3
***
「……わたしのことはどうぞ、お気遣いなく」
そう言ったリシアにふいと視線を逸らされ。
「…………わかりました」
カイドは、そうと気取られぬよう小さく息をこぼした。
自分は彼女の城を攻め落とした国の人間だ。だから嫌われるのは仕方のないこと。
それでも年端もいかないこの幼い王女を護送するにあたって、カイドはカイドなりに気を遣ったつもりだった。寝る場所も食事にも気を配り、部下の女性兵士に衛生面の配慮を頼み、わずかにでもリシアの心身がやすまるようにと。
しかし、そのすべては徒労に終わったようだ。
目の前で警戒もあらわに身をかたく縮こまるリシアは、明らかにカイドを拒んでいる。
(まあ、そう簡単にいくはずもないか)
外から喧騒が聞こえてきて、小窓から見えた景色に、カイドは馬車がフィリツア帝国領に入ったと気づく。かたわらに立て掛けていた銃剣を掴むと、屈みながら腰を浮かした。
と、リシアがこちらを向いて、銀色の長い髪が華奢な肩を滑り落ちた。大きな瞳と間近に視線が絡んで、なるほど。とカイドは息を呑む。確かにそれは、部下達がうるさく騒ぐほどの美貌だった。作り物めいた顔だちに、影を落とす銀のまつ毛、赤い小さな唇。
神聖な王族の血を引く──少女。
怯えたように見上げてくるリシアに、カイドはひとつ頷いた。
「帝都に入りました。まもなく城につきます。ここからは私も外で見張りにつきますから、なにかあれば小窓から呼んでください」
「……はい」
いよいよ城に。
不安そうに俯いたリシアに、カイドはやはり、なんと声をかければいいのかわからなかった。
嘆息しつつ、速度を下げた馬車から降りる。
とたん、すぐに小柄な部下──ミリーが駆け寄ってきて左腕を軽く小突かれた。
隊唯一の女性兵士だった。
「職権濫用。お姫さまを独り占めして、ずるいですよ」
「お前たちじゃ耐えられないだろ」
「そんなことはないですよ」
にこにこと笑う、砂色の、短いクセ毛をしたミリーは、数日前の戦で友人を失っていた。笑顔を作ってはいても、嫌悪を隠しきれていない。
「ちゃーんとお世話しますよ。意地悪も少しだけしますけど」
「……お前の少しは少しじゃないだろ」
問題児の部下を見下ろし、これ見よがしにため息を吐いても、彼女の心には響かない。どころか、不満げに唇を尖らせられた。
「それより少佐でしょう。昨日のお夕飯せっかく〝おいしく〟してあげたのに、台無しにしたの」
「あれもお前だったのか」
呆れ言ったカイドに、ミリーはしれっとそっぽを向いた。──昨晩の夕食は、宿屋のシチューだった。リシアの護衛についていたカイドは、個室(錠付き)に運ばれてきたその食事が妙に薄赤に色づいているのに気づいて、試しに舐めてみたのだが。
その味を思い出して、眉をひそめる。
「あれは辛すぎだ」
「可愛い悪戯じゃないですか」
悪びれた風もなく、ミリーは肩を竦める。
カイドのまとめる精鋭班は、ほとんどが忠実な部下で構成されているが、中には数名、こうした問題児が紛れていた。他の隊では扱いに困り、しかし腕は確かだから捨てるにはもったいない、貴重な戦闘員。要は、押し付けられているのだった。
カイドは、静かに口を開く。
「ミリー」
戦を仕掛けてきた国の姫ともあれば、憎く思ってしまう気持ちはわかる。わかるけれど。
「あの子はまだ子供だ。罰を受けるような責任はない。──もうするなよ」
次は叱責では済まさないと、言外に込める。
「はぁい」
懲罰などなんとも思っていないのだろう。ミリーは言って、前方の持ち場へと戻っていく。その後ろ姿を見送り、カイドは俯いた。あれは氷山の一角だ。隊の、軍の中には他にもリシアをよく思っていない者が少なからず、いる。
そして、そうと分かっているから、リシアもあんなにも怯えているのだ。可哀想な子だと思った。
帝国領の都に入れば、そこかしこに露天や店が見えてくる。
──こんなの、なんの慰めにもならないが。
カイドは、露天商から子供の好むような菓子の詰め合わせを買うと、それを馬車の小窓からリシアに差し出した。
「どうぞ。甘くておいしいですよ」
中のリシアは、突然入ってきたピンク色の菓子の包みに驚いている様子だった。
「……ありがとうございます」
返ってきた声は変わらずかたい。けれど数秒ののち、包みを解く音が聞こえてきて、カイドはほんの少しだけ口元を緩めたのだった。