3.Target Analysis
「艦長、熱像走査一次解析完了しました。データを送りますので確認願います」
椅子に組み込まれたスピーカーが船務長の声を響かせた。
同時に高橋少佐――艦長席のコンソールに、データ受信を示す表示が短くひらめいて、注意喚起を実行する。
輸送船団進路前方域の熱源観測データが、種々の情報処理を施され、映像、数値の羅列からなる戦術データ化されて届けられたのだ。
「解析対象時間長はTプラス五標準時間。熱紋識別精度は確度六八パーセントです」
さっそく、情報をひらいた高橋少佐に向け、報告の言葉がそう続けられた。
「了解」
部下に一言かえして高橋少佐は、戦術ディスプレイに目をこらす。
画面には、船団前方領域の――宇宙空間の熱分布をコントラストを強調し、図式化、資料化された動画が表示されていた。
黒にちかい、全体的にダークトーンの無彩色で満たされた画面。
しかし、均一色で平坦に塗りつぶされているわけでなく、所々に黒から濃灰、淡灰へと、グラデーションした小さな斑が散在している。
形状は不規則不定形なものだが、ひろい意味では同心円状と言えなくもない斑の部分は、辺縁部から内側へ向かって明度が明るさを増していき、その面積がちいさく狭く窄まっていっていることから、まるで山体を描いた地図の等高線表示のようにも見えた。
山頂にあたる中心部分は白い点。
サイズもあるが、そうして、ぽつんと真円に描かれた小さな点が、麓まで――山体すべてを引きずるようにして、じりじり動きつづけている。
画面の上を配置もバラバラな複数の点が、しだいに一つ二つと新規に数を増していきながら、ゆっくり移動しているのだった。
「ふ……ム」
高橋少佐は、そうした変化の一部始終を見つめながら、ちいさな声で呟いた。
Tプラス五標準時間。
〈くろはえ〉が捉えたいちばん最初の重力震――こちらを攻撃すべく遷移してきた敵艦が惹起した重力震を起点とする秒時。
現在もなお継続中の熱像観測行為の五時間分。
それは、異宇宙を経由し、船団の至近へ遷移してきた敵航宙艦群の動きを把握しようと試みつづけた時間である。
航宙船が外部に放出する熱――推進装置から出る噴射炎を赤外線を視る目で捉え、以降、当該空間における熱量変化の推移を追い続けた。
そうすることで、敵艦の動き、ひいては意図するところを掴もうとしていたのだ。
(先鋒は〈シムス〉級駆逐艦が二隻。その後陣に〈クリーブランド〉級軽巡が一……、いや、二隻か。後詰めは……)
戦術ディスプレイを凝視しながら、高橋少佐は心中に呟く。
画面の中で移動をつづける点の一つ一つに、その正体はコレだと自艦の電算機が割り出してみせた敵の艦級名が、脇に付箋をされているのだった。
航宙船が吐き出す噴射炎を観測するだけでも、識別行為は可能であるのだ。
――熱紋。
航宙船がおのれの背後に吐き出す噴射炎には、僅かではあれ、艦に固有のクセがあるからだった。
噴射炎の熱量、温度分布、噴射速度、また拡散率、母船にあたえた推進効果の程度等、主機に個性が――微妙に異なる偏差が存在するのである。
たとえ、同じ設計図にしたがい、同じ造船所で建造されたとしても、完成品たる航宙船には、一隻一隻それぞれに固有のバラつきが必ず生じてしまうのだ。
もちろん、こうしたバラつきは、精密計測機器で測るのででもなければわからない。
数値的には誤差の範囲であるし、性能面、信頼性の点で何か問題が生じるわけでもない。
しかし、そういったクセが事前に(諜報活動や偵察行為でもって)固有のフネの識別情報として収集されており、自艦電算機の記憶装置に艦別一覧表として蓄えてあれば、逆引きのかたちで対象のエンジンを特定、それを搭載している航宙船を割り出すことが可能となる。
いうなれば、熱紋とは、人間の指紋のようなものなのだった。(とは言え、〈くろはえ〉を含むこの輸送船団の場合は、まだ敵艦群との距離が遠すぎ――得られた情報量が不足しているため、分析深度は艦級を割り出す程度にとどまっている)
そうして知り得た情報――敵艦の動き、配置、数量、艦級名等から、想定されうる敵艦隊の全力や意図を読み解くべく、高橋少佐は一人、ひたすら思考をめぐらせていたのである。
(護衛艦隊にも〈巫女士〉が配属されていたなら、もっと楽ができるんでしょうけれどね……)
愚痴と知りつつ、ついついそんな思いが脳裡をよぎる。
〈巫女士〉。
出自を神代の代まで遡れば、窮極、皇家に行き着くとされる旧き家の姫たち。――畏るべき権能を秘めた『魔女』の末裔たちのみで構成された特技兵のことを指す語である。
その異能をもって未来を予知し、託宣し給う超能力者――大倭皇国連邦宇宙軍が兵器として運用している人間超光速レーダーだ。
能力の発現が一定でなく、人数も少ないがため、聯合艦隊、逓察艦隊の所属艦――それも巡洋艦以上のフネに限って実戦配備されている人間センサー。
そんな便利な兵器の恩恵を一部の友軍のみが享受していることに、高橋少佐は羨ましさと妬ましさとをおぼえていたのだった。
空間戦闘において、敵の動きは能動的な探査手段では看破し得ない。
戦場とするには、宇宙はあまりに広すぎる故。
そこで戦うのには、人間の技術が不十分な為。
辛抱強い観測行為と、人間の経験、勘が、敵の動向を知る術である。
何故なら、
一光時――光が一時間かかって辿りつく距離は、約十億八千万キロ。
一光日――一日で到達するのが、およそ二五九億二千万キロである。
重力波もまた光速で伝播する以上、重力震をキャッチし、敵艦の遷移が把握できても、当然、こちらがそれを知った時点で向こうは既に『震源』から離れ、そこにはいなくなっている。
能動的に敵の所在を知る手段――レーダーはじめの能動索敵装置をもちいてみても、敵位置精測がそれで可能となるわけではない。
照射した探査波が標的に当たり、自分の元へと跳ね返ってきた反射波をひろって相手の位置情報をつかむというのがアクティブセンサーの作動原理だが、肝心の探査波に光速波でしかない電磁波、重力波を使用している――それがネックとなるからだ。
仮に敵の探知に成功したところで、それは過去の残像でしかない――そういうことであるからだった。
受動索敵、能動索敵――いずれの探査手段を用いるにしろ、共に光速限界が、敵情把握を著しく困難なものとしているのである。
高橋少佐(そして、似た立場にある指揮官たち)が聯合艦隊、逓察艦隊所属の艦を内心羨む理由であった。
〈巫女士〉たちの助力があれば、リアルタイムで敵の動静を知るのも容易いだろうに、と思うのだ。
(……いけない)
悪念を振り切るように、高橋少佐は頭を振った。
(今は現実逃避なんて贅沢をしている余裕はない。とにかく、自分に出来ることをやらなければ)
自分に向かってそう言い聞かせ、あらためて戦術ディスプレイに目を凝らした。
敵艦隊は、その遊弋箇所を精確に、ここと割り出すことこそ出来ないものの、おそらくは船団からみて数光時の範囲の何処かにいる。
探知手段については、双方ともに大差ない装備の筈だから、向こうも、また、こちらを捜し続けているに違いない。
互いに互いを最後に捉えた場所から、どう移動したか――完全に主機を消火し、針路や速度に修正をくわえる時も、熱発生を最小限に抑えた断熱航行状態で、相手の行動を予測しつづけているのだ。
敵は、接触をはかるべく、こちらが向かったであろう空間へ、
対してこちらは、可能な限りそれを回避するべく息を殺して、
――断熱、能動探査停止状態にフネを保って慣性航行をつづけている。
(そこまでは良い)
と、高橋少佐は、ついと片手を差しのべ、指先でディスプレイ内に映しだされた、或る点の動きをなぞった。
艦の電算機が〈クリーブランド〉級軽巡だと判定を下した点である。
どうにも、その存在が、高橋少佐は引っ掛かってならないのだった。
(この軽巡の前に位置しているのは〈シムス〉級の駆逐艦群。――数からしても、動きからしても、それが船団攻撃の先鋒をつとめることは、まず間違いない。でも……)
高橋少佐は首をひねる。
(でも、そうであるなら、敵はどうして軽巡を二隻も、こんな所に配置をしているの?)
ずっと戦術ディスプレイを見続けてきて、これまで見た事のない――腑に落ちない敵の動きに、胸騒ぎをおぼえていたのだ。
輸送船団に対する攻撃は、ほとんどの場合、船団にむけての爆雷飽和撒布から開始をされる。
輸送船団の前方から大量の爆雷を撃ち込むことで行き足を止め、以降、航宙艦が突撃、護衛艦群を蹴散らした後、算を乱して逃げ惑う輸送船を各個撃破していくという流れにもちこもうとするのが通例なのである。
しかし、今、自分たちが相対している敵の動きは、それから逸脱しているような気がした。
先鋒と目される駆逐艦二隻――爆雷投射艦の背後に続航している二隻の軽巡。その役割がわからないからだ。
自軍のそれと異なり、〈USSR〉の軽巡は、そこまで個艦の戦闘力は高くない。
向こうにとって、軽巡は、艦隊の『目』であり、偵察通報艦として用いられるのが専らだから当然ではある。
麾下に駆逐隊を引き連れ、彗雷戦隊旗艦として、先陣切って敵艦隊に突っ込んでいく聯合艦隊の軽巡とは用途が違う――それだけのこと。
しかし、そうであるなら尚のこと、なぜ、駆逐艦群の背後に軽巡が、それも二隻もいる――いなければならないのかの理由がまったくわからない。
(どちらかのフネが故障している……ワケではないわね。そう考えるには、これまでの主機点火の時期や強度が揃いすぎている。なにか他に理由があるはずだわ)
考えろ考えろ考えろ――と、高橋少佐は、これまでずっとそうしてきたように、考えられ得る可能性、なにか見落としていること、その他、様々に思考をめぐらせ、
そして、ひとつの事に思い至った。
「主計長!」
顔を蒼白にして、そう叫んだ。
「船団旗艦へ通信! 急げ!」
これまでした事のない――ほとんど怒鳴りつける激しさでもって、命令していた。
弾かれたように動く部下を見ながら、くッと唇を噛む。
(あれは……)
全身が粟立つ思いに駆られながら、唐突に閃いた結論に戦慄していた。
(あれは空母だ……!)




