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(リシアともう少し話したかった)
思いの他、長引いてしまった。
正午。
作戦会議を終えたカイドは、場に残ったアーノルドと共に、卓上に広げた地図を見下ろしていた。
面倒だった北部戦線──モンシェルリエテの制圧には成功した。
残る面倒なのは、と、怜悧な視線を地図に走らせ、西部広域の辺りで止める。
そこに点在する、中小の国々。そのどれもが、フィリツアの肥沃な領土を狙って、国境近くに陣を置いていた。そうして虎視眈々と、攻撃の機会をうかがっているのだ。
カイドは、防衛戦略を考えた。
先ほど上がった部下からの報告でも、先日、国境付近では小競り合いが起きたそうで──幸い軍杯はこちらに上がったのだが──モンシェルリエテを落としたからといって、楽観出来る状態ではなかった。
そこは同じ思いだったのだろう。
席についたまま、皇帝と総司令官を兼ねるアーノルドも、苦く、けれどどこか感嘆したように笑った。
「見事に敵ばかりだな」
「ええ」
カイドも静かに頷く。
今でこそ強国と恐れられるフィリツアだが、その歴史は他国に比べてあまりに浅く、儚すぎた。
アーノルドが帝位についてわずか七年しか経っていないのだから当然と言えば当然なのだが。問題は──そんな新興国の台頭が諸外国から歓迎されていないことだった。表向きは友好関係を結んでいる国々だって、内心はどう思っているのか分かったものではなく、予断を許さない状況が続いている。
特に、フィリツアから侵略を受けた──先祖代々守ってきた土地や国を奪われたかつての王族と残党たちは、未だアーノルドを若造と揶揄し、軍をあげて攻め込んできた。
どの王族の血も流れてはいない、ただの一兵に過ぎなかったアーノルドが、帝王としての資質に恵まれている事実が、〝血統書〟付きの彼らは気に食わないのだ。
(……くだらない)
アーノルドの才気と能力を、いやと言うほど知っているカイドからすれば、血統書付きという理由だけで王だの貴族だのと順位を決めている彼らの思考こそ、理解しがたいものだった。
カイドは、アーノルドほどの英傑を知らない。
アーノルドは、幼いカイドをその身を犠牲にして守ってくれた恩人だった。
あの瞬間のことは、今でもはっきりと覚えている。
『大丈夫か。坊』
それはまだ、カイドが十になったばかりの頃。
フィリツアの前身だった王国で。(その頃はフィリツアーリ王国と名乗っていた。)
数が足りず、少年兵として戦に駆り出された時のことだ。
その荒野に、傭兵だったアーノルドは立っていた。
──彼は荒野の戦場で勇ましく指揮をとり、仲間を励まし、いくつもの勝利を手にしていた。
それは、無謀な命令ばかりを下す貴族の軍人とは全く違っていて。彼のそばには瞬く間に人が集まり、敵すらも進んで彼の下につくほどだった。
カイドも、そんなふうにアーノルドに魅了された人間のひとりだった。
しかも、アーノルドはその戦場で、自分は戦いもしないくせに決死攻ばかりを命じていた貴族の指揮官を、その手にかけた。
そのおかけで助かった兵士たちは、アーノルドに感謝し、彼の下にはさらにたくさんの人間が集うようになった。
それでも、戦は中々終わらなかった。
そうして続いた戦場で。アーノルドはある日、敵の凶刃から身を挺してカイドを守ってくれた。その時の飛び散った血が頬にかかり、温かかったのとも覚えている。──代償として、アーノルドは腕の腱を切り、二度と戦えない身体になってしまった。
だからカイドは、その時から、自分はアーノルドの手足になるのだと決意した。
彼こそ、本当に上に立つべき人間だとわかったからだ。
そこに血など関係ない。
人の心を動かすのは心だ。
だから、血筋なんてくだらないのだと、カイドは、無意識に拳を握りしめる。
「──全く。大人しくしていれば自治権の一つくらいは認めてやるものを」
言ったアーノルドが、笑いながら肩をすくめる。
カイドは強く眉を寄せた。
「なんとか、話し合いで終われば良いのですが」
「はは、それは無理だろうな」
お前だって分かっているだろうに。と、アーノルドが意地悪げに、唇の片端を上げる。その通りだったから、カイドは大人しく引き下がった。
そう。話し合いで済ますことが出来ていれば、先のモンシェルリエテ戦でも、カイドは、多くの部下を失うことはなかった。出来ないから、こんなにも悔しい犠牲が続いている。
けれど本音を言ってもいいのなら、カイドは極力戦は回避したいと思っていた。その悲惨と凄惨を、いやと言うほど知っていたからだ。
(なにか、手立てを)
と、思案始めたカイドのそばで、思い出したようにアーノルドが言った。
「時に、姫君は妾の子なのだそうだな」
唐突なリシアの話題に、カイドは顔をあげた。
「リシアが……?」
「驚いたろう? なにを隠そう、おれもつい先日知ったのだ。モンシェルリエテとは、長いこと国交を絶っていたからな。……まあ、向こうが勝手に拒絶していたからだが」
そうして挙句、開戦ときた。
気位の高すぎる、つくづく嫌な国だとこぼしたアーノルド。
しかし、今カイドが気になるのはそこではなく。
「リシアは、正当な血筋ではないのですか?」
アーノルドは両肘を卓につき、絡め合わせた両手の上に、そっと顎を乗せて頷いた。
「ああ。モンシェルリエテの生き残りの文官に聞いたから間違いない。……城での待遇もよくなかったのだろうな。〝あれ〟に価値はないと、喧しく吠えられたよ」
──ひとりの時間が多かったので。
銀髪の少女の淡い笑顔が、カイドの脳裏にふと蘇った。




