
「お前にもかわいいとこあるんだな!」
ウェルズはいきなり、ロンの髪を舐めるかのように撫で回した。
「ちょっ、やめてくださいよぉ」
ロンも内心嬉しそうに顔をニヤケさせながらウェルズの手を抑え、撫でるのを止めさせる。
止めた後、ロンの表情がみるみる苦笑のようなものへと変化する。
「といっても冒険という言葉だけで、入ったようなもんなので詳細は詳しくは知りませんから…でも……」
ロンが言葉を濁らす。
「でも?」
ウェルズは即座に聞き返すと、ロンもそれに応えようと口を開いた。
「でもやっぱり、楽しそうじゃないですか?世界を旅できるんですよ!他地域に赴くなんて滅多にないチャンスですし」
ロンはトーンを一段上げて口を走らせた。
世界を知る……シンプルであるがこれはこの地球に暮らす人類誰しもが思う、長年の願望である。この世界にはモンスターという巨大な生物たちが生息している事や、自然災害が度々起きる事が要因でなかなか海外に出向いたりする事が困難だ。ロンは夢を幾つも遠慮せずにくっちゃべれた時から世界にはどんな生物がいるのか、そこにはどんな神秘たる秘境が見れるか、この世の何もかもを知りたい一心。そんな自分に合う役職を手に入れたのだ。ロン本人も、喜々として胸の内処に留めている。
「ほぉう、お前がそう思うならいいんじゃないか」
ウェルズはロンを感慨深そうな顔で見つめてくると、
口を開いて、こう言った。
「まあ、とりあえず頑張れよ!せっかくここまで
これたんだ。気張っていけ」
ウェルズはロンに激励の言葉を投げかけ、肩に手を
叩きつけるように強めに手の平を乗せる。
「ハハッ、もちろん頑張りますよ!」
ロンは頭を掻きながら少し息を溜めてから笑顔で答える。
(これが時間が過ぎればきっと、ウェルズさんと会うのはこれでしばらくないだろう。
最後ぐらい、別れを惜しまないぐらいの……)
もうウェルズと会う時はいつくるのかも曖昧。
ロンは空気を一瞬で肺が満杯になるまで吸い上げて、五臓六腑が口から飛び出る勢いで、
「それじゃ」
ロンがウェルズの言葉をさえぎり、
「ウェルズさん!今まで言えなかったんですけど!俺をハンターにしてくださりありがとうございましたッッ!!!」
ロンはウェルズに感謝の意をこれでもかと声に込め、道場内にロンの声が道場全体に轟く。
「…ああ、余裕出来たらいつでも遊びに来いよ!」
ウェルズは特に動揺もせず満開の笑顔で見送る。
「はい!さようなら!」
ロンは荷物を持ち修練場とウェルズに万感の思いで別れを告げて、道場の入り口の扉を開いてから、
外側からバタンと音を立てながら扉を閉めた。
「はぁ……っていうかびっくりしたぁ…加えて、この有様とは…。こんなデケェ、クレーターよくも作りやがったな、後で一発ぶん殴ってやる!……つってな」
イラついた口調でそんな事を言ってから、ウェルズはフッと笑みを浮かべる。
「…我が子の成長を見送る親の気分ってのはこんな感じなんだな」
ウェルズは何かを懐かしむように、独り言を呟いて、
工具などを腰に付けたポーチからスッと取り出し、
破損した床とからくりアオアシラの補修に取り掛かろうとしていた。
ここからロンの物語が始まるのだ。