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「森を抜けます」
ルドも同じように黒のローブで全身を覆い、闇に紛れる。
そうしてやっと城を出たリシアたちを照らしたのは、横這いに広がる黒い森と、ささやかな月の光だった。点在している見張りの目をかいくぐり、ルドに誘導されるまま、リシアはさらに森の奥へと歩みを進める。
振り返る背後に、追手はない。けれど、優秀な彼らのことだ。リシアが消えたことにはもう気づいているだろう。────もぬけの殻となったリシアの部屋を、カイドは、どう思っただろうか。フィリツアとモンシェルリエテの橋渡しになると誓ったばかりなのに、その舌の根も渇かぬうちにと、失笑されただろうか。
「……姫さま?」
立ち止まったリシアに気付いたルドが、怪訝に走り戻る。
「どうかされましたか? 急がないと夜が明けてしまう」
「ねぇ、このままほんとうにモンシェルリエテに戻るの?」
聞けば、彼はわずかに身じろいだ。
「……お嫌ですか」
「心配なの。フィリツアを裏切ったら、レイルたちはどうなるの? まだ城に残っているでしょう」
「兄たちは別ルートで脱出しているはずです。心配なさらないでください」
「でも」
「姫さま」
「わたし、戦争はもう」
「だったら、このままおれと逃げてください」
強く言ったルドの姿を、樹々の間から差し込んだ月の光が、淡く照らしだす。リシアは、息を浅くして首を横に振った。
「ダメよ、そんな──それじゃモンシェルリエテが」
「あんな国、姫さまが背負う必要はありません。あいつとの結婚がおれたちのためだったと言うなら、もう続けなくていい。おれもエマも、無事なんですから」
ルドはリシアの手を握りしめた。
「最初の約束通り、エマも連れて逃げましょう。どこか異国へ、三人で。──平和に暮らしましょう」
強い風が後方から吹いて、リシアを前へと押し進めようとした。でも──。
「今度こそお守りしてみせます」
だからおれを選んでくださいと。少年は乞うように言った。
***
勝算なんて、あるわけがなかった。
ただ、積もりに積もった胸の靄。その捨て場所が、わからなくなってしまっただけだ。
転がされた床の上で。集まった兵士の数に。大きくなる怒号を耳に。
自分はここで終わるのだろうと、ミリーは悟った。
アーノルドは仲間には寛容だけれど、一度敵とみなした相手には容赦がない。嫌というほどその性質を知っているミリーは、向けられた銃口を前に、大人しく目を瞑る。
「お前さ、バカなの」
言ったのは、カスパルだった。
形勢逆転。
後手に縄で縛られ、猿轡をかまされたミリーは、リシアの居室、床に物みたいに転がされたままだった。騒ぎを聞きつけた衛兵たちが乱入し、ミリーは、呆気なく捕縛されたのだ。──時間稼ぎが終わったあとは、特に、抵抗もしなかったけれど。
あの少年は、うまく逃げおおせただろうか。
「陛下はお前を許さないぞ」
カイドとアーノルドに報告を終えたと。冷たく言ったカスパルは早速処刑でも命じられたのだろうか。先ほどからずっとミリーに銃口を向けていた。
「大佐もな」
「……」
──物心ついた頃から、戦場にいた。
おせっかいな育ての親は、盗賊だった。
その彼もいなくなって。盗み、恐喝を続けながら、カイドに拾われるその日まで、悪いことをして生きてきた。だから彼に拾われたあと、軍にいれてもらっても、集団行動や、細かい規律を守ることが苦痛で、何度も怒られ、長い説教を受けた。
その時間が好きだったと言ったら、おかしいと言われるのだろう。
「なぁ、なんでこんなことしたんだ」
いつまでも撃とうとしないカスパルに痺れを切らし、ミリーは目を開いた。
罪悪感が胸を打つ。
「姫さんの場所を知ってるなら、教えてくれよ。大佐に頼んで、処刑はあとにしてもらうから。で、最期はさ、おれも付き合うから」
ミリーの目的は、カイドとあの姫君を憎み合わせることだった。
こんな風に手を下すまでもなく、レイルたちのおかげで、既にふたりの仲はこじれていたようだけれど──あの少年との逃走は、決裂の、決定打となったはず。
これではあのふたりの仲は、完全に壊れた。
壊すことができた。
お姫さまは地の果てまでも追いかけられ、囚われるだろう。
──こんな時でさえ、カイドはミリーに会いにきてはくれないけれど
ミリーの目的は、達成された。
「ごめんな。なんにも気付いてやれなくて」
だからこれは嬉し涙だ。
そのはずだ。
「おれ、鈍くて。勘弁してくれよな。ごめんな。ごめんな」
頽れたカスパルが泣いている理由までは、わかりたくなかった。今にも押し潰されそうだったから。




