弟雷需
「雷需、開けて」
紀伊知に教えてもらった部屋の前に立つと、扉を軽くノックした。
「今は紀伊知はいないから、二人で話そう、ね」
相馬は気づいていた。
僕が崩れ落ちたとき雷需は痛々しげな眼を向けてきた。少し、こちらに向かうような体勢になっていた。本当は優しい子のはずなんだ。でも一瞬にしてその表情は消えてしまった。
「紀伊知が、いたからでしょう?」
閉ざされたままの扉から返事はない。
「僕は、雷需のことを知りたいんだ。雷需がお兄さんのことどう思っているかは、雷需以外の誰にもわからないんだよ」
相馬は早口でまくし立てる。しかし、相変わらず雷需の返事はない。駄目なのか、そう思って落胆していると、カチャリと小さな音がした。
「え?」
鍵、開いたのか?
そう思ってドアノブに手を掛けると、確かに扉が開いた。
「お、お邪魔します・・・」
おずおずと入室すると、そこにはもう濡れていない雷需の姿があった。綺麗に装飾されたベッドに腰掛けている。
「き、綺麗な部屋だね・・・」
言葉が見つからず、とりあえず妙な話題から入ってしまった。しかし、そこは思わずそう口走ってしまうほどの部屋であった。
綺麗ではあるがおとなしい装飾を施された家具は部屋のいたる所にあった。だがそれらが点々としていて、全体的なイメージとしては残らないのだ。まるで使用感のない部屋。それは、自分は必要ないのだと言った部屋主に、少し似ていた。
「兄さんの部屋に、行きました?」
部屋を見ていたら突然そんなことを言うものだから、相馬は混乱した。
「行ってないけど?何で?」
「ここと配置が同じですから。それに草花を育てていて、もっと綺麗ですよ」
「そうなんだ」
「だからそちらに行けばいいんです」
「え!?」
驚いた。あまりよく思っていないであろう紀伊知の部屋を褒めだして、何が言いたいのかと思ったら、そちらを勧めてくるとは。意味が分からない。紀伊知の部屋に行く用事などない。しかし、それのおかげで同時に雷需の心の闇も見えた気がした。
「ねぇ雷需、もしかして・・・僕が君の顔立ちを綺麗だといったら、どう答える?」
「兄さんも同じ顔をしています。現に貴方が見間違えたくらいに」
「・・・その件はごめんなさい。じゃ、髪は?」
「髪型なんて変えられます。元は兄さんと似ているのでしょう」
「どうして鍵を開けたの?」
「それは・・・」
雷需が口ごもる。
「兄さんもきっとそうしたと・・・」
「違うよね?」
相馬が否定すると、雷需は言葉を失ってしまった。
「雷需は自分と似ている兄の紀伊知に対して、劣等感をもっている。他人のすべての言葉が、自分じゃなくて紀伊知に向けられていると思ってる。だからさっき自分は必要ないって言った。怪我をした僕を看るのは、自分じゃなくて紀伊知だと思った。違う?」
雷需は俯いていた。
「扉を開けたのは、僕が雷需のことを知りたいって言ったからでしょう?紀伊知と似た人じゃなくて、雷需自身のことを。だから紀伊知の部屋じゃなく、自分の部屋に招き入れた。どうしてそんなに劣等感を持つのか僕にはわからないけど、よかったら聞かせてくれないかな?雷需のことを」
気にして積極的に名前を呼んでいるが、どうかなと思って雷需を覗き込む。
雷需は目を見開いていた。
「僕がいる・・・僕がいて良い・・・」
確認するかのように呟くと、雷需の眼に生気が宿った。
「貴方の名前は?」
その言葉で相馬は、雷需が大広間にいなかったことを思い出した。
「あ、ごめん名乗ってなかったね。僕は宮野相馬。人間界から召喚された、秀様の妹・・・らしい」
まだ完全に信じることができなくて、言葉尻を濁してしまう。
「秀様の!え・・・妹!?あ、いえすいません。男性だと思っ・・・」
「あーそれはいいです」
「秀様の妹さんでしたか!」
ご丁寧に言い直された。
「初めまして。僕はトランジェ雷需です」
先程とは似ても似つかない雰囲気に、相馬は圧倒されそうになった。こうして聞くと、声も笑顔も紀伊知にそっくりだ。本人に言ったらまた塞ぎ込みそうだが。
「初めまして。一人称が紀伊知と違う弟さん」
だから敢えて、違う部分を強調する。
「え・・・」
どうやら本人は気づいてなかったらしく、はっとして口元を押さえていた。その後、僕、僕・・・確かに違う、と呟いていた。
「・・・先程は、すいませんでした。僕、七人隊に推薦されて兄さんに会うまで、兄さんのことは親戚の話でしか知らなかったんです。異母兄弟でして。違う場所で育ったんです」
「うん」
「話で聞く兄さんは、僕の憧れでした。戦うことより話し合いを好み、傷ついた人がいれば治療し、まさに天の使いみたいだと僕は思いました」
「うん」
「初めて会ったとき、感動しました。憧れの人に会えたのと、兄に会えたのと、自分と似た容姿を持っていることが嬉しかった」
「それなのに、どうして今は?」
「・・・似すぎて、いたんです。七人隊は類次さん、兄さん、流さんの三本柱を主体として活動しています。僕がどんなに民間の方を助けても、彼らは紀伊知様と呼ぶばかり。秀様は僕のことを認識して七人隊に置き続けてくださっているけれど、王城内でも兄さんと離れていると、秀様と七人隊のメンバー以外には兄さんの名前で呼ばれる。僕は自分がいないと思った。存在しない命なんだと。僕を気遣ってくれる兄さんの笑顔が憎くて。兄さんを見るたび苦しくて。自分を認めてほしいだなんて勝手なことを思っている、僕なんかのために・・・!」
雷需はすべてをはき出していた。丁寧な言葉遣いは消え、苦しそうな息づかいが聞こえる。後半は泣き声になっていたので、僕はその丸まった背中をさすってやった。
「僕は、馬鹿なんです」
「そうだね」
雷需は顔を上げなかった。
「自分は雷需ですって、言えればよかったね。それから、お兄さんに相談するってこともできた。紀伊知、本当に心配しているんだよ。理由がわからないから余計に」
「馬鹿だ・・・」
「兄さんに、紀伊知に言ってこようよ。整形しろって」
驚いて雷需が顔を上げると、相馬はにこっと笑った。それにつられたのか、雷需の表情も柔らかくなる。
「そうですね・・・」
雷需は涙を拭って立ち上がった。
「一緒に来てくださると助かるんですが・・・」
「勿論!」
二人、笑顔で部屋を出た。