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『ほんとうに、このまま彼らを信用していいものでしょうか』
短い手紙に書かれた最初の一行に、リシアは思わず眉をひそめた。続くルドの文字を、急いで追う。
『こちらに来てまだ数日ですが、おれには教育と称して姫さまを言いなりにしているように見えました。現に、姫さまにはいつも見張りがついています。あれは護衛ではなく、監視です。それも手練ればかりの』
そんなことはない。
確かに彼らは手練れなのかもしれないけれど、街でもリシアを守ろうと動いてくれたし、カスパルは雑談にも応じてくれる面白い人だ。
監視なんかじゃないのに。
喉まででかかった言葉を、リシアは手紙の端を握りしめることでなんとか堪えた。今すぐにでもルドの誤解を解かなければと思った。けれど、こんな時間に部屋を出ることをカイドは許してくれないだろう。危ないですからと断られるか、同行されるに決まっている。
それなら明日……と、考えたところで、リシアはふと気付いた。
自分は、何をするにしても彼にうかがいをたてなければならない立場なのだと。
当たり前だ。
リシアは敗戦した国の人間で、カイドは勝利した側の人間なのだから。リシアとカイドは、決して対等な立場ではないのだ。そんな当たり前のことを、けれど今の今までリシアは忘れかけていた。カイドがあまりにも大切に扱ってくれるからだ。まるでそう、幸せな御伽噺のお姫さまみたいに。
でも、ほんとうは違う。自分たちはカイドの心ひとつでどうにでもなる、そんな不確かな関係なのだった。
──だからわたしたちは、いつまでも本物にはなれない。
数日前にも感じた寂しさを、リシアは懸命に振り払う。
(大丈夫。いきなりは無理でも、少しずつなら近づいていける。)
そしていつか。お婆さんになった頃でもいい。本物になれたら、それでいいのだ。
『どうぞお気をつけて。』と締めくくられたルドからの手紙は、読み終わったらすぐに燃やすようにと書き添えられていた。
カイドに隠し事をしているみたいで後ろめたいけれど、この手紙が見つかって彼にいやな思いをさせるよりはいいだろう。
リシアはベッドの端に移動して、傍机の蝋燭の上に手紙の角をかざした。炎がそっと燃え移る──その時だった。
「リシア?」
いつ戻っていたのだろう。続き部屋の向こうから、カイドの声が聞こえてきた。
手紙は、まだ半分も燃えていない。
「起きているんですか?」
足音が近づいて、扉のすぐそばに彼がいることがわかった。まずい。このまま寝たふりをしてしまえばいいと思ったものの、カイドに気を取られ過ぎていたリシアは、ゆらめく炎が指先に届いたことに気づかなかった。
ちり、と鋭い痛みが、白い肌を焼く。
「……熱っ!」
「! リシア!?」
リシアの悲鳴に、カイドが音を立てて駆け込んでくる。
「! っカイド、なんでもな」
しかし、言い終わる前にあっという間にそばに屈まれ、手首を握られていた。暗がりの中、厳しい顔つきをしたカイドは燭台とリシアの指を見て、低い声あげる。
「火傷ですね」
断言されたあと、膝裏と肩に手を回され、即座に立ち上がられた。
「ひゃっ」
高い位置で横抱きにされたリシアは、痛む指先と突然の浮浮遊感、それから床に落ちた焼け残った手紙のことで、頭が混乱した。
無意識にしがみつきながら、降ろして欲しくて至近距離の青年を見つめる。
「あ、あの、カイド」
「すぐに冷やしましょう」
言ったカイドは足早に続き間へ向かい──彼の私室へ繋がる扉を自身の肩で押し開けた。
「……っ」
初めて入るカイドの寝室は、リシアの部屋がふたつ、すっぽり入ってしまいそうなほど広かった。
調度品は落ち着いた色合いの物で統一され、灯りの届いていない奥の方には、リシアが寝ているものよりずっと大きな寝台が見えた。
カイドは、部屋の中央に配された大きな長椅子にリシアを下ろすと、水差しと銀製の桶を手に戻る。そうしてリシアの手を取り、桶に注いだ水に浸させた。ヒリヒリする痛みに耐えつつ、リシアは、そばのカイドをうかがう。
片膝をついたカイドは、呼び鈴を鳴らしつつ、リシアを見上げた。
「痛みますか?」
「……少し」
「今薬を持って来させます。我慢してくださいね」
カイドはにこりともせず、リシアの手当てを続けた。