第2話 竜の勇者、最初の任務【1/3】または「神敵、ブッタデウス現る」
「今日は、若者の脳は食えぬのか。惜しいのう」
『竜の勇者』(と、いうことになっている男)は、皿いっぱいに出された料理を平らげると不満げにつぶやいた。
男のために特別に調理された、ヤギの脳をふんだんに使った料理だ。
恐るべきことにその男は両肩から蛇を生やしており、その2匹の蛇たちも丁寧に料理に食べていた。
食らいつくというよりは、あくまで上品に。蛇たちすらも、まるで上流階級の礼節を身につけているかのようである。
「極上のヤギの脳を使い、最高の料理人が腕を振るった料理でございますゆえ、何卒ご容赦を」
『竜の勇者』の傍らに控える、豪奢な身なりの肥満体の男。
緊張と恐怖で、額に脂汗をじっとりと滲ませている。
彼こそが『竜の勇者』召喚の儀式を執り行った大司祭。
そして彼は、このような邪悪な存在を呼び出してしまったことを、とてつもなく後悔していた。
「ヤギでもよい、とは言ったが。それは若者2人の脳を用意できないならば、1人分の脳はヤギの脳で代用してもよい、という意味だ」
「2人分すべてをヤギで代用するやつがあるか。まったく。まぁ、よい。うまかったぞ」
『竜の勇者』様は人間の若者の脳をご所望だったが、さすがにそれは憚られる。なんとか、代用のヤギで満足してもらえたようだ。
「ときに勇者様。いつまでも『竜の勇者』様とお呼びするわけにはいきません」
「どうぞ、勇者様のことをなんとお呼びすればよいか、お教え願いたい」
大司祭は、恐る恐る呼びかける。満腹で満足している今なら、殺されることはないだろう。おそらく。楽観的に見て。
「そうだのう。余のことは、『王の中の王』とでも呼ぶがよかろう」
「まずはこの国、そしていずれはすべての国々を支配し、王たちを従える王になるゆえな」
この男なら、本当に乗り出しかねない。大司祭は肝を冷やしつつ、うっとおしくも思った。今はそういう、称号とか拗らせた二つ名とか、そういう話をしているんじゃなくて、名前を聞いてるんだ、名前を。
「『王の中の王』よ、できれば、ご尊名をうかがいたく……」
「おお、そうであったか。余の名を知らぬ、とな。痴れ者めが。まぁ、よかろう」
「余の名は、ザッハ……」
ふと、『竜の勇者』は言い淀む。
真名を明かしても良いものであろうか。
いや、それよりもなによりも、せっかく新天地に来たのだ。
新しい名前でやり直したいではないか。
この世に自分よりも偉大な存在はいないので、参考にすべき尊名はない。
で、あるならば、自身の血族の名から拝借するか。
美しく壮健なメフラーブ王か。
稀代の大英雄ロスタムか。
いや、決めた。
「余の名は、ファラーマルズ。一族名は特にないが、どうしても必要なときにはカヤーニーとつけよ」
「ファラーマルズ・カヤーニー。それが余の名であると覚えておけ。平時は畏まらず、ファルなどと気楽に呼ぶがよかろう」
ファラーマルズとは、大英雄ロスタムの子にして、一族最後の子。
敵対する王家に命を奪われた、悲劇の子だ。
魔王らしからぬ、人間の情が湧いたか。
「しかと賜りました、ファラーマルズ様。いえ、ファル様」
偽名なのは間違いない。こういうときの大司祭の勘は優れていた。
しかしどうせ真の名を知ったとて、呪術に使うことはかなうまい。呪詛返しをされるのが落ちだろう。
だが今、大司祭が何よりも意外に思っているのは、すんなりと会話ができていることだ。
有無を言わさぬ暴君かと思っていたが、そうではないようだ。
それとも、使えると思った部下は大事にするタイプの暴君なのだろうか。
もしそうであるなら、もう少しだけ、探りを入れてみてもいいだろう。
こういうときの大司祭の勘は優れており、同時に少しだけ大胆なのだ。
「さっそくですがファル様、『竜の勇者』として最初のお勤めをお願いしたく」
ここまで話しても、『竜の勇者』が怒りに震えるような様子は見えない。
むしろ、話を続けろ、と促しているようだ。
ならば、一息に話しきってしまうが吉か。
「我らが崇める女神ディル様の教えに背く、異端者どもが跋扈しておるのです」
「聖光教会の神家派、などと名乗っておりますが、我々、女神様を祀る聖光教会の啓示派とは似て非なるもの」
「恐るべき邪教でございます。彼らを、残らず殲滅していただきたいのです」
勇者の口元が歪む。相変わらず、背筋が凍るような歪で狂気に満ちた笑みだ。
「殲滅とは、穏やかではないな。我が覇道の第一歩にふさわしい、好みの任務だ。無論、倒した敵の脳は食ってよいのであろうな」
「な、なるべく、大勢が見ていない場所でお願いしますぞ」
「分かっておる。余は、そなたら民衆の希望を背負った『竜の勇者』様なのだろう? 体裁は守るさ」
「まずは、彼ら神家派の重鎮との会談の場を設けます。そこで、相手を見極め、覚えてくださいませ」
「その後、勢力を探るなり、その場で倒すなり、お好きな手法で彼らを滅していただきたい。最終的には、重鎮だけでなく派閥そのものを殲滅していただきます」
「ふむ? なんだ、向こうの者たちは渡りをつければ出向いて来るのか。不用心な。そなたらの攻撃魔法でもブチ込んでやればよかろうものを」
勇者が抱いた疑念ももっともだ。
招いて訪れるのならば、いくらでも奸計にかけられるというもの。
それを聞いて、大司祭の顔が暗くなる。
『竜の勇者』に向けた恐怖とは、また別の……どちらかと言うと、嫌悪や不気味さ、といった類の恐怖を露にする。
「それができぬのには、理由があります」
「彼ら派閥には、注意すべき重鎮が3人おります」
「1人目は、代表の男。彼は、我ら啓示派に属する教皇と教皇庁を認めておりません。『対立教皇』を名乗って、自分こそが教皇であると主張しております」
「その者は老獪で慎重で、聖宝具や高位魔道具をいくつも所持しております。いずれも、我ら聖光教会が関知せぬ、未知の武具なのです」
「2人目は、副代表の男です。その者は、岩のように頑健な体をもち、見たこともない術で空を飛ぶ武闘派の魔術師です」
「代表と副代表は、どうやってか女神様に属さない奇跡の力を操り、低位の神官どもに奇跡の術を授け『聖霊の御業』などと呼んでいます」
「そしてもっとも恐ろしいバケモノが、3人目。彼は、神家派において何の称号も持たぬものの、崇敬を集めております」
「それもそのはず。彼は不死身で、何度殺しても必ず立ち上がるのです。頭を切り落としても、火炎魔法で焼き尽くしても」
「一説によると不老不死で、すでに何百年か、何千年にも渡って生きている、と言われています」
何千年にも渡って生きている。その部分に、勇者は反応する。
勇者と同じ、長命の存在だろうか? それとも神霊や悪魔が転生したものか。
勇者が興味をそそられた気配を感じつつも、大司祭は忌々しげに続けた。
「対立教皇を名乗る代表の男の名は、インノケンティウス」
「副代表の男の名は、シモン・ペテロ」
「そして不死身の男の名は、ブッタデウス、でございます」