第5話 勇者、欲望渦巻く万神殿に赴く【1/2】または「百の柱が林立する聖なる家」
勇者ファラーマルズと大司祭は、神家派の主教会の前に立っていた。
大司祭の居城よりも、王国の象徴たる王城よりも、はるかに豪奢で絢爛で豪華な大聖堂。
いったい、何千万タラス、何億タラス(※)の工事費がかかっているのだろうか。
(※タラス:この世界の通貨単位。1タラス=100ドラク。12ドラクで“棒状の美味なる菓子”が購入できるであろう)
そして、誰がどうやって莫大な工事費を工面したのか。
その答えの一端が、教会に併設された施設にある。
一つが、贖宥状の交換所。
市民の間では『免罪符』などとも呼ばれている。
罪を告白し、罪に応じた額を寄付することで、罪が許された証である『贖宥状』がもらえるのだ。
実質的な、『罪の清算の販売所』である。
本来は、戦争などで聖光教会のタブーである殺人を行ったとき、祈りと共に許しをもらうための制度として発案された。
実施直後は、貴族が参戦回避する際の「教会の教えに反する」という言い訳を潰すために大いに利用されたものだ。
また、「この戦争は女神様も認めておられる」という教会からメッセージとして、プロパガンダ的に王国政府に利用されてもいた。
この案を国に提出したことによって、神家派は王国政府の支援を受けることができ、結果として啓示派と並ぶ大派閥へと成長したのだ。
しかし、それは罠だった。
贖宥状の適応範囲の解釈も提供権も神家派が独占したことで、莫大な富を生んだのだ。
悪事に手を染める貴族や犯罪者が、追及の手から逃れるために利用した。
違法な手段で稼がれた金が流れ込んでくる掃き溜めとなり、その金額は膨れ上がった。
間違いなく、神家派の資金源の柱の一つである。
そしてもう一つの資金源が、『聖霊所』とも呼ばれる聖職売買の施設だ。
曰く、『祈りに応じて、ふさわしい聖霊様を憑ける』のだという。
もちろん、『祈り』とは『寄付』のことだし、金額が高いほど良い祈りだとされた。
法外な回復魔法費で私腹を肥やし、賄賂を懐に収めている聖職者ほど高位の聖霊を憑けてもらうことができる。
高位聖霊がもつ強い奇跡の力は、さらにその者の地位を固め、押し上げていく。
その結果、さらに強い聖霊を憑けてもらえるような高額の寄付ができるようになる。
シモン・ペテロとインノケンティウス8世による聖職売買は、神家派の資金源の1つであると同時に、自分たちの息がかかった者をバラまくためにも大いに役立っていた。
そんな、堕落の権化のような二施設に挟まれて、享楽を絵に描いた大聖堂がそびえ立っていた。
「これが、余の新たな宮殿か。多少、手狭だが、まぁよかろう」
勇者は、相変わらず不遜で尊大だ。
彼はかつて魔王であり、悪魔とも平気で契約して邪悪な力を借り、その約束を反故にもしてきた。
今や聖光教会は「神聖さを売る市場」と市民から揶揄されている。
だが勇者ファラーマルズにとって、「神聖さを金で買うこと」など『当然の行為』なのだった。
教会によるこれほどの悪徳を目にしても、権力による腐敗臭で満たされた建物を見ても、それが自分の物になったというわずかな喜びを感じるのみであった。むしろ、思ったよりも建物の規模が小さかったために不満げですらある。
大司祭は、手段を問わない非情さがあるものの、究極的には聖光教の教えを守り、女神に仕える僕だ。
女神の権威を貶める神家派のやり口には、心底腹が立っている。
だが同時に、すでに派閥間のパワーバランスで負けてしまったことも痛感していた。
勇者に縋ってでも、神家派の悪行を止めさせなければならない。
大聖堂の入り口を飾るひと際巨大な扉が、その見た目に反して音もなく開く。
過剰なまでに装飾が施された、黄金色と銀に輝く大扉だ。
その意匠はことごとく、大司祭が知る女神の逸話からかけ離れている。謎の十字架を背負い茨の冠を戴く男を中心としたものであることに、大司祭はすでに気づいていた。
大胆にも、この世界への宗教侵略が始まっている。この大聖堂はその最前線なのだ。
「ようこそ、親愛なる『竜の勇者』殿、そして啓示派の派閥長、大司祭殿」
「儂が対立教皇インノケンティウス。インノケンティウス8世である」
「おおっぴらには、まだ対立教皇を名乗っておるがな。次回の教皇選出では、間違いなく儂が選ばれる」
「貴殿らは、未来の教皇の前に立っておるのだ」
インノケンティウス8世は、広間の階段状になった台座のはるか上に鎮座し、腰を上げることなく、頬杖を解くこともなく、不敵な態度のまま言い放った。
帝国の謁見室ですら、これほど上から見下ろす構造になってはいまい。
礼拝者を侮辱し、権威を見せつけるための造りだ。
だが、まったく怖じることなく、勇者は教皇以上に不遜であった。
「そなたの頭上に不幸の風が吹きませんように。風が我らに幸福のみを運びますように」
「そして、どうか喜びなさい。余が来たのだ」
「余のために、この家を用意して待っておったのだろう」
「大義であった。少々、余の宮殿にしてはみすぼらしいが……」
「そなたからの贈り物として、受け取っておこう。贈り物は、値段や見栄えではなく『心』が大事だと言うからのう」
インノケンティウス8世は、呆気に取られている。
は??? 何言ってんだ、こいつ? という表情と雰囲気だ。
もしかすると、実際にそう口走っていたかもしれない。
“今回の勇者は、恐るべき魔王である。今までの勇者とは違いすぎる。”
そんな話を、シモン・ペテロとブッタデウスから聞いていた。
だが、この尊大さは予期できなかったのだ。
勇者からは鬼気があふれ出している。
なんのことはない。
勇者は、考えなしに神家派の前に立っているわけではなかっただけのこと。しっかりと「政治的闘争」をするために、この大聖堂を訪れたのだ。
「余と連れだって来たこの男、大司祭のことは知っておろう」
「余が目をかけておる、啓示派を率いる者だ」
「先だって、そなたの使者たちが余の下を訪れた」
「その折、そなたら神家派と同盟を結んだことは知っておるな」
「今日は二つの対立していた派閥同士が手を取り合い、新たに聖家派として出発する、記念すべき日だ」
ここまで一息で話すと、そのあとは、じっくりと、噛みしめるように言葉をつないだ。
「そして……余は、その派閥の庇護者となろう」
「神聖なる王権をもった余と、余が認める唯一の教会。手を取り合い、この世界を導いていこうではないか」
「余が支配する、この世界を……な」
事ここに至っても、インノケンティウス8世は冷静であった。
「新たな派閥の長が生まれたこと、真なる王が降臨されたことを、心より祝福します」
「勇者ファラーマルズ殿、大司祭殿、宴の準備ができておりますゆえ、別室へどうぞ」
辛うじて頬杖を解いたものの、いまだ壇上から見下ろし、不機嫌そうに座ったままだった。
「ふぅむ……。どうやら、趣向を凝らした、余の好みをよく理解した『宴』のようだな」
「では、甘んじて受けてやるとしよう」
勇者は、何かを察している。
そして、大司祭も感じていた。これから起こるであろう惨劇の予感を。