彼岸花
- 斎藤side -
訪問看護師となり4年目。
この仕事には慣れてきた。
私は幼い頃に何者かに暴行を受け
一時的に記憶を失ったらしい。
その原因を突き詰めるため、勉強するために
私はこの精神科を選んだ。
「おはようございます。」
「おはよう、斎藤。
そういえば新規の患者の訪問はどうだ?」
「瀬口部長、新規の小林さんですが
内服の飲み忘れはなく表情も明るいです。
ただ、たまに独り言が…
私に対して恋人と思っているような言動があったり、なにやら白い毛玉?も見えているようです。
こんなこと言うのは失礼ですが、距離の詰め方が怖くて…」
「そうか、妄想・幻覚症状が再燃しているかもな。
必要なら岩田先生に報告して薬の量を増やしてもらおう。
斎藤も難しいときは担当を男性看護師と交代できるから無理するんじゃないぞ。」
瀬口部長には、私の幼少期の事件のことを話している。業務内容も配慮してくれる。
ただこの患者に実害を受けたわけではない。
そのまま担当を受け持たせてもらうことにする。
7月8日の訪問帰り。
瀬口部長がたまたま通りかかり、事業所まで送ってくれることになった。立ち寄ったコンビニの駐車場、部長の車の中で待っていると患者の小林がこちらに走ってくる。
さっき訪問終えたばかりなのに…
車から降りる。まただ、恋人と重ねて私に何やら言っている。困っていると瀬口部長も車から降りる。
咄嗟に状況を読み取ったのか機転を効かせて小林と話をしてくれた。
車に乗り込む際、「今日はそのまま直帰でいいよ。僕がタイムカード押しておく。」瀬口部長はそっと私に耳打ちした。
その日以来、小林は訪問中も上の空だ。
ただ私に対しての目つきが変わった。
会社用のスマホが鳴る。
個人情報のため他者に聞かれないように
玄関の外で電話対応する。
「中島さんか…」
この患者は身体の不調を訴えて、緊急の訪問を依頼してくるが話を聞いていると落ち着く。10分だけ話聞こう。
今日は思ったより、中島さんの話が長い。
そう思っていると小林がいきなり家から飛び出し走っていった。
私は急いで中島さんとの電話をきり、瀬口部長へ連絡する。
ちょうど出先で近くにいるようで、小林のことは瀬口部長が対応してくれることになった。
私は小林の部屋に入り、訪問バッグを手に取る。
訪問看護記録がテーブルの上にある。
小林が読んだのか…
記録をバッグに直そうとした瞬間
アラーム音が鳴る。私のスマホ…ではない。
小林のスマホだ。アラーム音が鳴る方へ向かう。
寝室だ…そっとドアを開け小林のスマホのアラームを消す。
画面が切り替わると、録画を示す赤い点滅。
タップして画面を拡大すると
そこに映し出されたのは私の自宅だった。
「えっ、なんで…」
驚いてデスクにぶつかる。
その反動でデスクの引き出しから1枚の写真が落ちてくる。そっと写真を拾いあげる。
手が震える…知らないはずなのに覚えている。
仲良さげに肩を組む少年と少女。
この少女は私だ。この少年は小林…?
一気に空白だった記憶が蘇る。
小林とは小さい頃に近所でよく遊んでいた。
「穂高にいちゃん」と慕っていた。
密かに恋心を抱いていた私は
「穂高にいちゃんと結婚するー!」なんて
言っていた。そんな私を優しく笑っていた小林。
ある日、飼い犬を亡くしたショックから
小林は別人のように変わっていった。
飼い犬を亡くしたのはお前のせいだと
私を責めるようになり私に手をあげるようになった。
手をあげた後、私を抱きしめて
「ごめん…ごめん」と泣いていた。
小林からつけられた身体の傷跡は
もう隠すのが難しくなってきた。
好きだった穂高にいちゃんはもういない。
俯いていると小林が背後から歩み寄り、私に襲いかかる。
次に目を開けた時には病室だった。
心配して涙ぐむ両親。私は記憶をなくしたため、何がなんだか分からなかった。
幸い、記憶を失くしたため怖い思いはなかったがなぜか男性が近づくと身構えてしまっていた。
そのまま私は大人になった。
空白の記憶を取り戻したくて、
精神・心理の勉強がしたくて看護師になった。
それなのに私が担当していた患者は
幼い頃、私に暴行していた穂高にいちゃん。
涙が止まらなかった。何の涙なんだろう。
そのまま事業所へ戻り、瀬口部長と面談し
退職届を提出した。
瀬口部長は今でも定期的に私に会って話をしてくれる。
瀬口部長から聞いた話だと、
あの日家から飛び出した小林は
私と小林が幼い頃に住んでいた団地の前でうずくまっており保護されたようだ。
何を聞いても昔のことを話しているようだ。
話す言葉も暴行した当時の年齢、少年のようだと。
結局、小林がどうやって私の部屋に
監視カメラと盗聴器を設置したのか分からない。
知らない方がいいのかもしれない。
私は何も考えずにベッドへ倒れ、目を閉じる。
もうすぐご飯の時間だ…
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「昨日入院してきた斎藤さん。
自分が訪問看護師だって妄想していたらしいよ。」
「自分なりに勉強したらしいからそれなりに知識あるみたい。私より知識あったりして〜笑」
「自宅に監視カメラと盗聴器も仕掛けられたって騒いでいたんでしょ?」
「まだ若くて可愛いらしい子なのに…」
「担当看護師は誰だっけ?」
「あぁ、小林さんだよ」
「さぁさぁ、朝礼始めるわよ〜
今日は入院◯名、退院◯名… 」
空白 - 完 -