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第一章:優しい悪魔 【6】

私は、とても平凡な女の子だ。


特別可愛くもなく、頭が良いわけでもなく、運動神経がいいわけでもなく、菩薩のように優しいわけでもない、ごく普通の女の子。


それでも両親がいないことは、私の引けめだった。


小学校の頃は、皆に親のいない可哀想な子だとレッテルを貼られて悲しかった。


でも、中学で私立に入った後は、特に特別扱いされることも注目されることなく、ただ地味に生活を送ってきた。


私は、人から好奇な目に晒されるのが、とても怖いのだ。


自意識過剰かもしれないけれど、多くの人に必要以上に視線を送られると、呼吸が苦しくなる。


ずっと大丈夫だったのに。


文化祭の近づく学校の廊下は、楽しそうな笑い声に溢れている。


教室を飛び出した私は、そんな笑い声から逃げるようにひたすら走った。


人気のない中庭まで走りついた私は、噴水の傍にあるベンチにへたり込んだ。


震える体を抱きしめた私は、荒い息を落ち着けようと努めた。


やっと落ち着いてきた頃、近くの茂みが、がさりと揺れたと思うと、背の高い影が、私の前に伸びた。


『あれ、さぼりたいのは、俺だけじゃなかったかあ。』


のんびりとした口調に聞き覚えがなかったので、顔を上げた私は、ちょっと驚いてしまった。


『こんないい天気の日は、外で昼寝に限るよねえ。』


茂みから出てきた小岩井こいわいいくは、長い体をぐんと伸ばすと、私の座っている隣のベンチに横になった。


イケメンで有名な小岩井君の顔は、知っているけれど、同じクラスになったことはなかったので、声を聞いたことがなかった。


マンネリ化したメンバーで苦しむ中等部では、稀な恋愛沙汰の噂を担当する少数派で、いつも色んな噂が飛び交っているから、いったいどんな奴だろうと思っていたけれど、目の前にいる男の子は、わりとのんびりしている。


『見ない顔だね。1年生?』


ベンチの上でうつぶせになった小岩井君は、腕の片肘で頬杖をつきながら、私を見上げた。


下から見上げられることになんとなく居心地悪さを感じた私は、小岩井君から離れた所にわずかに体を動かした。


『3年1組です。』


なんとなく敬語になってしまった。


『ふ〜ん。同じ学年だったんだ。ごめんごめん。ちっちゃいから、後輩かと思った。でも、同じクラスになったことないよね?』


『はい・・うん。』


また敬語になりそうになったので、慌てて言い直した私を小岩井君は、面白そうに眺めた。


『名前は?あ、俺は、小岩井育。育でいいよ。』


『知ってるよ。小岩井君て、有名だもの。』


『ホント?うれしいな。』


口の端をちょっと上げて微笑む小岩井君は、すごく可愛くて、これでは女の子達が、騒ぐのも無理ないなと思った。


『で、君の名前は?』


これで会話を打ち切ってくれると期待したのに小岩井君は、また私の名前を尋ねた。


『矢幡。』


放っておいてほしかったので、なるべくぶっきらぼうに聞こえるように短く答えると、小岩井君は、ちょっと不満げに頬を膨らませた。


『じゃなくて、下の名前。何ちゃん?』


子供をあやす様な言い方が、なぜか私の神経を逆撫でした。


『菫。菫ちゃん!』


やけになって、怒鳴るように言うと、小岩井君は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔のまま黙り込んでしまった。


唇を前に突き出して、目を皿のようにした間抜けな顔をしばらく見ていたら、怒っていたはずなのに堪えきれず吹き出してしまった。


『あは。あはははは。何その顔。ま、間抜け。それに頭に葉っぱ乗っけてるし。』


よく見ると、さっき茂みから出てきたせいか、小岩井君の頭の上には、葉っぱが乗っかっていて、それがますます笑いを誘った。


小岩井君は、きょとんとした顔で腹を抱えて笑い転げる私を見つめていたけれど、その内にやりと笑った。


『泣いたり、怒ったり、笑ったり、忙しい子だね。菫なんて、淑やか名前のくせに落ち着きないなあ。』


『そう言う小岩井君こそ「育」って名前が、お似合いだよ。我慢知らずですくすく育ちました感じが、ぴったり。それに私は、泣いてはいませんよ。』


言い返すと、小岩井君は、ますます愉快そうな顔をした。


『おっと、それは、失敬。でも、最初顔を見た時は、もう少しで泣きそうな顔をしていたよ。』


小岩井君は、冗談のつもりだったのかもしれないけれど、私は、驚いて笑うのを止めた。


急に居た堪れなくなった私は、小岩井君から顔を背けた。


『あれ、もしやビンゴ?』


おどけたような小岩井君の言葉に私は、逃げ出そうと、立ち上がった。


『ちょっと、待ったあ。』


気がつくと、小岩井君の長い腕が、私の手をつかんでいた。


『離して。』


振りほどこうとしたけれど、意外力強く振り払うことができなかった。


『女の子を悲しい顔にさせたままにするのは、性分に合わなくてね。』


『最低。』


私の暴言に小岩井君は、顔色一つ変えない。


『まあ、座りたまえ。菫ちゃんが、どうして悲しい思いをしているのか、お兄さんに話してくれないかい。』


肩をしっかり押さえつけられた私は、小岩井君の隣に座らされた。


『少しでいいから、話してみろよ。すっきりするよ。』


小岩井君は、優しい声で私の頭を撫でた。


同じ年だと分かったのに小さい子扱いされているのを感じたけれど、なぜか心が落ち着いていく気がした。


もうずっと。


祖父が亡くなってから、誰にもこんな風に頭を撫でてもらっていない。


気持ちいいな。


私は、目を閉じて、深く深呼吸した。


『私、大勢の人に見つめられるのが、怖いの。』


『ふむ。』


小岩井君は、いかにもテキトーな相槌を打ったけれど、私は、かまわず続けた。


『誰かに私という人間を観察されたり評価されたりするのが、怖い。人と違うと思われるのが、怖いの。』


『ふむむ。』


『さっきもとても怖かった。今までは、ちっとも気にしていなかったのに、あの子が、現われたら、クラス中が、私を見た。』


『ええと、それは、つまり、注目されるのが、怖いと。』


『自意識過剰だと思うでしょ。だけど、本当に嫌なの。』


『俺なんか、人に見られると思うと、ゾクゾクするけどなあ。人って、性質が違えば、感じ方も違うもんだねえ。』


『馬鹿にしてるでしょう。』


『滅相もない。』


小岩井君は、首をぶんぶんと振った。


その様子が、可笑しくて、私は、くすりと笑った。


『それは、自分に何の引け目も感じていない証拠だよ。』


『菫ちゃんは、引け目があるんだ?』


『まあね。』


肩をすくめて見せた。


『ようは感じ方だよ。菫ちゃんは、もっとプラスに考えるんだな。菫ちゃんて、面白いし、いい子だから、自分が思っているより、周りの人は、菫ちゃんのこと好きだと思うよ。もっとふんぞり返ってて、いいと思う。』


小岩井君の回答は、とても単純で、彼の育ちの良さとか曲がっていない物の考え方を感じた。


モテる男の子は、変であれ誠実であれ、どこか違うということが、分かった。


それができれば苦労ないよと思う反面、少し救われた気がした。


だから、小岩井君と別れた後、探しにきたらしい宗介に出くわした時も私は、逃げ出さずにいられた。





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