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眠れないのは、夢を見てしまうからだった。
とうとうフィリツア軍──カイドたちに攻め込まれた、あの日の夢を。
篭城は数時間ともたなかった。気づけば王城は火の海と化していて、周囲は剣戟と悲鳴と銃声で埋め尽くされていた。
『宰相の首はとった!』
『姫だ! 姫を捕らえよ』
『王女を探せ!』
怒号をあげ、物を倒し、ぶつかり、罵倒し。誰も彼もが錯乱する中、リシアは、ふたりの親友と共に、秘密の通路へ逃げ込んだ。
『ここよ』
言いながら、壁に擬態した隠し扉に、小さな鍵を差し込む。
それは外からしか開閉することの出来ない、誰かが必ず犠牲になる、お粗末な作りのカラクリ扉だった。
でも、その真実を知っているのは〝幸い〟この場はリシアだけだった。
「早く入って。森に繋がっているの」
振り返り、騎士見習いの少年と、侍女に召し上がったばかりの少女を促す。しかしふたりはそろって断ってきた。
『姫さまが先です』
『そうです、お早く』
時間ない。リシアは咄嗟にふたりを突き飛ばし、急いで鍵をかけた。
分厚い扉だ。声さえも、もう届かない。
軍靴の音が背後に迫る。
リシアは扉から離れて、駆け込んできた黒衣の軍人たちを迎えた。
そうして取り囲まれながら、ただひたすらに祈っていた。
どうか無事で。生き伸びて。と。
怒ってもいいから。と。
*
その夕刻。
ようやくたどり着いた帝国の宮殿で、リシアは言葉を失っていた。
「ほう。これは美しい。まるで人形のようだな」
楕円形をした、大きなテーブルの端と端。
その一方に座らされたリシアは、向かい合う男の獰猛で不遜な視線に身をかたくした。これは、狩る側の瞳だ。
黄金色の肘掛けにゆったりと頬杖をついた男は、そんなリシアを見て、哀れむように両目を細める。口元には、堪え切れない微笑を浮かべて。
「……まあ実際、人形だったのだろうが」
言いしな、くっと喉の奥を鳴らした男を、リシアの背後についていたカイドが「陛下」と怒ったようにたしなめる。
男は──皇帝アーノルドは、忠実な家臣に浅い笑みを返した。
「すまんすまん。失礼をした──改めてようこそフィリツアへ。亡国が王女、リシア・グローデン殿下」
数刻前。
フィリツアの宮殿に足を踏み入れたリシアは、カイドに連れられ、監視付きの入浴と着替えを終えたばかりだった。
皇帝の御前に出るからには、それ相応の装いが必要だったのだろう。
リシアの身体と髪を洗い、真新しいドレスを着付けてくれたのはフィリツア宮殿付きの女性たちだったが。
リシアは、七日ぶりの温かい浴槽を喜ぶよりも、見知らぬ人々の──それもよくは思われていないだろう人々の視線が辛くて、疲れを増していた。
しかし、そう長いこと休ませて貰えるはずもなく。
リシアは早速、カイドと共に宮殿の一室に呼び出されたのだった。
「なにもとって食おうと言うわけじゃない。そう畏まられますな」
戯けた調子で言ったアーノルドは、容姿端麗、加えて言えば、少々派手な男だった。
肩まで伸びた金色の髪は眩く、艶やかで。そこから覗く耳と首もと、両指、果ては手首に至るまで、赤や黄色やといった、多色の宝石がついたアクセサリーで自身を着飾っていた。
全身がほとんど真っ黒なカイドとは、まるで真逆だった。
──ちゃんと〝交渉〟をしないと。
リシアは背筋を伸ばすと、敵国の王を見つめ返した。受けたアーノルドが、面白がるように双眸を細める。
フィリツア帝国領皇帝、アーノルド・コリエン。血ではなく、その実力で玉座をもぎ取った若き野心家だ。
三十の後半に差し掛かったばかりだという話だったけれど、実物の彼はそれよりも若く見えた。