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軍神と氷上の姫  作者: koma
血の真相
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「カイド……?」


 ひく、と鼻を鳴らす。


 後頭部と背中に、カイドの大きな手が当てられていた。きつく抱きすくめられたまま、リシアは、息さえも危うくなっていた。誰かに、こんな風に抱きしめられたのは後にも先にも、これが初めてで────。


「……は、離してください」


 大騒動となっている周囲では、黒衣の騎士たちが他に協力者はいないかを探っているようだった。その軍人の中にカスパルを見つけて、リシアは小さく安堵した。


 無事だったのね。


 と。リシアがわずかに力を抜いたことが伝わったのか。カイドは、恐る恐るといった様子で、リシアを抱擁していた手を緩めた。


 それでも、肩と手首をやさしい加減で掴まれたままだったけれど。


 リシアは、随分と顔色の悪い軍神を見つめ上げた。


「……逃げ出して、ごめんなさい」

「……戻ってくださるのですね」

「はい。陛下とあなたが、許してくださるなら」

「もちろんです」


 カイドは言いながら、肩に置いていた手を滑らせ、たどり着いたリシアの指先を、そっと握りしめた。そうして、なぜか泣き出しそうに顔を歪める。その黒い瞳が、下を向いた。ぽつりと囁かれた。


「よかった。間に合って」


 その声からは、偽りを感じることは出来なかった。

 だからリシアはゆっくりと瞬く。

 真意を探るように。


 先程もカイドは、リシアを『心配した』と言っていた。宮殿から逃げ出したことを咎めるでもなく、ルドたちを撃つわけでもなく。リシアが乱暴をしないで欲しいといえば、それすら受け入れてくれて。──でも、なぜ。


「……歩けますか?」

「……はい」


 ぎこちない会話。

 手を取られたまま、リシアはカイドから、そばを離れないようにとだけ、穏やかに指示された。カイドは、ルドたちの護送を駆け寄ってきた部下に命じると、自分とリシアは一足先に城へ戻ると告げた。



 月明かりと、増えた松明に照らされた帰り道。

 リシアはカイドを見上げることが出来ないままだった。



 その、たった数十分の逃避行の末。

 連れ戻された宮殿の一室で、リシアは、立ち去ろうとしたカイドの背に声をかけ、呼び止めた。


「……ルドたちは、どうなりますか?」


 これだけは聞いておきたい。与えられていた私室は、片付けが済んでいないからと別の客間を案内されていた。振り返ったカイドの顔色は、未だ戻ってはいない。


「陛下には私から掛け合いはいたしますが、──まだ、どうなるかまではわかりません」


 曖昧で、だからこそ絶望的な返答に、リシアは息を呑む。


「わ、わたしにできることならなんでもします、だから、命だけは」

「………………では」


 カイドは身体ごとこちらを向いた。


「今夜のことで、どうかご自分を責めないでください。あなたはルドくんたちと生きたかっただけなのですから。それは、悪いことだと私は思いません。立場上、見逃すことも出来ませんでしたが」


 すみません、と謝ったあと、カイドは続けた。


「──彼らの処断は、私もなんとか尽力してみせます。ご不安かと思いますが、今は委ねてください」


 どこまでもリシアの意を汲もうとしてくれるカイドの誠実に、リシアの胸は締め付けられた。やっぱり、好きで。

 でも、それと同時に疑問も感じていた。

 リシアとカイドの関係は、数時間前に、決裂したばかりだった。言い合いもしてお互い無駄な演技は止めようと話をしたばかりなのに。それなのにどうして。


「……どうしてあなたは、そこまで気にかけてくださるのですか」


 ルドやエマの命など、いくらでも捨て置ける立場なのに。


 尋ねたリシアを、カイドは苦しげな視線で見つめ返していた。森にリシアを探しにきてくれた時と同じ感情。

 葛藤と安堵と苦渋と──憐憫の。


「……わたしが、かわいそうだからですか」


 あまりにも、境遇が。だから冷たく出来ないのかと、そう思い、尋ねる。

 カイドは首を横に振った。


「違います」


 そうして、ゆっくりと歩み寄ってきた。


「憐れみはしましたが、それだけではありません」


 目の前で立ち止まったカイドが、片膝をついて屈んだ。

 近い距離で視線が交わり。

 やさしい夜色の瞳に覗き込まれた。


「っ……カイド……?」


 カイドは悲しそうに笑っていた。


「仲直りしましょう、リシア。──いつになるかはわかりませんが、いつか、必ずあなたを帝国から解放すると約束します。あなたが自由に生きられるように。だからどうかそれまでは私と」

「ま、待ってください。わたし、解放なんて望んでいません。グローデンの人間として、最期までお役目を果たして、それで……っ!」


 ほんとうに、カイドはどうしてしまったというのだろう。

 言いかけた途中で、リシアはまた抱きしめられていた。さきほどよりも緩やかな抱擁。だけれど抱擁に違いはなくて、リシアは慌てふためく。

 カイドはおかしくなってしまったのだろうか。


「……カイド? ねえ、どうかしたのですか?」

「……ええ。いろいろと。無力が、悔しくて」


 耳元で、掠れた声で囁かれて、リシアは困惑した。

 明らかに様子がおかしい。

 なにかが起こっている? でも、なにが。

 リシアはどうしようかと迷い、いつかエマがそうしてくれたことを思い出して、カイドの黒い髪を撫でてみた。

 意外と硬くて、手触りがいいとは思えなかった。でも。


「すみません──……ありがとう、ございます」


 少しでもカイドが落ち着いてくれたなら、よかったと、息をついた。




 ***



 ただ、父上に認められたかっただけなのに。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう。



 

 投獄された湿っぽい地下牢の隅では、黒い小さな影──ネズミが列をなしていた。


 ルドルフは冷たい石床に座り込んだまま、壁に背と頭を預けて、低い天井を見上げた。面白くもないのに、笑顔がこぼれる。


「失敗したなぁ……」


 せっかく時間をかけて計画し、幸運にも、ミリーという協力者まで得られたのに。


 結局リシアは、あの男に奪い返されてしまった。

 

 ──そもそも森で、断られてしまっていたけれど。


「うまくいかないもんだな」


 なにもかも。

 牢屋番に気づかれないほどの声量でひとりごちて、ため息をつく。


 きっとこのまま自分は、銃殺にでもかけられるのだろう。リシアは命乞いをしてくれるだろうけれど──そんなこと、フィリツア皇帝が許すはずがない。


 詰みだ。

 完璧な。


「……あーあ」


 これではなんのためにリシアに近づいたかわからない。痛い思いをしてまで。と、ルドルフはため息をこぼす。



 ルドルフはただ、父に認められたかっただけだった。



 なのに。


 ──ありがとう、ルド。大好きよ。


 無知で愚かな。


 利用されてばかりの、どこにも居場所のないお姫さまは、そんなことも知らないで。

 

「……ほんと、馬鹿だよな」


 だからこそ守ってやりたいと思った。


 暗い牢の中。

 死神の足音は、まだ届いていない。

 最後の眠りにでもつくかと、ルドルフはごろりと横になり、折った腕を枕にして、目を瞑った。


 いい夢なんて見られそうにもないと思ったけれど。


 しかし、その中にまで、ルドルフのお姫さまは現れた。


 ルドルフが彼女を庇い、彼女の兄、第一王子から暴力を受けた時のことだ。


 あれはとても、痛かった。





 ──宰相の息子。ルドルフ・アルガンと王の娘リシア・グローデンの境遇は似ていた。

 すなわち彼も、不義の末に出来た子どもだったのだ。

 それがわかったのは、亡くなった母の手記が見つかった時のこと。


 父──アルガンは密通の相手を突き止め、その男がルドルフと酷似していると知ったその時から、ルドルフへの一切の愛情、興味を無くした。

 会話はもちろん視線すら交わることはなくなり、まだ7つだったルドルフは、アルガン家に置いてその存在を消されたも同然の生活を送るようになった。


 それでも、矜恃の高かった父は、母の裏切りを世間に知られることを恥とし、建前上、ルドルフを追い出すようなことはしなかったけれど。


『ルドルフ。お前は、私の自慢の息子だ』


 母の密通を知る前、厳格だった父にそう褒められた時の嬉しさを、ルドルフは忘れることが出来なかった。


 歳の離れた兄レイルにはサボり癖があり、勉強もからきしで、『あれはダメ』だと、父はよくそう嘆いていた。『期待できるのはお前だけだ』と。



 ルドルフは父親に愛されていたのだ。

 父が、血の真相を知るまでは。



 兄のレイルは、父とよく似たくすんだ赤色の髪をしていた。

 対するルドルフは母親と同じ、深いきれいな茶色で。


 ルドルフが、父と同じ髪色をした兄を羨むようになったのは、そんな理由だった。


 兄ばかりが、褒められるようになっていた。



 ──だからルドルフは父の愛情をどうにか取り戻そうと必死になって足掻いた。


 騎士学校の厳しい訓練も。

 勉強も、礼儀作法も。

 父の望む一流の息子になろうと、寝る間も惜しんで机に向かった。

 その甲斐あって、ルドルフは、どこにいっても褒められる存在となっていった。


 ──しかし、それが仇となった。評判は高まれば高まるほど父親の愛情は薄れ。どころか、憎まれるようにすらなっていったのだ。


 自分の息子ではないルドルフが、実子であるレイルよりも優れていると評されたのだ。それは喜ばれないはずだと、後になってルドルフは理解した。



 けれども諦めの悪いルドルフは、「それなら」と別の手段を考えた。


 それが、リシア(王族)と懇意になることだったのだ。


 他の王子や姫君には、すでに大勢の取り巻きがついている。それに、子どもで、しかも騎士見習いでしかないルドルフには話しかけることさえ許されていなかった。そこで目をつけたのが、王宮で爪弾きにされているリシアだった。


 王様の愛妾(それも下賤な身分の)の娘だという理由で、リシアはいつも孤立していた。


 リシアの実父──時のモンシェルリエテ王は、娘より寵姫だった母親の命を望んだ。しかし希望は叶わず、寵姫は産褥で命を落とした。だから娘を愛せないという話だった。



(あの子が)


 改めて観察したリシアは、ぎんいろの長い髪と、金色の瞳がうつくしい──とてもかわいい女の子だった。


 そんなリシアが王宮の廊下で第一王子に殴られようとしているところに、ルドルフは遭遇してしまった。


 王子の怒りを買うのは良策ではないが、リシアに恩を売るには絶好の機会だった。


 どの道、他の王族とは交われそうにもないのだ。

 父の愛情を取りもどすため、いつか必要とされるかもしれない、この姫君と仲良くなっておくのは悪い話ではないだろう。


 ルドルフは打算ののち、王子とリシアの間に割って入った。

 流石に殺されることはないだろうとたかを括っていたのだが、王子の暴力は予想に反して酷いものだった。相手が妹でも、そうだったのだろうかと霞む視界の中、ルドルフはぼんやりと考えていた。


『あ、ありがとう……、ごめんなさい』


 王子の去ったあと。泣きじゃくったリシアがルドルフを助け起こした。


 ルドルフは〝しめた〟と思いながら、リシアの泣き顔を見上げた。


『治療を、しましょう……わたしは、リ、リシアといいます』


『……知っていますよ』


 そんなリシアはやっぱりかわいくて。

 王様は、どうしてこの子を蔑ろに出来るのだろうと、不思議に思うほどだった。



 それからルドルフは、時間を見つけてはリシアに会いに行くようになった。


  

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