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「さっきさ──」
並び歩くカイドとリシアから距離を置いた後方。
護衛についたミリーとカスパルは、その背を見失わないよう、細心の注意を払い、追っていた。
〝お姫さま〟の機嫌とりも大変ねと憐れみつつ、ミリーは、リシアに話しかけるカイドの横顔を見やる。
ゆるく弛緩する唇と、細められた双眸。
戦場では決して見せることのない、穏やかな顔。
全く、読めない人だ。
「──思いっきり嘘ついてたわよね、大佐」
「だな」
カスパルが、くあ、とあくびを一つ。
「おれ、吹き出しそうになったもん」
同意しつつ、ミリーは武具店に入っていくカイドらを視認する。
先ほどふたりが休息がてら入った小さなカフェには、当然ミリーたちも入店していた。
死角だったから、お姫さまの方は気付いていなかっただろう。
喉を潤しつつ言っていたカイドの言葉を思い出し、ミリーはつと、眉を寄せる。
──〝特段、私が強いとかではなくて〟……?
どの口が。
戦場での彼を知りすぎているミリーとカスパルは、聞いた瞬間、思わず顔を見合わせた程だった。
軍神。
神さまにも匹敵する無比の武人。
その熾烈さを目の当たりにして魅了されない者は、きっと、いはしないのに。
*
帝都の中心街にあるその武具店には、すでに数名の先客がいた。
軍人、あるいは傭兵と思しき厳しい顔をした彼らは、商品を手に取ったり、店主と話しこんだりしていた。
〝値切り〟をしているのかもしれない。
「順番待ちですね」
困ったようにカイドが言ったので、リシアも頷く。
それから見回した店内、木板作りの壁面には、抜き身の剣や装飾の多い槍などが美術品のように飾られていた。
その下、木目調の棚や樽にも、多種多様の武具が揃っていて、中には包丁や鍬なんて物まで並んでいる。道理でお客さんが多いわけだと思った。
軍関係者だけではなく、市井の人々にも利用されている店なのだろう。
また別の棚に目を向けて見れば、フィリツア製なのだろう長筒型の銃や、使用用途のわからない大型の武具もあり、リシアは、軽く首を傾げてしまった。
カイドが言った。
「珍しいですか?」
「はい。少し」
「リシアには縁がなかったでしょうからね」
言われて、リシアはもう一度店内を見回した。
なるほど。
喜ばしいことではないけれど、戦場暮らしが長いカイドには、どれもこれも馴染みの深い物ばかりなのだろう。
あの、使用用途もわからない武具も含めて。
思いつつ、リシアは並ぶ包丁類に目を留めた。
いつか。全ての戦が終わって、包丁や鍬ばかりが並ぶ日が来たらいいのに。
リシアは料理を知らないけれど、覚えたいと思った。
食べてさえいれば、人は生きていけるはずだから。
──だってエマが、そう言っていたから。
ぼんやりしてしまったリシアに、カイドが問う。
「もしかして、包丁が欲しいんですか?」
咄嗟のことで誤魔化すことも出来ず、リシアは言った。
「はい……あの、料理の練習を、できたらと思って」
「……そうですか」
カイドは少し迷った様子を見せつつ、結局はその棚の前まで一緒に行ってくれた。
そこに並ぶ、大小、様々な種類と数に、リシアは感嘆する。
「色々あるんですね」
「そうですね。ちなみに、使ったことは」
「まだありません」
これから頑張るつもりだと言ったリシアに、カイドは一瞬かたまり、いよいよ真剣に悩み始めた。
「……どれが危なくないかな」
「リンゴを剥いてみたいです。うさぎ型に」
「……承知しました」
唸るカイド──。
と、店の奥から店主がカイドを呼ぶ声がして。
順番が回ってきたことを告げる。
リシアはもう少し考えたくて、カイドを見上げた。
「ここで見ていても良いですか?」
「はい、すぐに戻りますから」
カイドは頷くと、足早に店の奥へ向かう。
その直後だった。
横から突然、淑やかな笑い声が届いたのは。
「ふふ」
驚き見やれば、リシアの隣には品の良さそうな老婦人の姿があった。
白いハンドバッグを肘にかけ、もう一方の手には歩行補助用の杖を持っている。
皺の刻まれた目元を細めながら、老婦人は済まなそうに言う。
「ごめんなさいね。仲の良いご兄妹だと思って、つい」
「……いえ」
帝都の住人なのだろう。
小花柄のワンピースを身につけた老婦人は、穏やかにリシアに話しかけた。
「すてきなお兄さんね、ふたりでお買い物?」
「はい。あの、兄ではない、のですが」
律儀に否定しつつ、かと言って夫婦だと説明するのも正しくはないような気がして、リシアは言葉を詰まらせた。
リシアの左手薬指で光る指輪を見て、老婦人は悪戯っ子のように微笑む。
「ふふ、ごめんなさい。わかってるわよ。本当はご夫婦なんでしょう」
「! ……えっと」
「いいのいいの。全部わかってるから。──無理やりだったんでしょう? かわいそうに」
「…………え?」
いつの間にか。にこにこと笑いながら言った老婦人の大きな手が、リシアの手首をぎり、と握りしめていた。
痛い。
その力強さにリシアは硬直する。
しかし次の瞬間には、老婦人の顔がひどく近づいていて。
「お探ししていたんですよ、姫さま。今、助けて差し上げますからね」
耳元でしたのは低い男の声だった──。
「……ッ!」
戦慄した。
鈍い衝撃の後、リシアは腹部に痛みを覚えて、身を崩した。歩行補助用の杖で突かれたのだと気づいた時には、遅かった。老婦人──ではない、壮年の男がその身体を抱き止めて笑う。取り返したと、勝ったと、呟きながら。
事態に気づき振り返った青年の本性をまだ、知らないでいられたからだ。




