5章 第30話
「今回のような特殊な契約書が百二十枚を超えると、身体が灰のように散り散りになるのよ。こんなことも、知らなかったのかしら?」
イリビィートからの返答は……口調と内容ともに、とても凍てついたモノだった。
そんな冷たい声を鼓膜にシッカリ響かせたミネルは、続けて質問を投げかける。
「そ、そういえば……。その契約書、さっきの火事で燃えちゃったりしているんじゃないのか? 大丈夫なのかよ?」
「なんとなく記念に保存しておきたかったけれど、別に大丈夫よ。契約書を他人に見られたくないあまりに、燃やしたり破いたりする者が存在するぐらいだしね。それに……契約は一度交わしたら、どんなことがあろうと永遠に続くのだから。ちなみに……特殊な契約書を使っての契約は、同じ種族同士では結ぶのが不可能ということぐらいは、知っているわよね?」
「そうなのか。おう……も、もちろん知っているぞ」
イリビィートの詳しい説明に、ミネルは静かに頷いて納得をした。そして、嘘をついてしまった。
……てか、特殊な契約ってなんなんだよ!?
ミネルが内心で疑問を抱く中……イリビィートは、老人へと視線を移して口を開く。
「そんなことよりも……。あたしの事を探せと、この目前の二人に依頼をしたのは……貴方なのかしら? アル爺??」
……アル爺。そういえば、少し前にも聞いた名前だな。
ミネルとシュティレドが、二人で同じ事を内心に感じていたら……老人が静かに首を縦に一回振った。
そして、
「そう、依頼したのは私だよ。狐っ子……お前のことが、心配だったんだ」
老人は、優しく微笑しながらイリビィートの瞳をジッと見つめて呟いた。
刹那……イリビィートが、グワッと勢いの良い口調で言葉を返す。
「綺麗事を言わないでほしいわ! 何十年も、この山を守れと縛り付けていたくせに!!」
どんな時も冷静だったイリビィートらしくない、威圧感のある気性の荒さに……ミネルの身体は竦んでしまった。
そんな中……老人は、堂々と地に足を付けイリビィートの瞳を見つめて口を開く。
「そうか……。お前は、そう感じていたのか。苦しめていたとは、申し訳ない」
「別に謝らなくても、良いわよ。それじゃあ、あたしは村に戻るわね……」
イリビィートは口を閉じると、徐々に人類種の姿へと変化をしていく。
人類種に近づいていくほど、イリビィートの身体は萎んでいくように小さくなっている。
そして、皆が見つめる中……白長髪な美しい女性の姿へと変化を遂げた。
白狐の姿へ巨大化したときの勢いで、服が破れてしまったのか……現在のイリビィートは、一糸纏わぬ全裸の姿である。
そんな裸体を曝け出しながら、イリビィートは呟く。
「そういえば……イリビィートって名前は、あたしと契約をした少女の名前なのよ」
それだけ告げると……イリビィートは皆へ背を向けて、頂上の方へとゆっくり歩んでいく。
刹那。
イリビィートを引き止めるように、シュティレドが声を発する。
「ねぇ、上の方は猛吹雪だよね! そんな姿だったら、風邪をひくよ! ほら、僕の上着を貸してあげる」
シュティレドは自身の上着を脱ぎ取ると、イリビィートに近づいて手渡した。
否や。
イリビィートは、穏やかに微笑んで礼を言う。
「……ありがとう」
「いいよ、これくらい」
シュティレドはニッコリと笑みを浮かべた。
そんな時。
「もう、村は燃えて無くなった。だから……イリビィート、お前はもう自由なんだ!」
老人は、背を向けて歩くイリビィートに向けて叫び声を上げた。
この大きな声に反応して、イリビィートは立ち止まり……無言で耳を傾ける。
そんな行動を目前に、老人はさらに声を荒げて言う。
「なぜ……この村を守ろうと、馬鹿みたいにこだわるんだ!? 誰も、村を守れと契約などしていないだろう!! なのになぜ、この村を守ろうとするんだ!!」
「嫌われ者だった聖獣のあたしを……初めて祀ってくれた。いや、仲間として受け入れてくれた村だからよ。まぁ……もうこの通り、人類種とかが混ざっちゃっているけれど」
イリビィートは微笑しながら、老人へと言葉を返した。
この返答を鼓膜に響かせる老人を視界内に収めて、イリビィートは続けて唇を動かす。
「だから、あたしは……村に居たいの」
この発言を耳にしたシュティレドが、不意に口を開いてイリビィートへと問い掛ける。
「ねぇ、君は……一人が好きなの?」
不意な質問にイリビィートは、少々戸惑いを感じながらも答える。
「そうよ。一人は、楽だもの。誰にも迷惑を掛けることがないし、掛けられることもない。それに、気を使わなくて良いじゃない」
この言葉に老人が反応する。
「さっきから、話があやふやとしていないか? もしかして、お前……。自分が嫌われ者だからって、私と距離を置こうとしているのか? 自分と一緒にいると、私に迷惑が掛かると思っているんじゃないのか?」
「…………」
問い掛けにイリビィートは、返答することなく俯いた。
その後、イリビィートは逃げるように再び頂上に向かって脚を動かしはじめる。
と、ミネルがシュティレドの耳元に顔を近づけ小声で言う。
ミネルの呟きを耳に響かせたシュティレドは……一言『了解』とだけ言って、悪戯めいた笑みを浮かべた。
刹那。
シュティレドは、背中から生えた黒鱗翼を大きく羽ばたかせてミネルの右腕を掴む。
その後、急いで老人の左腕にも掴みかかった。
突然のことに老人は、顔を真っ青にして戸惑っている。
そんなことを御構い無しに、シュティレドは翼を勢い良く羽ばたかせて、地から脚を離す。
地面から足底が離れた途端、移動速度が倍に増した。
徐々に加速していく中。段々と上昇していく中。ミネルは自由な左手で……背を向け歩くイリビィートの右手を、襲い掛かるように固く握り締めた。
「えっ!?」
不意な出来事に、イリビィートは戸惑いの声を発する。
瞬間、シュティレドが大きな声で言う。
「ねぇ、爺さん! そういえば、どこに移り住もうと思っているんだい!? 僕が、連れて行ってあげるよ!!」




