独白
自分自身のことを本当に好きと言える人はどれだけいるでしょうか。
私は私のことが嫌いでした。大きな理由などないのです。誰もがゴキブリを見ると大きな声をあげ逃げたり殺したりするように、私にとって私という存在はこの世に存在しているということすら許せないものなのです。
早く消えてしまえればそれが一番だということも重々承知しています。しかし、自ら命を断つということは、それはそれは恐ろしいのです。誰かに頼むことも考えましたが、私のために誰かの手を煩わせる、汚させる、私などのためにと考えるとそれも出来ないのです。毎日、何か私の力ではどうにもならないような大きな力で終わらせてくれはしないかと特段回転の早いわけでもない頭を使って考えています。
私が物思いに耽っていると、よく近くに住むAという子が話しかけてきました。Aはとても綺麗な顔をしていて、それは私みたいな醜い者が側にいるなどとても許されないものでした。なので私はよくAに放っておいてくださいと言いましたが、Aは結局聞き入れてはくれませんでした。
Aは私にずっと閉じ籠っているとそれだけで嫌になると言い、何か運動を一緒にしようと提案してくれました。一緒に体を動かし、少しいいかもしれないと思いましたが私の弱い体はすぐに悲鳴をあげ満足に動けなくなってしまいます。最初はそんなものだと励ましてくれましたが、そんな自分も惨めで仕方なくなり私は逃げ出しました。何か楽しいことややりたいことはないのかと聞かれましたが、私にそんなものがあるはずもなく、ただ死ぬ勇気もないのでだらだらと毎日を浪費しているだけだと言いました。するとAはそれまで私に怒ったことなどなかったのに初めて声を荒げて叱りました。私は驚いて何故そんなに怒っているのかと尋ねました。命の大切さや私はかけがえのない存在だということを感情豊かに話してくれましたが私にはいまいち響くものではありませんでした。ただ私のことをとても大切に考えてくれている人がいるということを実感できたので少しだけ嬉しくなったのを覚えています。
とても単純な私はAが私のことを認めてくれているのであれば、Aが生きている間だけでもAの喜ぶようなことをしようと努力しました。外にも出ましたし色々な人と交流したり、Aと汗を流したり流行りの曲なども歌えるようにまでなりました。
Aは最初こそ私の変化に驚いていましたが、私が少しずつ世の中に溶け込み周りに人がいる時間が増えていったことに、まるで自分が宝くじでも当たったかのような喜びようをしてくれました。しかしそれも長くは続きません。やはり私はどうも外に出て他人の目に曝されることや、誰かに合わせて話をすること、聴きたくもない曲を聴くことに耐えられるほど辛抱強くはないようで、また少しずつ他者との関わりを避けるようになってしまっていきました。
私は自分が情けなく、やはり生きている意味など無いのではないかと思い、謝罪と共にAに打ち明けました。
Aは少し驚いていました。私が自らAに心境を吐露したのが意外だったのでしょう。ですがすぐにこちらこそ申し訳ないと謝ってきました。私に負担をかけてしまった、私の気持ちを推し測ることをしなかったということだったのですが、その言葉を聞き私はまた少し切なくなったのです。
それから私がどんどん鬱ぎこんでいき、以前に増して酷い状態だったというのは想像に難くないと思いますが、それより酷いのはAでした。
私が鬱ぎこんでしまったことへの責任感なのか、私の変化に気づかなかった責任を感じてしまったのか、徐々にAの表情から笑みが消えていきました。
私が堕ちるのを見てAが堕ち、またそれを見て私も少しずつ堕ちていく。二人で底無し沼で沈んでいくようにどこまでも深く深く堕ちていきました。
けれども、今だから言えることですが私はこの二人で共に堕ちていく感覚をどことなく心地よく思っていたのも事実であり、もしかしたらAもそうなのではないかなどと自分に都合のいい考えを持っていました。そして、その考えが私だけのものでありAはただただ苦しんでいたということを私はすぐに知ることになるのでした。
ある日のことでした。私は相も変わらず鬱ぎこみ自堕落な生活を送っていました。毎日ただ時間を浪費するばかりの日々でしたがそれが悪いことだとは思いませんでした。
ある時、そういえばAが最近顔を出さなくなったとふと思った私は、いつもAが私のところに来ているから、たまには私がAの様子を見に来てくれるのではないか、という期待をしているのだと思いAの家に顔を出すことにしました。私にとって外の世界に出るということはとても苦しいことでしたが、それ以上にやはり私はできるだけAに尽くしたかったのだと思います。今思えば、Aが好きで尽くしたかったのではなくて、Aのために尽くしている【私】が私は好きだったのだろうと思います。
それはさておき、Aの家につきましたが人のいる気配がしません。インターホンを鳴らしましたが誰も出ず、外出している雰囲気はないけれど家からも物音一つしませんでした。
一先ず帰ろうとしましたが、なんだか二階辺りから見られてるような気がして振り替えると窓越しに影が見えます。何か不思議な予感めいたものがありました。私はとても落ち着かずAの玄関のドアを開けると鍵がかかっておらずそのまま中に入ることができました。
家の中に入った瞬間に私の予感は確信に変わりました。二階に上がり先ほど視線を感じた部屋のドアに手をかけました。この時ほどただのドアを重く感じたことはありません。私は恐怖と好奇心とが入り交じった感情を押し殺しもう二度と戻れない扉を開きました。
気づかない方がよかったのかもしれません。外に出なければよかったのかもしれません。しかし、それは確かに私の家の方角を向き吊られていました。何度か呼び掛けましたが遂に返事をすることはありませんでした。
私はどうすることもできず、ただそのままにAの家を後にしました。家に帰り誰かに話すわけでもなく、再び沼の底で膝を抱え眠りにおちるのです。
私は深い深い沼の底で思考の波に揉まれて自分の容を見失いつつありました。まぁ元から自分というものがわからずに苦しんでいたので、今更かというところはありましたが。
何故Aは自ら命を絶ったのか、何故私の家の方をわざわざ向いていたのか、一体どんな苦しみがあったのか、何故という答えが出ない問いかけを延々と続けていきました。
ある時私の元にAが死んだという伝えがきました。私はすでに知っていましたから、あぁやっとかと思い、ただ一言そうか、とだけ言いました。それだけであれば何事も変わることない日常を永遠に送っていたのでしょうがそうではありませんでした。Aはどうやら短い置き手紙のようなものを残していたようなのです。
私はそれを読みました。そこで初めてAの死を実感することができたのかもしれません。私は共依存で堕ちていく日々を心地よく思っていましたがAはずっとずっと苦しんでいたこと、私のことを案じていたこと、何故こうなったのかと悩み続けていました。そして手紙の最後は自らのありのままを、もしかしたら最後の最後、その部分だけがAの本心なのかもしれませんが震える言葉で綴られていました。
私は私のことが嫌いです。そこに大きな理由などありません。あなたが自身を嫌いなように、私も私が嫌いなのです。あなたは私と堕ちていく日々を心地よく思っていることでしょう。しかし私には耐えられないのです。堕ちていくことをあなたのせいにしてみましたが、私の心にも少し安らぎがあったのも事実です。私があなたと違うのは私は私の手で自らを終わらせることができるということです。怖くないかと訊ねられれば素直に怖いと答えます。私は誰かに終わりを貰うことを願ったり、何か幸運を願ったりはしません。それが私のけじめです。あなたはきっとこれからもずっと他人に何かを願い、期待し、絶望し生き続けるのでしょう。鬱ぎこんでずっと深い沼の底で膝を抱えうまくいかない事も何もかもに言い訳をつけて自分が嫌いと言いながら自分を守っていくのです。私はそれを否定はしません。そうなったことは恐らく私にも理由はあるのですから。だからせめてもの償いとして私はあなたに自分の思いをさらけ出し、どうするべきかというお手本を見せて逝きたいと思います。
最後に、さっき私は私が嫌いでしたと言いましたが少し訂正します。私はあなたが嫌いでした。せめてあなたが精一杯苦しんで此方に来られることを私は心待ちにしています。
あれからどれだけの月日が経ったかわかりません。
私は私のことが相変わらずこの世で最も嫌いですが、私は今も生きています。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
拙い文章だったかと思います。誤字脱字、感想等あればなんでもお願いします。