トランジェ兄弟
雨足は部屋にいたときより強くなっていた。テラスには大量の雨が降り注ぎ、そこに出ることをためらわせた。どうどうと流れる水に、足下をすくわれそうだった。
それなのに、そこに先客がいたことに驚き、呆れた。
彼は雨よけをしていなかった。
「おーい!そんなところにいたら風邪ひく・・・うわっ」
言い終わらないうちに空が光り、これまでに聞いたことの無いような大きな音がした。同時に、相馬の身体は吹き飛ばされ、廊下の壁に打ち付けられた。
「痛っ・・・」
全身に痛みと痺れを感じ、相馬は呻いた。しかしそんな場合ではないことを思い出し、壁を頼りに立ち上がった。相馬は確かに見ていた。テラスにいた少年は、もろに雷を受けていたことを。
しかし、そんな相馬の目に飛び込んできたのは、服さえ焼けていない、未だ雨に濡れているその者だった。テラスも壊れていない。
こちらを見ていた。
「・・・紀伊知?」
相馬は先程紹介されたばかりの人を思い出した。雨に濡れた髪はストレートになっていて、幾分か短いから散髪後なのかもしれない。
「平気なの!?大丈夫なの!?あんな雷受けて・・・」
傍に駆けていこうとするが、思うように身体が動かなかった。少し進んで、がくりと膝が折れる。しかし、雷を受けた本人は黙ったままだった。
「怪我、してない?」
「・・・っ」
「彼女は貴方のために逃げ遅れたのですよ。黙ったままでは失礼でしょう」
「え?」
相馬が振り返ると、いつの間にか隣にもう一人少年がいた。しかしそれは。
「・・・嘘」
先程まで話しかけていた人と、廊下から新たに現れた人を見比べる。顔立ちは非常に似ていて、髪質だけが違う。それから、隣にいる人のほうが少し背が高かった。
「ほら、治療して差し上げなさい」
「・・・僕は必要ない」
濡れたままの少年は隣を通り過ぎると、廊下を走って行ってしまった。相馬は呆気にとられ、その後ろ姿を見送る。
「ごめんね、相馬」
隣からぽつ、と声が聞こえた。
「彼は・・・?」
「彼は雷需。トランジェ雷需。私と腹違いの弟」
「そうなんだ・・・。雷に打たれて、大丈夫だったのかな」
「雷需は雷属性だからね。自分から雷を呼んだんだと思うよ」
ぽんぽん、と何かが頭に当たる。顔を上げてそれが紀伊知の手だということがわかり、相馬は安心した。
「紀伊知の手、温かいね」
「ありがと。こんな寒い廊下で悪いけど、ついでに治療しちゃうからじっとしててね」
紀伊知はそう言うと手品のようにたくさんの花を出し、相馬の身体に近づけた。途端、花びらが相馬の身体に吸い込まれるように消えていった。
「どう?楽?」
相馬は身体を動かしてみた。痛みも痺れも感じなくなっている。魔法の力は凄いと改めて感じた。
「うん・・・凄い、何ともない」
「よかった」
そう言って紀伊知は柔らかく微笑む。つられて相馬も笑顔になった。
「雷需も治してあげなきゃね」
「え?」
「心の傷」
相馬は微笑んだ。紀伊知は、その笑顔を不思議そうに見つめる。
「雷需に、会いに行ってくれるのか?」
「勿論。場所だけ教えてもらえれば」
相馬に部屋の場所を伝える。できることならこのまま時間が止まってくれればいいのに、と紀伊知は思った。慈愛に満ちる彼女を霊次討伐に向かわせるのは、惜しい気がした。
「それじゃ、よろしく」
そう言って彼女と別れた。
広間で秀王が話をしているとき、彼女は強い人間だと思った。強くて、逞しくて、元気な子だと。だが、先程は違った。あのときとは全く違う、優しい瞳をしていた。
「秀王と兄妹だというのも、わかる気がするな」
容姿は全く似ていない二人。だがその中身はどうか。強くて優しい瞳。自分のようなつくりものの笑顔ではない、自然な笑顔。雷の衝撃を受けてもあの程度で済むほどの、秀王譲りの強大な魔力。まったく同じだ。
雷需は、彼女の呼びかけで立ち直ってくれるだろうか。
聞けば、彼は私と会ってから塞ぐようになったという。私が何かしらの原因を作ったのは間違いないが、それが何なのかわからず、解決できなかった。
「ごめんな、何もできなくて」
紀伊知は、誰もいないテラスに呼びかけた。