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「理屈はわかります、ですが」
「その身一つで祖国を守ってやろうというのだ。民を守りたいとおっしゃられているのだから、姫にとっても悪い話ではなかろう?」
カイドを制し、アーノルドは柔らかな笑みを浮かべた。そこに言いしれぬ圧を感じて、リシアは怯みそうになる。
「……カイドさまとわたしが……ですか?」
「ああ、そうだ。そも、結婚は王族の義務でもあるのだし姫君とていくらかの覚悟はおありだったろう。──その点カイドはおすすめだぞ。少し真面目過ぎるところはあるが、腕は立つし、なんと言ってもこの歳で少佐だ、将来も有ぼ」
「陛下」
カイドが溜まりかねたように言葉を遮る。
「姫は成人もしていらっしゃらないのですよ、そのようなことは」
「成人もしていないからだ。お前だってこれ以上、姫に酷を強いたくはないだろう」
鋭い金輝色の瞳を細めて、アーノルドは立ち上がる。
「かように聡く、愛らしい姫君だ。……〝他〟に預けるわけにはいくまい。お前が適任だ」
「……」
「決定だ。──よいですね? 姫」
つと思い出したような、流れるような視線を受け。
嫌だ、など、どうして言えただろう。
リシアは膝上に置いた両手を、ぐっと握りしめた。
断れば自身の命はおろか、故郷の──生き残ったはずの親友たちの生命も危うくなるのだ。
けれど、この皇帝の発案に従えば、隷属国として庇護下に置いてもらえる。ふたりを、守ることができる。
この男の、家臣に成り下がれば。
もとい、リシアは王族の誇りなど持ち合わせていなかったから、決断は難しくはなかった。
「わかりました。陛下に従います」
言ったリシアに、アーノルドは満足気に両眼で弧を描いた。
「お聞き分けの良いことで助かるな。カイド、部屋まで送ってやれ」
「……は。……リシア殿下」
カイドから、革の手袋を纏った大きな手を差し出され、取らぬわけにもいかないと、リシアは手を重ねる。
席を立ち、絡みあった視線の先。
こちらを見下ろす闇色の双眸は、困惑と哀憐に揺れ動いているように見えた。
「陛下が勝手なことを……申し訳ありません」
「そんな、カイドさまのせいでは」
案内された広い居室の中。
翠玉色が見事な大理石のテーブルを挟み、リシアはカイドと向かい合って腰掛けていた。
はあ、と。
片手を額に当てるようにして目を瞑ったカイドは、リシア以上に思い悩んでいる様子だった。
突然の結婚を言い渡されたのは彼も同じなのだ。無理もない。ましてや相手が、敵国の子供だなんて……。
それなのに、カイドはまるで全部自分が悪いとでもいうように、深刻に、眉間に皺を寄せていた。
「いえ。私の責任です。止めることが出来ればよかったのですが……よもやあのような提案をされるとは」
紅茶と菓子を配膳し終えたメイドが、カイドに言われて、静々と部屋を出ていく。
扉が閉まり。
ふたりきりだ。と、気づいたとたん、緊張が舞い戻ってきた。
落ち着かなくて、そわそわと室内を見渡す。
賓客を──それも令嬢や婦人を迎えるために作られただろうその部屋は、豪奢なシャンデリアと薔薇模様の緻密な壁紙で彩られていた。
品よく配置された調度品は白を基調としたやさしい色合いの物ばかりで、テーブルの上や扉そばに飾られた花々からは、甘い香りが放たれている。
(……賓客でもないのに。)
目の前に並べられた、ほかほかの焼き菓子と、添えられたたっぷりのクリームを、美味しそうだとは思う。でも、手を伸ばす気にはなれない。
リシアにとってここは敵地に変わりはなかった。警戒を解けない。
と、額から手を離したカイドが、物憂げな様子はそのままに、口を開いた。
「結婚は」
「……はい」
「……殿下には、不本意極まりないことでしょうが。御身の安全のためにも合理的な策だと私も思います」
「……策、ですか」
「はい」
頷いたカイドと、しっかり視線が合わさった。
「いわゆる、仕事──政略結婚だと考えてはいただけないでしょうか。この婚姻を成立させることで、戦は終結しますし、我々はもちろん、モンシェルリエテも流通の幅が広がり、豊かになるはずです」
真摯に丁寧に説得され。
ふとリシアは、どうして、と声をあげそうになった。
王族とはいえ、子供を相手に、どうしてこの人はこんなにも真剣に話をしてくれるのだろう。
「あなたのことは、必ず私がお守りしますから。どうか、信じてはいただけませんか」
──話してもお分かりにならないでしょう?
蘇る嘲笑。なにも理解できないでしょうと、リシアを蔑ろにしてきた宰相たちとは全然違う。
当たり前だ。
彼はあの宰相たちではないのだから。
信じきることはまだ、難しいけれど。
他に道はないのも事実だった。
「……はい。わかりました」
だからかたく頷いたリシアに、カイドもまた、似た表情で応え返したのだった。