プロローグ 魔王、斯くして転移す【2/2】または「転生ではなく転移もいいな!!!」
女神ディルは、比較的若い神だった。創造神として世界を創ったのは、この世界が初めてだ。
恐ろしい魔王が現れたという。
私の世界に。
私が愛する世界に。
私が創った世界に。
私が愛する人類種が、助けを求めている。
まただ。
何度となく助けを求められた。
世界を監視する役目をもった、高貴な竜種。
助けを求められるたび、竜種の力を植えつけた魂を自分の世界に送った。
しかし、そのような特別な存在を自分の世界の輪廻の輪のなかで行うのは憚られた。
他の世界から魂をもらって来よう。
女神ディルは、安易にほかの世界に頼ってしまった。
その結果がこれだ。
両肩から蛇を生やし、右手に槍を、左手にきらめく短剣を持った強壮な男が……ザッハークが、熱病をもたらす不幸な風のように邪悪な言葉を発した。
「知らぬのか? シヴァは破壊神だぞ。そなたが縋った我が世界の神は、神は神でも破壊をもたらす神だったわけだ。
だから、儂が遣わされた。
ちっぽけなそなたの世界を破壊し、この無数に広がる世界すべてを我が支配下とする足掛かりにしてくれようぞ!」
傲岸不遜なその男は、その実、千年以上も生きる魔王である。
この者ならば、本当にやりかねない。
少なくとも、多くの世界に混乱をもたらすのは必至だ。
傲慢だった女神は、己の短慮を恥じた。
迂闊だった。
魔法が退化した彼の世界であれば、どんなに大英雄を呼んだとしても、御しきれると思い込んでいたのだ。
そうではなかった。
とんでもないバケモノを呼び込んでしまった。
「う、うるさいっ!
あんたみたいな矮小な蛇ごとき、ここで叩き潰してやるんだから!」
世界を創造するだけの力をもった自分と、同等か、それよりも上。
いや、それは明らかな強がりだ。
魂の取引相手、彼の世界の破壊神シヴァに勝るとも劣らぬ、おそるべき竜王がそこにいた。
ザッハークは三頭有翼の巨大なる悪竜、アジ・ダハーカに姿を変えた。
概念世界であるこの空間ならば、無尽蔵に魔力を取り出せる。
竜体になるのも容易いというわけだ。
「儂の世界には、ここほど潤沢に魔力はなかった。我を倒した英雄フェリドゥーンは、それでも魔法で竜に変ずることができた」
「そうであるならば、これほど魔力の濃いこの空間で、儂が元の姿に戻れぬと考えるほうがおかしいであろう。我が本性を見よ!」
巨大すぎる。そして強大すぎる。
「このような小娘が創造神とはな」
「そなたなぞ、どうでもいい」
「はやく儂を転移させよ! そなたの世界に迎え入れよ! そなたの世界を支配させよ!」
悪魔王の祝福を受けた、かつて悪竜の王だった魂。
そんなものを受け入れるわけにはいかない。
世界を守るために、少なからず必要悪はある。
ときにはこの手を血に染めることも……愛する動物・植物・精霊・人類種の血に染めることも、ある。
だが、むやみやたらに悪を為す存在を呼び込むわけにはいかない。
シヴァめ、謀ったな!!
自分の世界の悪を体よく放り出し、私の世界に押し付けようというのか!!
しかたない、もう覚悟を決めろ、あたし!
「貴様のような邪悪な存在は、ここで討つ! 世界のために!」
「言うではないか、小娘!」
「儂は、“心からの言葉”と“押し”に弱いのだ」
「自分の世界を心から愛し、そのために儂にも挑みかかろうという心意気、見上げたものだ」
「どうやらシヴァのやつには、儂が転移すべき世界をもう一つ探してもらわねばならぬようだな」
「そなたの見上げた心意気を、ただの心意気のままで済ませるのは失礼にあたるというもの」
「見事その命を散らしてみせよ、小娘!」
「そのあとで、守護者がいなくなったそなたの世界も焼き尽くしてくれるわ!」
眩い光と黒い炎、鋭い打撃と斬撃、小さな女神と巨大な竜が、幾度となくぶつかり合う。
実力差は明白だった。
体格、武術、魔力、魔法技術、経験、すべてに劣った側が、どうやって勝てばいいというのか。
女神は最後の賭けに出た。
「こ、言葉、言葉をどうするつもりなの!?
この転移前の空間で、あたしに言葉を教える魔法を受けないと、転移後の世界で言葉が通じなくて迷うでしょうね!」
「よい、よい。もはやそなたの世界に興味はない。そなたもろとも、葬ってくれる」
「でも、いきなり転移後の世界の言葉をペラペラしゃべれるなんて、すごくチートっぽくていいんじゃない?」
「それに言っとくけど、竜の力を持つ存在を、邪悪な者として排除しない世界のほうが少ないんだからね。代わりの世界、簡単に見つかるとは思えないけど」
女神は、諦めた。儚い覚悟であった。
形勢は明らかに不利。
今ここで滅ぼされるよりは、自分の世界に取り込んでしまったほうがいい。
自分の世界をどうされるかは、分かったもんじゃない。
だが、今ここで滅ぼされるよりはマシだろう。
「ふむ。むむむ」
「なるほど。そういう考え方もできるのか」
この世界では、相手の思考も流れ込んでくる。
『儂は“心からの言葉”に弱い』、彼の竜王はそう言った。
ならば、そうなのだろう。
押しに弱いとも言っていた。
あとはもう、言葉で、しゃべり一本で何とかするしかない!
がんばって説得するしか、生き残る道はない!
「こ、これはね。試験だったのです。そう! 試験!」
「あなたが私の世界でも十分に通用するか、確かめるための試験だったのです。これだけ強ければ、私の世界の難題も無事クリアしてくれそうかな。」
嘘は言っていない。
最初のうちは、強さを確かめるために戦っていたのは本当だ。
思ったよりも強すぎて、どうしようもなかったのだが。
「なに!? それは本当か」
「そうだったのか。熱くなってすまなかったな。そういうことなら、そなたもそなたの世界も、滅ぼすのは止めようではないか」
「して、無論合格であろう。」
もしかするとこの魔王、本当にしゃべりに弱いのでは?
簡単に騙されちゃうのでは???
「そ、そうです。満点ですね。満点。合格です。」
「ふむ。そうか。儂はてっきり、そなたが本気で儂を滅ぼそうとしているのかと思ったぞ」
「まぁ、この程度の魔力量と実力では儂には手も足も出ぬし、何かおかしいと思ったのだ」
禁呪も使って全力以上の力を発揮して、それでも足元にも及ばなかった話は、するまい。
明日はヒドい筋肉痛だ。霊格も落ちるかもしれない。
私は創造のほうに能力を振ってるから、強くなくても仕方ないもんね。
女神はみじめな気持ちになりながらも、己の心を守るための言い訳をした。
「も、もちろん手を抜いていました。私の世界を守ってくれる勇者様ですからね」
「でも、そういえばさっき、他の世界を支配するとかなんとか……。」
「気のせいである! そんなことは言っていない! 断じて! 儂は勇者じゃからな。さぁ、転移転移!」
相手の失言にかこつけて、手早く転移させてしまおう。いつまた襲われるか分からない。 そうなったら勝ち目はないだろう。
「じゃあ、言葉を教える魔法を施します。じっとしてて。」
さっさと言語習得の魔法施術を終わらせるのだ。
「? この程度の児戯では意思疎通に難があるじゃろう。ここの術式をこうして……。」
魔王は突如、発動中の言語魔法に手を加えてきた。
そもそも、展開後の魔法陣に手を加えることが可能だったなど、女神はこのとき初めて知ったのだ。
「そ、そんなバカな!? 効率が何倍にも上がって……でもこんな量の知識、一気に頭に入れたら気が触れちゃうでしょ!?」
「儂の脳の容量は常人よりも大きいのだ。そもそも、“頭数”も多いしな。適切な語彙量であろう。」
「(こ、こいつ、魔法知識も魔法制御も応用力も半端じゃないとか。)」
「(いいや、とにかく言語習得も終わった。さっさと行ってくれぇえええ。)」
「はいはい、それじゃ、転移~」
「うむ。女神よ、また会うこともあるだろうが、そのときはよろしく頼むぞ」
「女神を祀る教会とかで、啓示をくれたりするのだろう。」
「(もう二度と会いたくない!)」
「(できれば私の世界の魔王に殺されてくれ!!!)」
「はいはーい、それでは竜の勇者様、私の世界をお救いください~」
女神が力を込めると光の柱が現れ、彼女が創世した世界へと続くゲートが開かれる。
「ここは思念世界だから、心の声も聞こえるというのに。儂が魔王に殺されたら、そなたの世界が大変なことになってしまうじゃろ。まったく不躾な女神だのう」
「(だからこんな、お粗末な転移魔法しか使えんのじゃろう。哀れよのう。)」
「心の声!! 聞こえてんだってば!!!」
「やれやれ、お粗末な転移魔法は転移心地も不快だのう。病気のラクダに乗っているようじゃ。」
「せめて!! 心の中で言え!!!」
それが、転移前に聞いた女神の最後の声だった。




