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「進歩のないことだ」
神の声を聞くという、王族の血を受け継いできたからと。あの国はまだ自分たちを特別だと思い込んでいる。だから敗戦したというのに、厚かましくも要求などが出来るのだ。
「姫君にまことそのような力があれば、城が落ちることもなかっただろうに」
冷静に考えれば子供でもわかる事実を。思考を停止し、神にあやかりすがり続け、ついには崩落した国の末路を、アーノルドは嘲り笑う。
「カイド、宰相の息子とやらに言っておけ。国は戻らん。姫君は、我々と共に歩む道を選んだと」
「は」
現状、モンシェルリエテを制圧しているのはアーノルド直下の別部隊だった。
城と都を拠点とし、市民の生活復興を最優先に動いている。
実際に復興中の城と市井を見て回ったカイドの感触としては──怯えと、いくらかの反発的な視線は受けたものの──そう悪くはないと思っている。
だが想像以上に、王城に巣食っていた者たちの悪あがきは面倒で。
このままいけば、あまり使いたくはなかった手を使わざる負えないのだろうと、深い夜の中、カイドは表情を曇らせる。
「……だが、殿下に協力を願う、いい機会かもしれないな」
フィリツアを知りたいと意気込んでくれていることだし。
主君の呟きに、カイドは刹那、肩を震わせる。
アーノルドは、平気なのだろうか。平気なのだろう。あるいは耐えられるのだ。──だから皇帝になど就けた。
黙したカイドの隣から、感情を抑えるような低い声が届く。
「────姫君を矢面に立たせるのは、いやか?」
「いえ」
カイドは短く答える。
出来れば、平穏に過ごさせてやりたいと思っていただけだ。
「いつまでも賓客扱いとはいきませんし」
「……ああ」
「ですが、お守りはしたいと思います」
その身だけではなく、精神も含めて。あまりにも哀れな彼女だから。
風の音すら止んでいる、静かな夜だった。
ようやく私的時間が出来たカイドは、ほの白い月明かりを頼りに、眠るリシアのそばへ寄った。
無闇に女性の寝室に立入るものではない。
そうとわかっていても、今夜はなぜか、その顔を見ておきたかった。
近づけば、すぐに寝ぼけた声がかえってくる。
「カイド……?」
「すみません、起こしてしまいましたか」
ぼんやりと見上げてくる少女のそばに、音もなく片膝をつく。いにしえの騎士のように。
「おかえりなさい」
まだ夢現なのか。
リシアは身体の向きをカイドの方に変え、微笑んだ。
「今夜も遅かったのですね」
「ええ。自由な部下と上司に呼び出されて、たいへんでした」
ふふ、とリシアが声をふるわせて笑う。
「お辛い立場ですね」
貴女ほどでは。言いかけて、つぐむ。
眠いのだろう。リシアはゆっくりと目を閉じた。そのまま、言う。
「……カイドもおやすみになってくださいね。明日も早いのでしょう?」
「はい。──ありがとうございます」
やさしい子だ。
カイドは無意識に、彼女の髪に手を伸ばしていた。絡まりの一つもない絹のようなその手触りに、自分の節くれだった手は不似合いなのだと、ふと、気付く。
「おやすみ、なさい……」
「……おやすみ」
だからそんなふうに、安心しきらないで欲しかった。今は、とくに。