第89話 マナー講師レティシャ、猫獣人のケイティ
「そのフォークの持ち方で良いと思ってるんですか?」
「……ごめんなさい」
レティシャの囁きに、小さな消え入りそうな声で、背中を丸めて時夫はごめんなさいをした。
「姿勢が悪い」
「……はい」
時夫は背筋を伸ばす。
フォークで皿の緑の豆を掬おうとした。
あ!つるんと飛んでって豆がお皿から落ちちゃった。
「……はぁ」
ため息が聞こえる。
うう……怖いよぅ。
三十路になり、おっさんと呼ばれても文句が言いづらいだけの月日を生きてきた時夫は、現在、少なくとも十歳は年下の女の子にパワハラ、モラハラを受けていた。
マゾ気質で、そういうのが趣味な男だったら大喜びだろうけど、残念ながら時夫はそこまで極まってなかった。
おっさんに突入し始めてる年齢だけど、人生経験が残念ながら?不足していた。
今はちょっと良いホテルで食事をとっているのだが、レティシャは使用人だからと、一緒には座らない。
それは本人の職務倫理の問題なので時夫がとやかく言う事ではない。
しかし、時夫のそばに立って一挙手一投足を監視するのはやめて欲しい。
席に座って一緒に食べた方が良いんじゃないかな?座る場所はなるべく時夫と離れた場所でお願いしたい。
そして、レティシャには腹話術の素晴らしい才能があるに違いない。
時夫にだけ聞こえる音量で口をほぼ動かさずにチマチマと厳しいマナーの指摘をしてくる。
時夫専属マナー講師だ。
ルミィの実家のルミィ専属メイドなら、その使命を全うしてルミィのそばにいて欲しい。
時夫は緊張しながら、水色髪のメイドさんを伺いながらフォークとナイフをそっと操る。
「その顔は何か私に文句があるんですか?」
「……ないです」
この恐るべきメイドは思考盗聴の才能すらあるらしい。
顔はにこやかな笑顔なのに、目は氷点下の凍える温度で時夫を見下している。
トラブルメイカーの女神にも思考読まれて困ってるのになんたることだ。
ルミィはそんな時夫の様子には気付く様子は無く優雅にお食事を召し上がりなすっていらっしゃられる。
たすけてー。
イーナは見た目は幼女でも、年の功なのか、時夫の異変ひ気が付いていそうだ。
色素の薄い瞳でこちらをチラリを見る。
たすけてー。
しかし、同情するような表情をしつつ、自分の食事を再開した。
チマチマと行儀よく食べている。
うわーん。見捨てないでよー。
時夫はぎこちなく、緊張で碌に味のわからない食事をチビチビと口に運んだ。
そして、次の日。
大迷宮の最寄りの街まで移動することになっている。
馬車が2台に増えていた。
そして、時夫はルミィやイーナと離れ離れになった。
馬車がイジワル小姑イドのレティシャとも離れているのは大変喜ばしいが……。
「男同士気楽な移動になりますね!」
一緒の馬車を使うことになったトニーの明るさが救いである。
調理担当のトニーとは、アイスクリームのフレーバー談義で盛り上がって更に仲良くなったから道中は普通に楽しかったけど、レティシャがルミィに時夫の悪口を言っていないか心配である。
時夫の株が落ちるほど、ルミィの中での時夫の評価が高いかはわからない。
食事マナーなんかも、普段は3秒ルールの信者として、多少の土が付いても気にせず食べちゃう方だし。
ルミィにはそのお腹の丈夫さを褒めて貰ったりしてるし。
まだレティシャとは過ごした時間が少ないから、悪口言おうにもデータ不足に違いない。
うん。問題ないな。
イーナが上手いこと時夫の悪口はフォローしてくれそうだし。
頼むぜイーナちゃん!
そして、この旅の間はヘマしないように気を引き締めよう。
レティシャはまだ若いから時夫のダンディズムを理解できないのだ。
マイペースでぽけーっとしたルミィが主人とあっては、心配になる気持ちも良くわかる。
とにかく、大迷宮に入るまでは、これ以上のトラブルに巻き込まれない事を祈ろう。
そして、だいぶ夜も更けてから、ようやっと大迷宮と一番近い場所にある街、ラビルについた。
中に入る前に一応自分達でも情報収集をしようと、冒険者ギルドに顔を出してみる。
何気に他の街の冒険者ギルドに入るのは初めてだなぁ。
ルミィと何故かついて来たレティシャと共に中に入る。
因みに、イーナはお留守番だ。
冒険者ギルドは荒くれ者が多いので、見た目が子供のイーナは連れて来れない。
ルミィは一応髪を薬でミルクティー色にしているが、それでも目立つ容姿をしているので、冒険者たちが口笛を吹いて揶揄ったりしている。
それを見てレティシャが眉を思いっきり顰めているが、ルミィは慣れたものだ。
「すんませーん。大迷宮について詳しい人って誰か教えて貰えますか?」
時夫はとりあえず受付のウサギ獣人っぽいお姉さんに聞いてみた。
ギルド受付は獣人の女性がやる決まりとかあるのかな?
時夫の声に、周囲がザワついた。
「マジかよ」「久しぶりにあいつ以外で挑もうってパーティが現れたって聞いたが……」「あんま強そうじゃねぇな」「賭けでもしないか?全滅に一票」「あの女が死ぬのは惜しいなぁ」「俺は気の強そうなチビの水色の方が好みだ」
馬鹿にしたような声が話し声が聞こえる。
どうやら挑む人は本当に少ないらしい。
おっとりしてそうなウサギ獣人の受付嬢は、見た目のイメージどおりのおっとりした声で答えてくれる。
「んー……詳しいと言うなら、やはりケイティさんですねー。
裏の酒場によく居るから行ってみると良いですよー」
「ありがと。じゃあ、行ってみるか……」
ギルドを出てすぐだった。
「オイオイ待てよ!」
時夫達を引き止める声。
そこには身の丈2メートルを超えてそうなモヒカンがいた。
この世界の変に絡んでくる奴はモヒカンじゃ無いといけないルールでもあるのかな?
しかし、前に出会ったモヒカン達よりもずっと体が大きくて強そうだ。
時夫は目の前のモヒカンを、キングモヒカンと名付けた。
キングモヒカンは唇の端を吊り上げて、ニヤニヤとルミィとレティシャの身体を上から下まで睨め付けながら、
「貧弱なチビが大迷宮に挑むなんざ自殺志願みたいなもんだろ!?
オンナは置いてけよ。
どうせ神聖魔法が使えるだけの冴えない神官崩れなんだろ?
一発逆転狙いかも知れねぇが、身の程知らずの貧弱の無謀と心中させるにゃ、その二人は上玉すぎる。
そんなモヤシと死ぬことはねぇぜ。オレと遊ばないか?二人まとめて可愛がってやるよ!」
「なんて下品な……!!この方をなんと心得る!!」
レティシャ大激怒だ。
眉が吊り上がって怖いが、怒りの対象は時夫じゃないので良かった。
ルミィは図体のデカい雑魚の戯言に表情一つ変えない。
強者の佇まいだ。カッコいい。
そして時夫はキングモヒカンを冷静に観察する。
立派なモヒカンだ。
身体だけでは無く、モヒカンそのものも時夫の知るどのモヒカンよりも大きく、長く、よく手入れされている。
先端までヘタれる事なく真っ直ぐに伸びたモヒカンは、日頃から丹精込めて世話をしている弛まぬ努力が伝わってくる。
先端の方が少し赤みを帯びているのは脱色しているのかも知れない。
根本は暗いから、そちらが地の色味だろう。
しかし、脱色で髪質が落ちている事はなく、色も本人によく合っている。
まさにキングと呼ぶに相応しい雄々しいモヒカンである。
つまり、このキングモヒカンも、頭のモヒカンが弱点に違いない。
そして、5秒後。
「うぎゃー!オレのモヒカンがー!」
カチカチ山のモヒカンは悲鳴を上げながら、去って行った。
やはりモヒカン族の弱点はモヒカンで間違いないな。
「何をしたんです?」
レティシャが時夫の早業に何をしたかわからなかったらしい。
「いや、モヒカンはああやって、可燃性の油を染み込ませた布をモヒカンの上に出して、コッソリ火をつけるのが定石なんだよ」
時夫は胸を張って答えるが、せっかく暴漢をあっさり撃退したのに、レティシャの時夫評価はさほど上がっていないようだ。
「……そんなの初めて聞きました。変な魔法を使うんですね」
「変じゃ無いぞ。俺は生活魔法のカリスマなんだ」
「生活魔法……ですか」
あ、馬鹿にしてる顔だ!
やはり生活魔法の地位向上を考えないとダメだな。
どうせお嬢様のパーティメンバーに相応しく無い!とか考えてるんだろうな。
「でも、時夫……前よりも魔法の発動が素早くなって来ましたね!」
ルミィが褒めてくれる。
それを見て不機嫌そうなレティシャ。
時夫が自慢げに口を開こうとした時、
突然時夫はタックルされてタタラを踏む。
「すっごーい!アイツを瞬殺するなんて!」
キャンキャン感高い声が時夫の耳元で響く。
頬にふわふわの毛が触れてくすぐったい。
「ちょ……いきなり何だよ!」
慌てて時夫は抱きついて来た女を引き離そうとする。
その頭にはまごう事なき猫耳。
明るい茶色の毛に、パッチリアーモンドアイの猫獣人。
「トキオ……知り合いですか?」
ルミィのいつもより低めの声に、時夫はブンブン首を振る。
レティシャの目は氷点下の温度。時夫をこの上なく軽蔑している。
「はじめまして!大迷宮に挑む人が現れたって聞いてすっ飛んで来たの!
さっきのアイツクラス2で、いつも威張り散らしてるやな奴なのに、あっさり倒すなんて凄いじゃん!
んー……よく見るとお兄さん、顔も悪く無いね!あたしの好みだよ!
あたしはケイティ!大迷宮に挑み続けて一年くらいかな?
ねえねえお兄さん、あたしと一緒に邪教徒と戦わない?」
「えー……っと」
時夫は首に手を回されたまま、女性陣を見る。
ルミィが深〜い溜め息を吐いた。
「とりあえず、話だけは聞いてあげましょう」




