5章 第70話
「……な、なにを言っている?」
「分からないなら、そのノートの一番後ろのページを見返してみるといいわ。この日は、きっと貴女にとってチャンス。あの日、あたしに訪れたようなね。さぁ、ミネル。あたし達も、外へ出るとしましょう」
ベジッサの疑問に対して囁くような声で返答したイリビィートは、ミネルと共に階段をゆっくりと下りはじめる。
「ちょ、イリビィート? どんなことが書かれてたの??」
ミネルが首を傾げている中、ベジッサは無言を貫いて足元に投げられた一冊のノートを拾う。何枚もの紙を束ねて作られている、少々分厚いノートをパラパラと素早くめくっていく。時のせいか、所々に古びたシミが確認できる。
「…………」
ベジッサは休むことなくページを次々とめくっていく。その度に、少し不恰好な文字が視界を埋め尽くす。文字を記入したのは、自分自身の記憶にも無いほどに昔の頃。まだ、母親が生きていた時代。
「…………母」
その呟きを発すると同時に最後のページに行き着き、ベジッサの手の動きは止まった。
「たしかにこの願いを叶えるのに、今の状況は良い機会。でも……」
ベジッサは迷った。ノートに書かれている願いを本当に叶えて良いのか。色々と迷う葛藤が、心の中を巡り巡っていく。
「おい、なにしてるんだよ? 早く来いよ。じゃないと、騎士団が来るぞ!?」
慌てて焦っている声が、唐突に空間に響いた。コレにびっくりしたベジッサは、思わず声のした方を見上げる。刹那、焦って階段を駆け上がり戻ってきたであろうミネルが、瞳を支配するように映った。
お互いの瞳は見つめ合う。
ミネルは、「……あっ」っと静かに声を漏らしながら石化した。
そんな一連の流れを階段の死角に隠れるよう見ていたイリビィートの頰は思わず緩み、「ふふっ」と息が漏れる。
「……は、早く石化を解かないと」
ベジッサは強がり、慌てを隠すように真顔でミネルに近づいて行く。手に持つ石が、松明の灯りに反射してキラリと光る。そんな美しい輝きとは真逆な乱雑とした多量の足音が、此方に段々と向かってくる音が空間に響いてきた。王宮騎士団が、住処の灯りに気付き向かってきているのだろう。
「…………石を使っている時間は無い」
石化解く方法は二種類ある。まず一つ目は、石を通して光を浴びさせ方法。実をいうとこの方法は、複数人の石化を同時に解くには適しているが、単体の石化を解くには少々時間が掛かり効率があまり良くない。だから、二つ目の方法を使うことにした。結論からして、二つ目の方法の方が時間短縮になる。
そんなことを考えながらベジッサは、頰を多少に赤らめて唇を尖らせる。
「……ありがとう」
ベジッサは、ゆっくりとミネルの石化した唇に触れた。否や。
「ふわぁっ!? えっ、俺また石化してた!?」
ミネルは思いっきり息を吐き出しながら、周囲を見渡した。と、目前に俯くベジッサが居ることに気付く。ベジッサの位置が記憶と変わっていることから、自分自身が本当に石化していたことを把握した。石化をしている人の時間は停止している。だから目が覚めた時に、他人が瞬間移動しているようにみえる。今そんな現象が、ミネルに起こっている。
そんなミネルに、ベジッサは再び目が合わないように俯きながら言う。
「騎士団が近づいてきてる。急ぐ」
「だな、早く行こうぜ!」
こうして二人は、一緒に階段を急いで駆け下りる。数段階段を降りた時。
「急ぐのも良いけど、暗いから気を付けなさい」
数段下にいるイリビィートが、二人に忠告してきた。暗闇にぼんやりと、イリビィートの白い姿が確認できる。
「お前、待っててくれたのか!」
「当たり前よ。仲間だから……」
ミネルの言葉に、イリビィートは少し恥ずかしそうに言葉を返した。
と。
物凄い音と共に、突然に地が大きく揺れた。
「なな、なんだこの揺れは!?」
ミネルは途端の揺れに慌てふためきながら、壁にしがみつく様によし掛かる。その隣で、ベジッサは暗闇の中で天井を見上げて言う。
「この揺れ方……。もしかして、伝説の!?」
「伝説っ!? なんだそりゃ!?」
ミネルが目を見開きながら、更に力強く壁に手をピタリと密着させる。
「地上に出れば答えは分かる。それと、強い揺れの所為で洞窟が崩れそう。急ぐ」
ベジッサの言う通り、天井からパラパラと小石などが降ってきている。下手をすれば出口に通じる路が岩などで塞がれるかもしれない。もっと下手をすると、岩に潰されてペシャンコになってしまうかもしれない。
「早く地上に出るわよ!」
イリビィートの発言に煽られるように、ミネル達は懸命に洞窟の出口を目指す。
――数分後。無事に地上に出てこれたミネル達は、シュティレドやテップルの皆と再開した。しかし、誰もミネル達の存在に気付いていない。
この状況に悲しみを感じたミネルは、自分自身の存在を惹きつける為に、皆へと声を掛けようとした瞬間。ベジッサが、俯く顔を更に深く俯かせて、力無く地に座り込んだ。
「う、嘘……? 伝説は本当だった」
「おい、どうしたんだよ……?」
そう言いながらミネルは、小さく座り込むベジッサに手を差し伸べる。そして気付く。
「ん……。なんか地面、抉れてる?」
足元をジッと観察して、あたり一面の沢山の花が踏みつけられたように、潰されていることに気付いた。
「この場所は、花畑……」
ベジッサが、手元で朽ち果てている花を一本握りしめて言った。この発言を聴いて、ミネルは周囲を見回す。抉られた土や石に汚れた多量の花が、グチャグチャに引き裂かれるように散らばっている。
地獄のような光景にミネルが唖然と立ち尽くしていると、シュティレドが街の方を指差して言う。
「やっぱりアレ、燃えてるよね?」
不意にこの発言を鼓膜に響かせたベジッサは、細い声で呟く。
「蛇神の伝説の通り……」
この地には、古くから伝わる話がある。蛇神様という、恐ろしい伝説が……。




