49
長い間放置されてきたためだろう。
リシアがルドルフに心を開くのに、そう長い時間はかからなかった。
『すごい、ルドは物知りね』
『……このくらい、いくらでもお教え出来ますよ』
しかも、王命により最低限の教育しか受けさせてもらえていなかったリシアは、知識に乏しく、騎士に〝見習い〟という制度があることすら知らなかった。
だからルドルフは、会話の途中、リシアが首をひねるその度に説明を付け加えねばならなかった。ルドルフには負担でもなんでもなかったが、リシアは申し訳なさそうにしていた。
『お母さまが生きていたら、少しは違っていたのかしらね』
いつか、寂しそうにそう話してくれた彼女の横顔を覚えていた。
自分と重なったからだ。
ルドルフは孤独を抱えて微笑うリシアを、平凡に慰めることしか出来なかった。
『大丈夫です。いつか陛下もわかってくださいますよ。親子なのですから』
まるで自分に言い聞かせるみたいに。
けれど、そんななんの根拠もないルドルフの励ましにも、リシアは『ありがとう』と微笑み返してくれた。
そうしてリシアとの交流を深めていきながら、ルドルフは時に、同調して泣きそうになることが増えていた。
顔見知りだった貴族令嬢──エマが侍女に召し上がったのも、その頃だった。
エマは熱心なグローデン王家の崇拝者で、王家の血筋であるリシアの冷遇が許せないと怒っていた。甲斐甲斐しくリシアの世話を焼き、三人で集まることが増え、リシアも笑顔でいる時間が長くなった。
しかし、リシアが十三を迎えたその年。
フィリツアとの戦争が始まってしまった。
正確には、こちらが仕掛けたわけだが。
正直、なんて無謀なことをするのだろうと、ルドルフは呆れていた。
領土も。
人口も。
武器の精緻さひとつをとっても──勝てる見込みなんてどこにもありはしないのに。
この人たちには、なにも見えていないのだろうかと、愕然とした。
案の定、モンシェルリエテは半月と待たず敗北の兆しを見せ始めた。
しかもその間に、王族は次々と倒れてしまい、あれよあれよと言う間に、グローデンの血を引くものは、リシアだけになってしまった。
不謹慎な話だが、それをルドルフは、好機だと思ってしまった。
父にリシアの補佐役として、自分を売り込めると──勘違いしてしまったのだ。
しかし実際は、父は寸分もルドルフを必要とはしなかった。
リシアを威圧的な言葉と態度で言い含め、あしらい、お飾りの象徴として祀りあげた。そこにルドルフが関与することはなく。
そうしてリシアはまた、塞ぎ込むようになってしまった。
ルドルフはエマと相談をし、どうにかリシアだけでも生きながらえさせようと逃亡を計画した。この戦争は敗ける。でも、リシアさえ逃していればまた国を再建することは可能だった。
そして、そうすればきっと父も『よくやった』とルドルフを認めてくれるはずだった。
──彼が、生きてさえいれば。
けれど父は、敵国の軍神に討たれてしまった。
父を、生きる目標を失ったルドルフは、ならばせめてとレイルを出し抜き、カイドからリシアを奪い返そうとこの作戦を思いついた。
結果。また負けてしまったわけだけれど。
(おれは一体、なんのためにこんなところに来たんだろう)
父の愛情は取り戻せず、リシアとの主従関係すらままならず。兄への嫉妬を少し晴らしただけの、なんにも残らなかった計画。
そうまでして、なにが欲しかったのか。
……眠れない。
冷たい牢獄で目を瞑ったまま、ルドルフは金色の瞳の少女を思い出していた。出来ることなら、もう一度だけ会いたかった。今度こそ、ほんとうの友情を築くために。
***
カイドは、なにかを隠している。
胸騒ぎと不安でいっぱいで、とても眠ることは出来なかった。
ベッドから抜け出したリシアは、窓を開けて、城の外の様子をうかがう。
リシアたちの逃走騒ぎのせいだろう。深夜にも関わらず、あちこちに灯りがともされ巡回する兵士の数が増やされていた。
「また脱走ですか?」
声に、思わず両肩を跳ねさせる。
振り向いたそこにいたのは、カスパルだった。釣り気味の瞳は、いつになく無愛想だ。
「違うわ、カイドたちのことが気になって」
「大佐なら陛下のところです。誰かさんたちのおかげでいろいろと話し合わなきゃならないことが多くなったので」
「……ごめんなさい」
萎縮し、身を縮こませたリシアに、カスパルが息をつく。
「別におれはいいですよ。これ以上仕事を増やさないでもらえれば」
「……ミリーさんは? 無事なの」
カスパルはそっけなく頷いた。
「ええ。今頃独房で大人しくしているはずですよ」
独房。
本に書かれていた情報しか知らないけれど、たしか、ひとり用の牢屋のことだ。
凶悪犯や、他受刑者と接触をさせないための小さな小部屋。
ミリーもルドたちと同様、処断待ちなのだろう。しかもルドに手を貸したということは、重罪になるに違いない。
リシアははっとした。
だからカイドの様子はおかしかったのだろうか──?
「カスパルさん」
いてもたってもいられず、リシアはカスパルに歩み寄った。
「一生のお願いです。カイドと陛下のところへ連れて行ってはくださいませんか」
「お友達の命乞いですか?」
「違います……いえ、それもあるのですが、ミリーさんのことも心配で、だから」
「今更ですね」
カスパルは笑った。苛立ちながら。
「これまで、大佐がどれだけあなたに尽くしてきたかわかりますか。わかってませんでしたよね。だからこんなことになったんだ」
吐き捨てるように言って、カスパルはリシアを見つめた。
「教えてあげますよ。大佐は、あんたのために慣れないことばかりしてた。女の好きな店を調べたり、甘いのが苦手なのにあんたが作ったからって食ってやったり。──なのにあんたときたら、それが演技だってくらいで「嘘」だの「信じられない」だの、勝手なこと言いやがって。あの人の善意を踏み躙りやがって」
ぎり、と鈍い音がした。
カスパルが、鳴るほど歯を食いしばったのだ。
「これで戦争がまた始まったらあんたのせいだ。……おれもミリーも、大佐だって、今度こそ死ぬかもしれない」
「……そんなこと、絶対にさせません」
耳が痛い。カスパルの言い分は、もっともだった。
はじめて聞かされた真実に、リシアは胸を締め付けられた。彼のやさしさを踏み躙ったことに違いなく、後悔に苛まれる。でも、だからこそここで立ち止まっているわけにはいかなかった。
「約束いたします」
リシアは床に両膝をついて、誓約した。
「絶対に開戦はさせません。だから陛下のもとへお連れください」
カスパルはしばらくリシアを睨み下ろしていたが、埒が開かないと思ったのだろう。盛大にため息をついたあと、さっと踵を返した。
「ついてきてください。言っておきますけど、陛下は大佐みたいに甘くありませんから」
どうなっても知りませんよと、冷たく言い放たれた。




