第3話 王都、炎上【3/3】または「動き出す陰謀」
「では、続きといこうか」
爆発するような速度で飛び出したのは、今回は勇者のほうであった。
ウダイオスに、右手の槍と左手のきらめく短剣で迫る。
「お、おのれ!」
ウダイオスは左腕の丸盾を捨てると、幅広の剣を握り直した。右手には、先ほど地面に突き刺した槍がある。
二者は奇しくも、似た装備となって近接する。
差があるとするなら、勇者の肩からは蛇が生えていることくらいだった。
そして、近接戦闘において攻撃に使える四肢が多いことは……六肢あるということは、驚くほど有利に働く。
勇者は、魔術だけでなく武術も一流だった。
しかしウダイオスも、当時の世界最強級の軍人。
しかも今は、竜の骨と再生力、そして常人離れした筋力によって、以前とは比較できぬほどに強くなっている。
技の切れも速度も鋭さも、何もかもが超一流だった。
だが。
一瞬の攻防の合間を縫って、蛇による必殺の一撃が繰り出される。
竜牙兵を容易く焼き尽くし、溶かし尽くす炎と毒は、浴びればただでは済まない。
少なくとも、この場の勝負は決着してしまうだろう。
ウダイオスは、鍛え抜かれた筋肉と技術で、迫りくる蛇の頭を斬り飛ばす。
そう、この蛇の攻撃を防ぐには、蛇の頭を《《切り飛ばす》》しかない。
斬り飛ばされた蛇の頭は、しばらく蠢動し、すぐさま蛇人へと変化する。
そして竜牙兵と蛇人との戦線へ参加し、どんどんと前線を押し下げていく。
市街の中心地から郊外へ。
事ここに至っては、もはや王都侵略はなるまい。
……いや。まだ希望はある、とウダイオスは感じた。
最初に異変に気づいたのは、勇者に「邪魔だから下がれ」と命じられた大司祭だった。
あまりにも火の手が上がり過ぎている。あちらこちらで。
建物が崩れすぎている。あらゆる場所で。
王都の崩落が、早すぎる。
少し場所を移してみよう。
ここは、異常なほどの速度で燃え盛る、市街地の一角。
「火を、放ちました」
燃え落ちる貴族の邸宅を前に、『竜の勇者』たるノーマが佇んでいる。
ノーマがもつのは、『竜の膂力』と『竜火』の力。
そしてその目の前には、『反逆の勇者』であるユウマがいた。
その邂逅を知ってか知らずか、ウダイオスは一人、悲壮な覚悟を決めていた。
「(我がここで、勇者ファラーマルズを押し留めれば)」
「(ユウマと、解放されたノーマで王都を殲滅できる!)」
「(都市が崩壊したら、どれだけ強い力をもった勇者であろうと、簡単には再建できない)」
「(ユウマと思い描いた、王都への復讐と、この世界で成すべき夢の礎になる)」
「(あと少し、あと少し粘れればいい。我は倒れるとも、一秒でも長く、こやつを押し留める!)」
ふと、この覚悟の様はまるで、テルモピュライの戦いでペルシャ軍を押し留めたレオニダス王のようだと感じた。
あのスパルタ人300人の活躍のようだと思った。
その当時は、ウダイオスの故郷テーバイとスパルタは同盟していたのだった。
今、ウダイオスの前に立ちはだかるのは、ペルシャの流れを汲むイランの王だという。
おあつらえ向きの死地だ。
唯一、誤算があったとすれば。
それは、300人のスパルタ兵対10万人のペルシャ軍よりも、さらに大きな実力差があったことだ。
ウダイオスと、勇者との間に。
「昔を思い出して、楽しかったぞ、重装歩兵殿。これで終いだ」
肩の二匹の蛇は、もはや顔を狙って攻撃してはこない。
竜牙兵との戦闘を終わらせるのに、十分すぎるほどの蛇人が生まれていたのだ。
それだけではない。蛇の舌がチロチロと、不気味に、リズミカルに波打つ。
蛇の口元がモゴモゴと動いて……。
そうだ、これは、呪文だ。
空中に、無数の黒い炎の槍が浮かぶ。
ウダイオスは知る由もなかったが、蛇の口を二つ使った呪文詠唱は、信じられないほどの高速であった。
このような黒い炎の槍を無数に召喚する呪文を、瞬きする刹那に編み終わるとは。
忘れてはならない。
勇者ファラーマルズは、武術だけでなく魔術も一流だったのだ。
「お、おのれ! ペルシャ人めぇえええ!!!」
最後の叫びも空しく、ウダイオスは雨のように降り注ぐ黒い炎の槍に全身を貫かれ、焼き尽くされる。
彼の体を支えているのは、両足ではなく、全身を貫いた無数の槍だった。
その槍も、魔法で作られた存在であるため、効果が切れると無散していく。
支えを失ったウダイオスは、ゆるやかに倒れ伏した。
勇者ファラーマルズは、右肩の蛇を伸ばし、ウダイオスの頭部に口をつける。
まるで卵か何かを飲み込むように大きく口を開いた蛇は、ウダイオスの頭を丸飲みにした。
そして、蛇とは思えぬほどの強力な顎力で頭部を噛み千切り、見事、頭だけを飲み下したのだった。
「ひさしぶりの脳だ。うまいうまい」
勇者は歓喜に身を震わせている。
ウダイオスはと言うと、全身の火傷も穿たれた穴も、そして失った頭部すらも、だんだんと再生が始まっていた。
「完全に再生される前に拘束せよ!」
「このギリシャ人……テーバイ人と言ったか。この者には、聞きたいことが多いゆえな」
竜牙兵を制圧した己の手勢である蛇人と、そして遠巻きに行方を見守っていた大司祭の部下に命じた。
「『竜の力』とやらで余人よりも強いとは言え、所詮は常人よりもちょっと強いだけの兵士」
「殺さずに仕留めるのは難儀だったのう。力加減を間違うと、再生できぬほどに消滅させてしまうゆえな」
「そのせいで思ったより時間がかかってしまったが、問題はなかろう」
「こやつが知る、竜牙兵を生み出すスパルトイの秘術。ぜひとも手に入れたい」
「それに……再生する頭とは。なんともありがたい。こやつには、余のために脳を提供しつづけてもらおう」
勇者の口元に、歪な笑みが浮かんだ。
一方、その頃。
市街地の一角で対峙していたノーマとユウマ。
「火を、放ちました」
毅然とした態度で言い放つノーマ。
「こんなやり方は、間違っています!」
「どういうつもりだ、ノーマ!? お前の隷属魔法師は殺した! お前は自由だ!」
ユウマは語気を荒げている。
「はい、私は自由の身です。だから、私は自分の意志で、王都側につきます!」
大司祭が気づいた異変。
あまりにも火の手が上がり過ぎている。
建物が崩れすぎている。
それらはすべて、ノーマの手によるものだった。
延焼する前に建物をあらかじめ焼き壊した。
適切に焼けば、もうそれ以上焼け広がることはないため、延焼を止められるのだ。
この方法は、草原で野火に遭遇した際に有効だといわれている。
延焼を広げそうな建物を、竜の腕力に物を言わせて叩き壊した。
これは、火事の広がりを留めるため、江戸時代に「め組」と呼ばれる集団が家々を打ち壊した手法と同じである。
王都の崩落が、早すぎる。
彼女が、崩落しないはずの場所を崩落させることで、重要な施設を守ったのだった。
例えば、多くの子供たちが暮らす孤児院。
例えば、逃げられない病人たちを抱える病院。
例えば、避難所になっている学校。
例えば、袋小路で逃げ場がない貧民街。
そんな、彼女にとって非常に重要な施設を、守ったのだった。
「私たちは、たしかに隷属魔法で無理やり働かされていました!」
「でも、こんな方法で、何の罪もない王都の人たちを苦しめるなんて間違っています!」
ノーマは、これまで聞いたこともないような大きな声で言い放った。
「く、くそっ」
ユウマはこれまで、隷属魔法で無理やり隷属させられてきた者たちを大量に開放し、仲間にしていた。
危険思想をもつ邪教徒、懲役刑で強制労働させられる犯罪者、私腹を肥やした不良貴族。
そしてもちろん、反王政の政治犯や思想家など、王都の横暴で理不尽に隷属させられた者もいただろう。
その数は数十から、100名を超えるまでに膨れ上がっていた。
ユウマが元から連れていた個人的な手勢と合わせると、300以上。
大抵は、自由と王都への復讐をちらつかせるだけで、自分たちの側についたものだ。
ノーマには、それが通用しなかった。
そして同じく、彼らではノーマには通用しない。まったくもって、勝てる見込みがない。
撫でられただけで全身が複雑骨折してしまうほどの竜の膂力と、どんなに優れた火炎魔法にも勝る竜火。
「こんなひどいことをした罪を、償ってください、ユウマさん」
確信めいた正義の目で、ユウマを睨みつけるノーマ。
明らかに、激怒していた。
恐ろしい竜の化身が、激怒して自分の目の前に立っていた。
その恐怖で足がすくむ。
「(拒絶されていては、接続がつながっていても『竜声』が届かない)」
「(どうする、どうする……)」
「コケーーーッ!!! ケェーーーーッ!!」
突如、ノーマとユウマの間に割って入る奇妙な人影。
そう、あまりにも奇妙だ!
上半身は裸で、下半身には気持ち程度のボロ布を巻いている。
その肉体は巌のように頑健であった。
だが、奇妙なのはそのことではない。
頭が!
鶏なのだ!
「コッコッ」
「コケェーー」
しかも、3人(3匹?)いる!!!!
「(勇者ユウマよ。逃げなさい。その鶏人は味方だ)」
どこからともなく、ユウマの脳内に念話が響く。
自分で繋げた、『竜声』による念話ではない。
この世界の未発達な念話魔法か、それとも、まるでこれは……。
別の、高級な魔法道具でも使ったかのようだ。
「ひけ、ひけぇ!!!」
ユウマは、声の限りに仲間たちに指示を出す。撤退命令だ。
隷属魔法から救出した100名あまりの、“元・王都の中枢に食い込んでいた”人材たち。
それと、自分がもつ純粋科学の知識を手土産に、グルマジアに亡命するのだ。
3人の鶏人は、ノーマとユウマたちに割って入るように立っていた。
「そこを! どいてください!」
すさまじい力で殴りつける。これでも手加減しているのだ。
だとしても、これを受けては常人ならば立っていることは不可能であろう。
しかし!
「ケェー!!!」
鶏人は、その手に持つ輝く大剣を構えると、ノーマの拳を受け止めてみせた。
「うぐぅっぅぅ……なかなか、やるっ!!」
ノーマの目に闘志が燃える。
別の鶏人が、今度は手に持った錫杖から光を放つ。
光線魔法と同等かそれ以上の熱量の光がノーマを横薙ぎに襲う。
しかもそれが、無詠唱とは!
「はああああぁぁぁぁ」
ノーマは竜火を放つ。石畳ですら、その熱に溶けてひしゃげる。
が、それも届かない。
3人目の鶏人が、何か書物のようなものを掲げると、光のヴェールが鶏人たちを包み込む。
そのヴェールに阻まれ、中まで炎が届かないのだ。
大剣を構えた鶏人が、下から上へ、掬い上げるように剣を振るう。
すると、光の衝撃波が発生し、ノーマへ襲い掛かる。
錫杖からの光線もおまけだ。
「……ぐうわああああぁぁっ」
竜の膂力と竜火があっても、再生力はウダイオスほどではなく、また防御力もそれほどではない。
いくら3人(3匹?)が相手とはいえ、ノーマが不利になることなど、そうそうあり得ない。そのはずだった。だがこの状況は、いったいどういうことなのだろうか。
理由は明白だ。あの鶏人たちとその装備が、あまりにも強すぎるのだ。
彼らの戦いを後目に、ユウマたちは逃げ去っていく。
なんとか撤退できそうだ。
「(だが、あの念話の主は……たしか、聖光教会、神家派のインノケンティウスでは?)」
疑念を抱きながらも、ユウマはグルマジア軍本体との合流地点へと急ぐ。
ユウマたちの様子を見届けた鶏人は動きを止める。
「コッ!」
再び大剣を振るい、光の衝撃波を発生させる。
「はぁっ!」
今度はノーマも負けてはいない。
地面を擦るように低い姿勢でアッパーを繰り出す。
抉られた石畳が、まるで弾丸のように飛散して、光の衝撃波を相殺する。
相殺してなお余りある石畳の弾丸が、鶏人へ襲い掛かる。
しかしその瞬間、鶏人たちは血のように赤くなると……煙のように、霧散して消えていった。
まるで、魔法で生み出した武具が、効果が終わったら消え去るかのようであった。
「くそおーー!!! 逃げるなぁあああ」
ノーマは、ユウマと、そして鶏人に向けて怒声を発することしかできなかった。
そこから5区画ほど離れた地帯。
インノケンティウスとシモン・ペテロが佇んでいた。
シモン・ペテロは、黄金でできた盃を掲げている。
その盃のなかに、先ほどの鶏人から無散した血煙が収束していく。
「イエスは、ペテロに『あなたは、鶏が鳴く前に、三度私を否認するでしょう』と言われた」
「ペテロは、そんなことはしません、と言った」
「だが、イエスが捕まった後、ペテロは人々に詰め寄られ、そのたびに我が身可愛さから『イエスなど知らぬ』と言った」
「三度目に『知らぬ』と言ったとき、鶏が鳴いた」
「このとき、ペテロは自分がイエスの言った通りにしてしまったことを知り、嘆いたという」
「私がペテロから聖性と名前を買い受けたとき、彼の罪も同時に買い受けた」
「だが、私は思うのだ。これは、本当にペテロの罪なのか、と」
「ペテロがイエスを『知らぬ』と言う前に、三度、鶏は“鳴くチャンス”があった」
「鶏が先に鳴いてしまえば、イエスの悲しい予言は成就しなかった」
「これは、三度も“鳴くチャンス”があったのに鳴かなかった、鶏の罪なのではないか、と」
シモン・ペテロは、黄金の盃に戻ってきた鶏人たちの血を見つめた。
すでに盃の中に収まった血は、完全に吸収されて見えなくなっている。
盃が、血を飲み干したかのようだった。
「だからこそ、鶏には許される機会を与えた。鶏人の労働によってな」
「これこそが、ペテロ派の聖遺物『贖罪の盃』だ」
シモン・ペテロは、盃を懐へしまう。
「またの名を、『ペテロの罪』。だな」
インノケンティウスが、嫌味たらしく相槌を打つ。
「インノケンティウスよ、これで良かったのか? ユウマがグルマジアに渡ると、勢力バランスが崩れてしまうぞ」
教会での立場的には、対立教皇を名乗るインノケンティウスのほうがシモン・ペテロよりも上である。
しかし、インノケンティウスに対して“霊的な力をもつ任命”をしたのは、初代教皇(の霊威を買った)シモン・ペテロだ。
実質的には、シモン・ペテロのほうが上位者である。同時に、彼らは共に陰謀を進める者として、対等だった。
「これでいい。ユウマが知る『クローン技術』とやらを、グルマジアで確立してもらう必要がある」
「ユウマは、ノーマとウダイオスを掛け合わせて、『竜の膂力、竜火、竜の骨、竜の再生力』をもつ、無敵の兵士を量産したいようだがな」
「儂は、もっと良い存在を量産しようと思っておる」
鶏人たちが携えていた魔法武具を、魔法の収納道具にしまいながら、インノケンティウスは語った。
同時に、先ほどユウマの脳内に直接語り掛ける際に使った、水晶のような見た目の魔法道具も収納する。
インノケンティウスは、対立教皇として、聖職者を聖人に列する権利をもつ。
聖人に関わった器物、とりわけ殉教した聖人に関わった器物は、聖遺物になりやすい。
彼は、好きなように好きなだけ聖人を仕立て上げられたし、彼らを殉教させることも思いのままだった。
そうして、この世界に来てから聖遺物を量産してきたのだ。
彼が持つ数々の“魔法道具”は、正確には“聖遺物”なのである。
おそらく、この世界に来る前にも同じ方法で量産していたのではないだろうか。
だがどれも、彼が持つ最高の聖遺物には及ばないだろう。
懐から、槍の穂先を取り出し、恍惚とした表情で眺めている。
「誰がアラブなどに渡すものかよ。」
インノケンティウスを名乗るこの男こそ、インノケンティウス8世。
魔女狩りと聖職売買、身内の登用などで悪名高い、堕落した教皇の代表に数えられる男だ。
そしてアラブ世界と取引する際、『ロンギヌスの槍』を売り渡した人物としても有名である。
あの、イエス・キリストの脇腹を刺したとされる、運命の槍を。
「渡すわけがなかろう、こんな素晴らしい聖遺物を……」
うっとりと眺める穂先のつなぎ目には、血が、何者かの血が、こびりついている。
不思議なことに、それはまだ乾ききっていなかった。
「血の一滴でもあれば……本人を再生復活させられるという、『クローン技術』が、なんとしてもほしいのだ」
「儂は、ユウマなどが考えているよりも、もっともっと良い存在を量産しようと思っておる」
インノケンティウスが、暗い欲望に湧き上がっている頃。
自室にて、ブッタデウスが一連の報告を聞いていた。
「そうか、ユウマは無事にグルマジアへ渡ったか」
「インノケンティウスは、おそらくナザレのイエスを求めているだけではあるまい」
「私は、彼の者が降臨してくれれば、彼の者に謝罪できれば、そして許しを与えてもらえれば、それでいい」
「念のため……私も動いておくか」
彼は、厳重に保管していた“布切れ”を取り出した。
それは、彼がイエスの頬を叩いたときに着ていた服の袖口だ。
「『私は、休みながら歩こう。だがそなたは、休まずに歩き続けるがよい』か……」
「そろそろね。休みたいんですよ、私も」
その布に付いた血は、不思議なことに、まだ乾ききっていなかった。
おお、世よ!!
廻る天輪は、この世界に恐るべき争いの種をまき散らしている。
だが我々にはどうすることもできぬ。
今しばらく、彼らの運命を見届けようではないか。