第3話 王都、炎上【2/3】または「動き出す陰謀」
『竜の勇者』が裏切った。
その報が広まるより早く、王都は『裏切りの勇者』ユウマが手引きした他国の軍隊に攻め込まれた。
『裏切りの勇者』ウダイオスが生み出した、竜牙兵の軍団によって攻撃された。
王都を攻める軍隊の軍事行動は、戦闘を目的としたものではない。
無防備な住民を虐殺するための、敵国に被害を与えるための攻撃にほかならなかった。
捕虜を取ることも、インフラ設備を残すことも、制圧後の治安維持も考えなくていい。
戦闘することすらも無視できる。
戦争のための軍隊と、駐留の治安維持警邏隊では、まともな戦闘にすらならないのだ。
治安維持警邏隊も、武器を持っただけの“ただの市民”に変わりない。
王都の頼みの綱は常備軍だ。
戦闘を目的とした職業軍人たち。彼らが出撃してくれば、少なくとも、まともな“戦闘”は起こるだろう。
だが勇者たちは知っている。
常備軍は、出撃に時間がかかることを。
これまで勇者たちは、王都の書類報告主義をさんざん目にしてきた。
上級ポーションの使用許可が必要なければ、助かった仲間の命があっただろう。
パーティ規制を無視して回復魔法師を連れていければ、救えた住民はもっと増えただろう。
自分たちが勇者としての活動をする際に、とにかく足を引っ張ってきた書類報告主義。
ともすれば、それは優れた分業構造をも意味しており、社会が成熟していることの表れかもしれない。
しかしいまやそれは、王都に属する者たちの足を引っ張ることになるのだ。
常備軍が出てくるまでに、ただひたすら王都の被害を拡大させればいい。
ただただ、目についた住民を撫で斬りにし、火を点けて回ればいいのだ。
ある一点。
被害の度合いがある一点を超えると、常備軍が出てきても、もはや収拾がつかなくなる。
移動経路はめちゃくちゃになり、既存の地図は役に立たず、崩壊する建物が加速度的に増えていく。
とにかく今は、反乱軍は一人でも多くの住民を傷つけ、一か所でも多く火の手を上がらせることを考えている。
逆に王都側は、なんとかして反乱軍の足を止めなければならない。
すでに被害は拡大し、爆炎が各地で上がる。
ユウマが用意した新兵器、時限式爆弾によって爆発も起こっているようだ。
怒号と悲鳴が聞こえるなか、王都側の『竜の勇者』であるファラーマルズは、不敵な笑みを湛えていた。
「ちょうどいい。余の『竜の勇者』としての次の任務は、これだな」
「逆賊どもから王都を救い出してやろう」
勇者の背中から、竜の翼が生える。
すぐさま、賊軍が暴れている地帯へと飛び立っていった。
「お、おまちくだ……! ファル様……」
大司祭が止める声は羽ばたき音にかき消され、もはや届かない。
音速に迫るかという恐るべき速度で勇者は飛行し、あっという間に最前線へと到着した。
速度を一切ゆるめることなく、最大速度のまま戦場へ突入する。
圧縮された空気の壁が、竜牙兵たちを薙ぎ払う。
隕石の落下にも似た衝撃で、周囲を破壊しながら勇者が登場した。
巻き込まれて破壊された竜牙兵は、10や20では済まないだろう。
捲れて巻き上がった石畳が、ゴトゴトと音を立てて舞い散る。
これだけの質量のものが紙屑のように舞い上がったのだ。突撃の衝撃の凄まじさを知るには十分だろう。
当然ながら、勇者は無傷。翼はすでに格納していた。
同時に、竜牙兵を率いる『裏切りの勇者』ウダイオスも、まったくの無傷。
直撃を受けたわけではないが、彼の近くにいた竜牙兵が全滅していることを考えると、やはり彼もまた超常の存在なのだろう。
皮を張っただけの丸盾で、この衝撃を防御してみせたのだ。
瓦礫のなかから、舞い散る石塊をまるで綿埃でも払うように片手でいなし、勇者が現われた。
「やるではないか、重装歩兵殿。取るに足らぬ雑魚だと侮ったこと、まずは非礼を詫びよう」
勇者は相変わらず、張り付いたような不適な笑みのままだ。
隷属魔法に従っていただけの、既存の『竜の勇者』に対する侮りは、消えている。
しかし、反乱を起こした『竜の勇者』個人の実力に対する侮りは、まったく消えていない。
完全に見下している。
「おお。ファラーマルズくん。惜しい、実に惜しい。少し年齢が上すぎるな」
「全盛期からは程遠い。それでは、惜しい。惜しい」
「聞くところによると、イランに、つまりペルシャに縁があるのだとか」
「ペルシャといえば、我が故郷、テーバイとは縁浅からぬ地だ」
「ときに最大の敵であり、ときに同盟者でもある」
「我らテーバイがスパルタと手を組んだときは、ペルシャが敵だった」
「我らテーバイがスパルタと戦ったときは、ペルシャが同盟者だった」
「あなたがもう少し若かったなら、問答無用で我らの反乱軍に加わってもらったのだが」
ウダイオスが、饒舌に話し始める。
ファラーマルズが隷属魔法を受けていないことには気づいており、ほかの『竜の勇者』とは明らかに異なる待遇であることも知っていた。
つまりそれは、無理やり王国に従わされていない、ということでもある。
隷属魔法を解いてやる。そして、王国に復讐しよう。
反乱軍に誘うための常套句が通用しない相手なのだ。
「フフフ。すまんな。余は第五代イラン王。ペルシャに関する知識も記憶もあるが、曖昧でな」
「同盟の誼みは気にせずともよい。全力でかかってきたまえ」
汝らは、その秘密をご存知であろうか。
ファラーマルズ(を名乗るこの男、魔王たるザッハーク)は、神話的なペルシャ・イランをその出自にもつ。
つまり、叙事詩の登場人物なのだ。
歴史的事実に基づくペルシャの出来事は、伝承を伝えた人々の記憶のなかには残っているものの、伝承の登場人物である彼本人の知識や記憶として残っているわけではないのだ。
それゆえに、歴史的事実も曖昧だが知っている、という状態にある。
だが今は、そのような彼の出自についてはどうでもいいだろう。
勇者ファラーマルズは、どこからか槍を取り出し、構える。
次元魔法で収納していた宝槍だ。
ウダイオスも長槍を構える。
ローマ式のピルム(投擲槍)でもマケドニア式のサリッサ(超長槍)でもなく、近距離戦闘用の取り回しがいい槍だった。
「我こそは、最強のマケドニア兵に次ぐ実力をもつと言われた、テーバイ神聖隊の一員、ウダイオス」
「今ならば、マケドニア軍ですらも蹴散らせるだけの力がある」
盛り上がったはち切れんばかりの筋肉に、巻きつき締め上げる縄紐のように太く脈打つ血管が浮かぶ。
「そなたはテーバイ……ギリシャ地域の生まれだったな! どうだ、ギリシャの英雄にでもなるかね!」
「ヒュドラーを倒したヘーラークレースのように!」
ファラーマルズは、外套を剥ぎ棄て、両肩の蛇を露にした。
「それがあなたの『竜の力』か。我が祖先は、竜牙兵そのもの。倒された竜の牙から生まれた」
「ならばギリシャの英雄ではなく、ギリシャの怪物になってやろう!!」
溜め込まれた力が一気に解放され、爆発のような突進でウダイオスは動き出した。
ギリシャの怪物か。
ふとファラーマルズの脳裏に、在りし日にギリシャ最大の暴竜、テュポーンと会話したことが思い出された。
だが今は、そのような思い出に浸っている場合ではない。
宝槍を両手で持ち、流れるように突進をいなす。
だがウダイオスは、いなされたと同時に槍を地面に突き刺し支点とした。いなされた勢いをそのまま回転力に変換し、すぐさま急旋回する。遠心力による加速を利用し、今度は左手の丸盾による重鈍な一撃を放つ。
避けられぬ。
攻撃角度と相まって、後ろに飛んで威力を相殺することができぬ。
その場で宝槍を使って防御する勇者。
威力を殺しきれず、大きくのけぞりながら片膝を着いた。
だが両肩の蛇が飛び掛かり、隙を利用させない。
右肩の蛇は毒液を、左肩の蛇は瘴気を纏った炎を吐き出しながら、ウダイオスに迫る。
ウダイオスは、回転するために地面に突き刺した槍を手放すと、幅広の剣を抜き放ち、2匹の蛇の首を切り落とした。
その瞬間、すでに次元魔法によってきらめく短剣を取り出していた勇者が、左手に持った短剣を突き立てる。
ウダイオスの脇腹をかすったものの、致命傷には至らない。
勇者は、気づいていた。
ウダイオスの強さに。
この男たしかに、当時世界の最強かそれに次ぐ実力をもった軍隊に籍を置いていたというのは、嘘ではないようだ。
勇者は、竜の転生者として竜の力をもっている。
それは、例えばノーマがもっている「竜そのものと同等の腕力」というような、法外なパワーではない。
「まるで竜が転生したようだ」と形容される程度に留まる力だ。
だとしても、人間には到底抗いきれぬ力だと思っていた。
それを、肉体の鍛錬だけでここまで追いつけるものなのか。
あるいはこの男には、まだ知らぬ何かの秘密があるのか……?
「ファル様!」
戦闘現場の近くに、大司祭が軍団を率いて現れる。
「ええい、ウダイオス! 目をかけてやった恩を忘れおって!」
「覚悟はできておるのだろうな! 貴様にかけた隷属魔法の魔法師を連れて来たぞ!」
「今、投降するならば、まだ起動しないでやる。どうだ?」
ウダイオスの首の後ろに、隷属魔法の印が輝き始める。
「ははは! やってみるがいい、臆病者の破戒司祭」
「やれ!」
ウダイオスが言い終わる前に、容赦なく起動を命令する。
小規模爆発魔法と同程度の爆発が、瞬時に隷属魔法を起点に発生する。
通常であれば、首がちぎれ飛ぶであろう。
しかし。
ウダイオスの首はつながったまま。
それどころか、肉が吹き飛んで頸椎が見えているものの、骨はほぼ無傷。
そして恐ろしいことに、周囲の吹き飛んだ肉は盛り上がり、恐るべき速度で再生していた。
それは、ブッタデウスの再生というよりは、ファラーマルズの再生に近い、生物的な再生だった。
「竜の骨と、竜の再生力」
再生が終わるか否かで、ウダイオスが話し始めた。
「それが、我が本当の『竜の力』だ」
司祭は驚愕のあまり言葉を失う。
辛うじて絞り出した声で、尋ねた。
「竜牙兵は……いったい……?」
「これは我が家に伝わる家系魔術だ」
「我こそは、テーバイ神聖隊の一員にして、テーバイ五始祖が一人、ウーダイオスの直系の子孫」
勇者カドモスが竜を倒し、その竜の牙を撒いたところ、武装した戦士が生えてきた。
これがスパルトイの秘術である。
そしてスパルトイたちは戦闘をはじめ、生き残った5人のスパルトイが街を築き、それがテーバイの原型になったのだ。
その5人のうちの一人が、ウーダイオス。
すなわち、ウダイオスの先祖だった。
「スパルトイの秘術は、竜の牙がなければ使えないからな」
「我が肉体は、竜の骨と竜の再生力を授かった」
「歯もまた、骨。我が歯はみな、竜の歯なのだ」
「すべての歯が『牙』とは言い切れぬが、少なくとも『犬歯』は、『竜の牙』の代用になったぞ」
犬歯が竜の牙の代用品になる。それを折って、家に伝わる術で竜牙兵を増やす。
そして、竜の再生力でまた牙を生やす。
これがウダイオスの竜牙兵の秘密であった。
そして、竜の再生力を利用した「筋肉の超再生」によって、常識を超えた範囲まで筋肉を鍛え上げることができたのだ。
その芯となる骨格は、通常であれば疲労骨折をしてしまうかもしれない。
あるいは単純に、負荷に耐えかねて骨折するかもしれない。
しかし、彼の骨は『竜の骨』なのだ。
人間の筋肉をここまで強靭にしたのもまた、『竜の骨』と『竜の再生力』だった。
そして、それを扱い切るだけの技術と経験。
ウダイオスは、完璧な兵隊だった。
「そうか、女神めに授かった力ではなかったのだな。で、あれば、俄然興味が湧いたぞ」
「そなたを捉え、ぜひともスパルトイの秘術、我が物にしてくれる」
勇者は、ここまで来てもなお、ウダイオスの実力を見くびっていた。
「そううまくいくかな、イラン王」
「竜牙兵、かまわん! 王都の破壊は後回しだ! 全員、この思い上がった蛇を叩きのめせ!」
ウダイオスと勇者の戦闘中も街の破壊に勤しんでいた竜牙兵たちは一斉に停止し、すぐさま勇者に向けて殺到した。
「いくとも。大司祭、邪魔になるから下がっておれ」
「骨でできたゴーレムなど、余の軍の敵ではない」
勇者が両手を両脇にかざすと、切り落とされた両肩の蛇に頭が生えてきた。
それと同時に、先ほど切り落とされた、地面に落ちた蛇の頭がモゾモゾと蠢きだした。
切断面に肉が盛り上がり、再生をはじめる。
胴体と尻尾が発生し、それぞれが1匹の蛇と見まがう姿となった。
変化はまだ収まらない。
ムクムクと肉が胴体に集まり、膨らみ、四肢が生えた。
先ほどまでは切り落とされた蛇の頭だったものが、いまや2匹の蛇人になっている。
体表の鱗が変化し、竜鱗鎧と竜牙剣の武装となった。
この世界、正確には女神ディルが創りしディルマァトという名の世界には、少数だがリザードマンが存在する。
人類種には数えられない、直立二足歩行、または尻尾と後ろ足の三足歩行を獲得した爬虫類と見なされている。
そのリザードマンを知る者であれば、「まるで蛇の頭を持ったリザードマンだ」と感じたであろう。
右肩の、毒を吐きだすほうの頭だった蛇は、同じく毒を吐き、毒が滴る剣を携えている。
左肩の、瘴気を纏う炎を吐きだすほうの頭だった蛇は、同じく炎を吐き、瘴気を纏う剣を携えている。
勇者に殺到した竜牙兵は、たちどころに2人の蛇人によって切り伏せられていく。
「簡単な理屈だ。胴体の側には、栄養がある。だから、切り口から頭が生える」
「ならば、頭のほうにあらかじめ栄養を送っておけばいい。そうすれば、切り口から胴体が生える」
「無論、魔術的な処理も必要になるがな」
「あれらは元々、余の胴体から生えていた、余と意識も知識も同じくする存在」
「余には並ばずとも、足元にも及ばない、という程度の強さではないのだ」
蛇人が討ち漏らした2~3体の竜牙兵を、腕を組んだままその場から動かずに、肩の蛇たちだけで倒しながら、こともなげに勇者は言い放った。
蛇人は簡易ながらも、それぞれが「毒の炎の魔法」と「炎の毒の魔法」を使いながら戦っている。
竜牙兵に持たせた鉄製の武器では、竜鱗鎧にまったく歯が立たない。
一方、頑強な竜の骨で構成されているはずの竜牙兵は、毒の炎で焼け落ち、炎の毒で溶け落ちる。
鉄製の装備も竜牙兵の体も、竜牙剣によってバターのように易々《やすやす》と切り裂かれた。
腕組みを解いた勇者が、両足に力を込めながら悠々と宣言する。
「では、続きといこうか」