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城の最奥──皇帝の私室は、しんと鎮まりかえっていた。
カスパルはリシアだけをその部屋に入れると、自分の役目はここまでだとばかりに扉を閉めてしまう。
錠の降ろされた扉を背に、リシアは、驚くカイドと感情の読み取れないアーノルドの視線を受け止めた。
「……急なご訪問を申し訳ございません」
喉をごくりと鳴らす。
「おふたりに、お話とお願いが」
リシアは、両手を背中で縛られていた。それが、アーノルドに謁見を許される条件だったからだ。
やけに暗い室内が息苦しい。
広さに対して灯りが少なすぎるからだと気づく。
部屋には、リシアよりいくらか背の高い燭台が数本揺らめいているだけだった。
「話?」
部屋の中央、瀟洒な長椅子に座っていたアーノルドは、すっと顔をあげて微笑った。
そのすぐそば、立っていたカイドは、リシアとアーノルドを、互いの視界から隠すように前に進み出る。
「リシア。すみませんが今夜は」
「ルドやミリーさんたちのお話をしていたのでしょう? わたしも加わらせてください」
「減刑ならば聞けんぞ」
アーノルドが先回りするかのように言った。
「リシア殿下。今夜の一件は貴殿が考えているような甘いものではないのです。貴殿の家臣たちが起こした騒動だけならばまだしも、我々の身内から裏切り者が出たのですから」
「……全ての責任はわたしにあります。処断するなら、どうぞわたしを」
「できません。貴殿にはまだ、カイドの伴侶役を演じてもらわねばなりませんから」
アーノルドは包み隠さず全てを打ち明けた。
そうして淡々と決定事項だけを口にする。
「カイド、アルガンの弟はお前が始末しろ。それから、リシア殿下の侍女だったか? あの金髪の。彼女は、人質にする」
「……ひと、じち?」
錯綜する頭でリシアは尋ね返す。
カイド越しに、アーノルドの鷹揚な声が返ってきた。
「ああ。リシア殿下がこれ以上我々を裏切るとは思えないが、こうなった以上は、あなたが従わざるおえない状況を作っておくべきだろう?」
「……そんな」
見上げたカイドは、苦しげに眉を寄せていた。リシアは縋りつきたいような気持ちになったけれど、これは彼の責任ではないと思い留まる。
リシアが、ひとりでなんとかしなければいけないのだった。
奥で、アーノルドが立ち上がった。
「人質とはいっても、監視付きで過ごしていただくだけだ。そうだな、面会も許そう。であれば殿下も安心してここで暮らしていけるだろう?」
溜まりかねた様にカイドはアーノルドに顔を向けた。
「陛下。それはあまりにも……今夜の件も、リシアはなにも知らなかったのですから」
「だが少年の誘いに乗り城を出たのは事実だ。こちらは最初から厚遇で迎え入れたものを。ひどい裏切りだ」
「……おっしゃる通りです。ですが」
リシアはどうすればこの場を切り抜けられるのかを懸命に考えた。
カイドはアーノルドを説得しようと試みる。リシアと、約束してくれたからだ。
「その少年の件も私にお任せください。……なにも命まで取る必要はありません」
「────血の真相でも伝えるつもりか?」
「はい。エマさんにも」
「……酷なことを」
血の真相とは、なにを指しているのだろう。
追いつけなくなった会話にリシアの不安は増した。
それを察したかのように、カイドはリシアを見下ろし、膝をついた。
「リシア。ルドくんたちのことは大丈夫ですから。もう部屋へお戻りください」
「でも」
「そろそろ本当に怒りますよ。……手錠だって痛いでしょうに」
カイドは言いながら自身の懐を探り、取り出した鍵でリシアの手を拘束していた鉄の輪を外した。──カイドはやはり、甘すぎると思った。
「……カイド、これは交渉です」
リシアは数歩下がると、ドレスの襞に隠しておいた果物ナイフ──カイドが贈ってくれたものだ──を取り出し、両手で柄を握りしめ、その先端を自分の喉元に突きつけた。
ちくりとした痛みが走る。
「! リシア」
「姫君、なにを」
驚愕するカイドとアーノルドから、さらに距離をとる。
「申し上げた通り、交渉です。ルドとエマとミリーさんの命を約束くださらなければ、わたしはこのまま神様の元へ参ります。そんなことになれば、陛下もお困りになるのでしょう」
「──可愛げのないことを考えたな」
「──わかった。約束する。だからナイフをこちらへ」
リシアは、これが脅しではないと伝えるため、ナイフをさらに肌へ突き立てた。伝い落ちる血が、とても怖かった。
「……口約束は信じられません。──陛下。今この場で誓約書を認め、テーブルの上に置いてお下がりください」
カイドとアーノルドは一瞬目を合わせて、カイドが頷いた。
「わかりました。従いましょう」
アーノルドが面倒そうに執務机の上を漁り、ペンを手に取る。
張り詰めた空気の中、喉を血が伝う感触に、リシアは唾を飲み込んだ。