13
***
──軍神、か。
言われて、考える。
主君や仲間たちからそう呼ばれるようになったのは、いつからだったろう。
そう長く生きているわけでもない。
なのに、正確な時期が思い出せない。
ただ。気づいた時にはもう、そんな呼び名が定着していた。
夥しい戦功と、戦友たちとの別れと共に。
ああ、だから、と思考が揺らぐ。
彼らに報いるためにも、自分はこの国を守らなければいけないのだ。なにを犠牲にしても。
思い出し、カイドは唇を厳しく引き結ぶ。
モンシェルリエテを落としたのは正しい行為だったと、自分に言い聞かせるように。──〝彼女〟には、悪いことをしたのだろうけれど。それならこっちにだって言い分はあるのだと。無意識に抱いた罪悪感を振り払うかのように。
カイドは、リシアの小さな手を取った。
*
──お忍びです。
と、カイドに連れられ訪れたフィリツアの帝都は、息を呑むほど華やかで美しかった。
リシアはだから、金色の瞳をあちらこちらに向かせては瞬かせる。
几帳面に整理された街並み。
白亜の壁の、飾り彫刻の見事な建築物。
なによりも、賑わう人々の多いこと多いこと。
縦横無尽に人の行き交うそこでは、ぶつからないようにするのがいっぱいで、リシアは大変にヒヤヒヤした。
案内された大通りには、軍事国家らしく、その類の人々が多かったが、商人や一般市民だろう人々ももちろんいて、リシアを次々と驚かせた。こんなに大勢の人間は城でも見たことがなかったからだ。
と──。一際大きな声が響いて、リシアは思わず繋がれたカイドの手をぎゅっと握りしめる。恥ずかしいと思う余裕もなかった。
「……!」
見やった先では露天商と男性客が額を突き合わせて何事かを怒鳴りあっている。
「あ、あれは喧嘩ですか? お止めした方が」
「あれは取引──値切りとも言います」
「ねぎり?」
「値段交渉です。客が安くしろと言っているのでしょう。軍人の管轄外ですね」
そう珍しいことでもないのか、落ち着いた様子で説明され、ほう、とリシアは、感嘆のため息をつく。
なるほど。
あれが、処世術、なのね?
モンシェルリエテで暮らしていた頃、『お金は大事です』と、見習い騎士だったルドは真剣に教えてくれた。けれど、金貨や紙幣を並べられ、その価値を説かれても市井を知らないリシアにはその大事さとやらがどうしても実感出来なかった。
(その頃は城を出て逃げるつもりでいたから、ふたりの親友、ルドとエマはリシアに、「世間一般」というものを必死に教え込もうとしていたのだ。)
だが、商人と客の剣幕に、今やっとその〝大事〟さが理解できた気がして、リシアは内心興奮していた。
──すごい。知らないものばかりだわ。
もちろん、モンシェルリエテとはなにもかもが一緒というわけではないのだろうけれど。それでも眼前に広がる光景に、リシアは、ルドとエマが教えてくれたそれと近しいものを感じていた。
しかし、同時にふたりを思い出してしまい、とたん寂しくなる。
ルドもエマも、元気にしているだろうか。ひどいことになってはいないだろうか。
カイドやアーノルドを疑うわけではないけれど、気がかりで仕方がない。
突然顔を俯かせたリシアに気付いて、カイドが穏やかな声を降らせる。
「リシア、すみません。喉が渇いたのでお茶にしてもいいですか?」
「え? あ、はい」
疲れたと思われたのかもしれない。
慌てて顔を上げれば、カイドのわかりにくい笑顔がそこにあった。
──お忍び、と称した通り。
身分を隠すため、カイドはいつもの軍服ではなく、黒いシャツに深緑色のネクタイ、ダブルボタンのジャケットといった軽装をしていた。リシアもまた市民に紛れるよう、襟元がレース飾りの檸檬色をしたシンプルなワンピースに腕を通している。
なお、フィリツアでは銀髪は珍しいらしく、念のため目立つのは避けましょうと、長い髪は今は丁寧にまとめられ、飾りリボンのついた、つばの広い帽子で隠されていた。
カイドに手を引かれるまま、リシアは往来を観察する。
その通りがかった洋服店の軒先。商品を陳列しているガラスケースに映った自分たちを見て、リシアは不思議な気分になった。手を繋いでのんびりと歩いているその姿は、まるで本当の兄妹のようだったから。
やさしい兄さま。
外に出ることに、最初は戸惑いもあったけれど。
貴重な休みを割いてくれた彼には今、感謝しかなかった。