春の花
「ワシを助けてくれたら、一生お主に仕えたる」
「はぁ? 何を突然言うてはりますの」
庭で遊んでいたら、大きな岩のところに目が2つ、ついていた。
ハナは、その岩のところにまで転がっていた手毬をササッと己の手の中に取り戻した。
「まぁ聞けや。ワシの不運を」
「はぁ」
ハナは首を傾げたが、『こういうモノの話はちゃんと聞いてやるが良い』と世話になっているまさとし叔父さんの指導を覚えていたので、うん、と一つ頷いて、そそっと傍によってしゃがみ込んだ。
「なんでっしゃろ」
「ワシはこうみえて偉大な岩の精霊なんじゃ」
「はぁ」
「しかし困っとる」
「はぁ」
「性悪女にひっかかってしもうたんじゃ」
「はぁ」
「お主、さっきから『はぁ』しか言うとらんな」
「そう言わはっても、相槌ですもん」
大きな岩がブルリと震えたように見えた。
「まぁ良い。ワシの偉大さに免じて許したるわ」
「はぁ、おおきに」
それで、お話はなんでっしゃろ。
「むかしむかし大昔。ワシは、山の上におった」
「はぁ。それは構わへんのどすけど、長いお話なんやろか。あんまり長くなると、まさとし叔父さんが心配しはる」
「あぁ、あいつか」
「知ってはりますのん?」
「ひょろっちい弱っちい。目の悪い」
「まぁ、悪口ばっかりやなぁ。でもその通りどす。やさしい良いお人どっせ」
「それはええのや」
「はぁ。そうでっか」
***
むかしむかし、大昔。
あるところに大岩があった。
岩はこのあたりの神様で、生きるものすべてに崇め奉られていた。
しかし道理を知らぬ巣立ったばかりの若鳥たちが、岩の上で休んでフンを残した。
岩は驚きプルプル震えたかったができなかったので結局鳥も気づかず去っていった。
そこにキツネの精霊が現れた。
岩はチャンスとばかりに頼み込んだ。
***
「『この汚れを落としてくれれば、我が一生を恩に着る。誠心誠意お前に尽くそう』」
「あれ、なんかさっき聞いた言葉に似てるわぁ」
「聞け、小娘。このワシが迂闊であった。たかがキツネと侮っておった。一体誰がそいつを九尾のキツネと見抜けただろうか。上手い事ばけやがったのだ」
「恩ぎつねに酷い言い草やねぇ。キレイにならはったんやろう?」
「そうとも。ワシは輝きと威厳を取り戻し、約束通りキツネに仕えた。しかしアイツは上手であった。なにより、ワシのように不老不死であったのだ!」
「ふぅんー?」
「小娘、分かっておらんだろう。普通のキツネだったのならな、数年で死んでしまう生き物よ。それを見込んでの誠心誠意のご奉仕であったのを、気が付けばなんと数千年よ!」
「でも約束しはったのに」
それに、普通のキツネさんは、精霊になんてならへんやろうに。
岩の精霊さん、迂闊やわぁ。
「これを断ち切るには新たなる契約を! さぁ名乗るが良いぞ、小娘! ワシが誠心誠意、一生お前を魔の手から守ってやろう!」
「うーん。気が乗らへんわぁ」
***
ハナは、春の日差しに満ちた庭を毬を手にして歩いていく。
気ままに過ごして良いと言われたこの庭だけれど、毬を追いかけて随分と奥まで来てしまった。
だから屋敷の方に戻りゆく。
「そこな、娘。まぁ可愛い幼子やなぁ」
「はぁい」
ハナはすぐ傍の木々の中から呼びかけられた。
見れば、大岩の上に美しい衣を広げて、その上に優美に寝そべるようにもたれかかる美女がいた。
この人も、精霊さんやなぁ。
「私はキツネや。お礼を言いに来たんや」
「お礼? なんかそんな事しましたやろうか」
「可愛い娘やな。あんたが名前を言わへんでいてくれたし、あの岩はあのままでおれる。ありがとうなぁ」
「さっきの、昔話の岩の人のことやろか」
「そうや」
あの岩、キツネさんについて随分文句を言うてはったけど、やっぱり秘密にしておいてあげるべきやろか。
クックック、と美女は笑った。
「あんた気に入ったわ。また遊びにおいで。ウチの人を取らんといてくれて、ありがとうなぁ」
「よぅ分からけど、なんか良い事したんかな」
「お礼に教えてあげるわ。次の分かれ道がきたら、左に進むんやで」
「はぁ。ありがとうなぁ、キツネさん」
「無事に帰りやー」
「はぁい」
***
広い広いお庭。
教えてもらった通りに曲がると、すぐに目印の石を見つけた。
「ハナ!」
驚いてハナを呼ぶ、まさとし叔父さんの声がした。
***
まさとし叔父さんは、ハナのお父さんの弟さん。
不思議なお仕事をしてはる。
ハナが心配だといって、ハナはまさとし叔父さんの家に預けられている。
「ハナ。話しかけたらあかんと、言うたやろう?」
駆け寄ったハナの目線に合わせるためにしゃがみこんで、まさとし叔父さんから注意を受けた。
ハナは小首を傾げた。
「そんなん。まさとし叔父さんが『どんどん話した方が良い』て言わはった」
「えらい弱ったなぁ。誰と間違えているんや」
驚いたまさとし叔父さんは、頭をかいて立ち上がる。
「惑わされたらあかん言うたやろう? ハナが神隠しに会った時、ほんまに大騒ぎやったんや。ハナがここにいるのは2度目を防ぐためやで」
そうやったやろか、とハナは小首を傾げた。
「忘れたんかいな・・・。まぁ、その方がハナには良いんやろか。なぁ、決して間違えたらあかん。話しかけたらあかんのやで」
「はぁい。まさとし叔父さま」
忘れてるみたいや。ハナは阿呆やったんやなぁ。
悲しいなぁ。
気落ちしたハナに気付いて、屋敷に歩き出そうとしていた叔父がギョッとする。
「なんや。急に泣く事があったかいな」
手毬を抱きしめてグズグズ泣き出したハナに、叔父はまたしゃがみ込んだ。
「弱ったなぁ。こんな小さい子の扱い苦手なんや。泣かんといてくれや、ハナ。大丈夫や、まさとし叔父さんは凄腕や。絶対、岩の守り神さんを、ハナの守り神にしてやるから、安心し。な?」
ハナは片手で涙をぬぐいながら目を上げた。
「岩の守り神さん?」
「そうや。もぅ、ハナの御父上から毎日のように催促の文が来るわ。もう2ヶ月も経つから急く気持ちもよぅ分かるけどな」
うまく行かんなあ、と、まさとし叔父さんはぼやいて、振り払うように首を横に振らはった。
「あかんあかん。やりとげなあかんのや。頑張るで、見ときや! 叔父さんは三流ちゃうで!」
ハナはポカンとして立ち上がった叔父を見上げた。
それ、さっき会った、岩の精霊さんのことやろうか?
「岩の精霊さんには、美人のきつねさんがいはるんや。仲を裂いたらあかん。きつねさんが泣かはるよ」
「何ゆってるんや。そんなん聞いたこともない。岩の神さんとキツネは別のところに住んでるもんや」
「違うよ。ずぅーっと一緒に暮らしてはったみたいやで」
「会ったんかいな、ハナ」
ハナはこくりと頷いた。
「何て言ってはったか、教えてみ?」
「岩の精霊さんは、ハナの名前を聞かはったけど、言わへんかった。帰りしな、キツネさんにお礼を言われた。キツネさんは岩の精霊さんの事が好きなんや。岩の精霊さんはなんかもう嫌みたいなこと言ってはったけどなぁ。ハナの名前聞いたら、きつねさんとのご縁が切れるみたいに言うてはった」
「あかん。それ、あかんやつやな」
「あかんやつやの?」
「手ぇ出したらあかんやつや」
ハナはまたこくりと頷いた。
「名前いわへんかったお礼に、きつねさんは帰り道を教えてくれはった」
「そうか」
うん、あかんやつやったな、と叔父さんは何度も頷きながら、ハナの顔を取り出した手拭いで拭い、それから手を差し出した。
手を繋いで、屋敷に帰る道を行く。
「岩の神さん、キツネの嫁さん貰ってはったんやなぁ」
「ものすごい美人やったよ」
「そうか。羨ましいわ」
「また遊びにおいでって言うてもろた」
叔父はピタリと足を止め、ハナをじっと見降ろした。
「だから、もう話したらあかんて言うたやろう?」
「えー」
ハナはやっぱり阿呆やったみたいやなぁ。
まぁ、ええわ。
おわり