第2話 竜の勇者、最初の任務【3/3】または「神敵、ブッタデウス現る」
「お近づきの印に、我が秘密の一端をお聞かせいたしましょう」
「私の本名は、シモン・マグス・“ペテロ”と申します」
「“ペテロ”とは、さる高名な聖人から、その聖性と一緒に買い受けた名前なのです。聖職売買によってね」
聖職売買とは、聖職者の職位や権威を、金銭で取引するという行為のことだ。
魔術師シモン・マグスが、イエス・キリストの使徒であるペテロとヨハネの聖性に憧れ、売ってくれと持ち掛けた。
我々の知る世界では、当然、その提案は退けられる。
その後、聖職売買は魔術師シモンと結び付けられ、シモニアと呼ばれるようになった。
教会では忌み嫌われ、聖職売買に関わると即破門となるほど、大きな罪であるとされた、のだが……。
「私は、売っていただけたのですよ。聖ペテロ様に、“聖”の部分も、“ペテロ”の部分もね」
「今や私が聖ペテロ。彼が成した偉業も、受けた渾名も、権威も、聖性も、すべて私のものです」
『ペテロ』とは、イエスが第一の弟子シモンに与えた渾名のようなものだ。『岩』というような意味である。
イエスは、「この岩の上に、私の教会を建てる」と言って『天国の門の鍵』をペテロに渡した。
“この岩”こそがペテロのことであり、ゆえに我らの知るカトリック教会では、ペテロこそ教会の権威をもった最初の教皇だということになっている。
そんな人物から、聖性のすべてを買い受けたのだとしたら。
「魔術的な取引はなされ、私は聖ペテロとなりました。」
「神の子が彼に与えた、『岩』すなわち『ペテロ』という渾名も、天国の門の鍵も、今や私のものです」
「私こそが、初代ローマ教皇。ゆえにこの世界でも、聖職者たちの長たる教皇の指名権を行使できる、というわけです」
それまで黙って聞いていた勇者が、ここで初めて興味深そうに声を上げた。
「ローマ教皇、ローマ、ローマ……うむ、ルーム(※)のことか。余の支配地域にも含まれておったな」
(※ルーム:中世ペルシャにおけるローマのこと。)
「そなたと余は、どうやら似た世界からこの世界にやってきたようだのう」
「して、何を企んでおる?」
「この世界は、余の支配下におかれる運命。余の世界で不穏な動きは慎んでもらいたいが」
「余にとって良い話であれば、聞いておきたいのう」
勇者が纏う鬼気が、自然とシモン・ペテロを緊張させる。
強者であればこそ、より強い者を知るというもの。
シモン・ペテロが買いつけた大いなる聖性が、勇者の強大な力を感じ取っていた。
「私は教会権力がほしいだけです。そのためには、女神を奉ずる聖光教会の教義が邪魔なのです」
「聖光教会の啓示派が抱える主戦力である『竜の勇者』様には、ぜひとも我らの側へ加担していただきたい」
勇者の心には、なにも響かなかった。
このシモン・ペテロという男、恐らく本心を語ってはいない。
教会権力がほしいだけ、というのは嘘であろう。あるいは、教会権力を使って成したい、何か別の目的があるのだろうか。
だが、だからといって協力しない理由にもならない。
お互いがお互いを利用しあえばいいのだ。
「ふうむ。まぁ、悪くはないのう」
「ルームは……そなたらが言う『ローマ』は、かつての我が国の属国のようなもの」
「そなたが『ローマ』に縁があるのであれば、そなたは我が臣下も同然である」
「臣下の面倒を見てやるというのも、王の務めであろう」
「何を考えておるか、申してみよ」
「これはありがたい。ファル殿の力は先ほどもお見せいただいた通り。十分すぎる頼もしさ」
「我々の力も見ていただいた通り。この世界でも、十分に通用するでしょう」
「我らが教会派閥を超えて手を取り合い、同盟を結ぶのです」
「そしてゆくゆくは聖光教会を打倒し、神家教会へと吸収しましょうぞ」
シモン・ペテロは、大胆な宗教転換計画をぶちまけた。
ブッタデウスは、頷きながら聞いている。
女神という確実に存在する奇跡を放逐し、別の、存在するのかどうかも分からない聖霊と父と子を奉じようというのだ。
これは、恐るべき計画であった。この世界の根底を覆しかねない、価値観へのテロリズムである。
「ふうむ。よかろう、承知した」
「今より、余とそなたら神家派は盟友だ」
隣室で話を聞いていた大司祭は、「よくなぁああああい!!!!」と、今にも飛び出して会談を中止にする勢いで狼狽している。
「ただし余の願いも聞いてもらうぞ」
「そなたらはこれより、神家派ではなく、聖家派と名乗るがよい」
「そして、余の王権を後ろから支える、精神的支柱になるのだ」
「余の宮殿を作ることも忘れずにな」
勇者がかつて王であった頃、政教分離などはしていようはずもなかった。
そればかりか、宗教組織も王の言いなりであった。
勇者は善性の宿った王ではなく、魔王として近隣国家を支配していたのだから、当然である。
会談はまとまった。
大司祭と、そして女神にとって最悪な形で。
次回の会談は、神家派の教会に勇者が出向く形で行われることも決まった。
神家派の重鎮たちは、満足して応接室を後にする。
その直後、怒り心頭の大司祭が怒鳴り込んできた。
「ファラーマルズ様!!!!!! これは!!!! どういうことですか!!!! いけませんぞ!!!!」
さも当然、という顔をして、勇者は答える。
「どうもこうもない。敵対派閥は、これでなくなった。すべて我らの派閥と同じ存在になったのだ」
「成功ではないか。敵は殲滅されたぞ? 余の初任務は、大成功であろう」
どこか自慢げなのが、大司祭の神経を逆なでる。
「彼らは女神様を信奉せぬ邪教ではありませんか!!!!」
「ふうむ、女神なぞ、たいした力もなかったのだがのう。まぁ、何を信仰したいかは人それぞれだが……」
「大司祭よ、そなたはずいぶんと卑小な存在に祈りを捧げるのだのう。不思議なことよ」
大司祭は、もはや言葉もなかった。女神様に啓示をいただくほかない……我を救いたまえ……。
そう思ったとき。
「た、た、大変です! 大司祭様、ファラーマルズ様!!!」
「ほかの『竜の勇者』様たちが、反乱を起こしております!!!」
その刹那、爆発音が響く。
のちほど判明することであるが、ここでは先んじて伝えておこう。『竜の勇者』の一人、ユウマ・アツドウの手引きによって、王都に別の国の軍隊が入り込んだのだった。
もう一人の『竜の勇者』ウダイオスは、術によって竜牙兵を量産し、別の国の軍隊に合流させて大規模な侵攻を開始した。
大司祭の顔は蒼ざめている。
自然と、膝をついて祈りの姿勢になっていた。
女神よ、どうかお助けください。声を聞きとらずとも、そのような心中であることは容易に察しがつく。
「あの程度の支配魔法に従っているようだから甘く見ていたが、ただ従っていたわけではなかった、ということか」
「なかなかやるではないか、小僧ども」
勇者は、どこかうれしそうだ。
「ちょうどいい。余の『竜の勇者』としての次の任務は、これだな」
「逆賊どもから王都を救い出してやろう」
勇者の背中から、竜の翼が生える。
すぐさま、賊軍が暴れている地帯へと飛び立っていった。
「お、おまちくだ……い……! ファル様……」
「ええい、次から次へと」
大司祭は、消え入りそうな声でつぶやく。
しかし、次の瞬間には、もう“冷酷な策士”の顔に変じていた。
そばに控える高位司祭に命令を下す。
「反乱を起こした勇者を担当する、隷属魔法の魔法師を呼べ。それと、反乱を起こしていない『竜の勇者』ノーマと、その隷属魔法師もだ」
「あとは、王国軍の……竜騎隊も召集せよ。司祭権限も教会命令も使ってかまわん。ゆけ!」
高位司祭と、その影に控えていた隠密たちが、風のように応接室を飛び出す。
「まさか、隷属魔法を打ち破る方法を見つけたとでも言うのか?」
「最悪の場合、“聖伐”を発動せねばならぬ。だが、王都でそれをやってしまってはこの国は終わりだ」
「女神様、どうか我らを守りたまえ」
あのファラーマルズと名乗る、恐るべき『竜の勇者』が、いや『竜の魔王』が現われてから、調子が狂いっぱなしだ。
「女神様、なぜあのような恐ろしい男を勇者として寄こしたのですか。此度ばかりは、その真意が読めませぬ」
大司祭は、思わず独り言ちた。
おお、世よ!!
そなたはなんという運命をこの世界に遣わすのか。
もはや我らは、廻る天輪が用意した仕掛けを、ただ見ていることしかできない。
今しばらく、彼らの運命を見届けようではないか。