女勇者と優雅な一日
白亜の城。神の加護によって豊穣が約束された肥沃な大地の美しい湖畔にその城はあった。山々から流れ込む清涼な風に妖精達が踊り、透き通る湖はまるで穢れを知らない乙女のような柔らかい光に溢れていた。
その城の主は世界を滅ぼそうとした魔王を倒した女の勇者が統治する最も平和で、神聖な国だ。
今日もまた、純白と黄金の玉座に座るうら若き女王は息を呑むほど美しい微笑みと彼女をさりげなく彩る豪華なドレスやアクセサリーを身につけ、謁見者たちの話に耳を傾けていた。
「貴様らが先に攻撃を仕掛けてきたのだろうが! 元々あの土地は我が国が所有する領土。それは過去の文献にも明らかである! 女王陛下、これは侵略行為ですぞ!」
「何を言うか! 貴様らの文献など嘘にまみれた紙くずだ! あの土地には我らの国の人間が住んでいたのだ! 我らは自国民を守るために威嚇しただけというのに貴様らが勝手に攻撃だとわめいているだけではないか! このようなことを女王陛下に申し立てする必要もない! あそこは我が国だ!」
「住んでいた!? 馬鹿を言うな! 魔族討伐のドサクサに紛れ込ませた傭兵の集団であろうが!」
「何という言いがかりか! 女王陛下、これは我が国民を侮辱する行為ですぞ!」
「なにをぅ!?」
「なにさやるべかっ!?」
にらみ合う狸顔と狐顔の二カ国の大使にひび割れそうになる微笑みをなんとか保ち、女王は綺麗な声でいさめる。
「およしなさい。ここは言い争う場所ではありません。お二方の言い分はこちらで公平に審査し、のちに私が判断します。今日はもう下がりなさい」
そういう女王陛下に、二人の大使はまだ憤懣やるかたない表情であったが、礼を失したことを反省して、大人しく謁見の間を後にした。
ひとり謁見の間に残された女王は、しばし無言であったが――。
細い腕を高々に上げて、
「めんどくさいなもう!!!」
王座の肘掛けを粉砕した。
それでも怒りが治まらないのかイライラと爪を囓りながら目を鋭くさせる。
「なんでこうもめ事ばっかりなのよ! これじゃあ、魔族と戦っていた方がダンっっゼンっ、気が楽だったわ。気に入らなければぶっ飛ばせばいいなんてなんて楽なのかしら」
「そ、それは聞き捨てならないなぁ・・・僕たちだって痛いんだよ?」
と、突然、謁見の間に黒い球体が出現し、それはまるで布を広げたように一人の気弱そうな美青年へと変わった。青白くも曇り一つない肌と優雅な貴族の服、どんな画家や彫刻家でも彼の前に立つと描くことを止めてしまう。なぜならそれは既に完成した美だからだ。人知を越えた美青年であった。
「うるさいわね! コレも全部アンタが悪いのよ、魔王!」
「え? 僕が悪いの・・・?」
「そうよそう! ぜんぶアンタが悪いのよ! 国境に魔王軍の砦なんか築くから、アンタ達が撤退した後はもう国境線がぐちゃぐちゃ。しかも、魔鉱石なんて高価な鉱石が見つかったら争いの火種になることぐらい分かるでしょ!? これもアンタの策略!? すごいわよ、ええすごすぎて最近夜も眠れないわ! ストレスでね!」
「夜中、八つ当たりされる僕の身にもなってほしいような・・・」
「口答えするな!」
「ひっ、ご、ごめん・・・で、でも砦の位置は僕たちが作った後に人間達が国境を作ったわけで・・・けっして君を困らせるだなんて考えてないよ・・・?」
「そんなことわかってるわよ!」
また女王は腕を振り下ろし、反対の肘掛けを粉砕した。
「あああっ!? その椅子、せっかく僕が作ったのに・・・」
「うるわさいね。男がグチグチ言うなっ! どうせ毎日毎日、家具やら城の内装やらをいじっていて遊んでいるだけでしょ!?」
「そ、それは酷すぎるよ! 僕だって最近はお得意さんができて、ずいぶんと売れ行きがいいんだ。その椅子なんて特に君の美しさを引き立たせるよう二年もデザインを考えたんだから・・・」
魔王は目を伏せて、悲しそうな顔をした。美形が憂いを帯びると途端にそそるような色香が零れている。
女王は頬を僅かに染めて、グッと息を飲んだ。
そんな女王よりも魔王は椅子が気になるのか、口の中で呪文を唱えた。
たちまち、時間が逆再生したように肘掛けが修復される。
「こ、壊れてもすぐに直せるって言ってもやっぱり君に壊されると悲しいよ・・・」
「ぐっ・・・わ、悪かったわよ」
「う、うん。僕も君に甘えてばかりいたかもしれないからいいよ。僕こそゴメンね?」
「わ、分かってくれたならいいの。それよりもさっきの話聞いていたんでしょ?」
「うん。あの場所は僕が宝飾にハマっていたときに素材になる魔鉱石を作っていたんだ。魔族は魔鉱石なんて珍重しないから放っておいたんだけど・・・。困ったなぁ。いまさら軍を動かすなんてしたら君の名を汚すことになるし・・・」
「宝飾って・・・。まあいいわ。アンタの意見よりも魔王軍の宰相ならどうしてた?」
「爺? 爺だったら・・・そうだね。まずこんな問題起こさないようにしてると思うよ」
「はぁ・・・ほんと、あの宰相を倒すんじゃなかった・・・」
「あと、400年したら休眠から目覚めると思う」
「気休めにもならないわよっ! くそぅ・・・このまま放置すればあの土地はものすごく悲惨なことになるし・・・早く解決しないと・・・たぶん私の権限が続くのはそう長くは保たなさそうだし・・・いっそのこと私の国とあの二カ国に出資させた企業に採掘権を委譲して・・・ああ、一時的には良いかもしれないけどすっごくめんどくさそう・・・」
ブツブツと独り言を言い出した女王を魔王は心配そうに見つめていた。
魔王は躊躇ったが、彼女のためを思って重い口を開いた。
「この問題は人間には解決できないと思う。僕たち魔族なら上の命令には逆らうなんてことはしないけど、人間は欲が深いからね。たとえ、君が苦心して公平な企業を作ったとしてもそのうち色々と問題が出てくると思うな」
「それを言われたらどうにもこうにもならないじゃないの。何とか頑張って考えようとしている私の身にもなってよ」
睨まれた魔王はあたふたとした。彼は致命的に言葉がなりなかった。
「ああっ、ゴメン・・・。でもさ、そういった問題では大変だけど人間の生み出す芸術は素晴らしいと思うよ。うん。魔族は作ることは上手いけど、人間は生み出すのが上手いからね。自由な発想という点では魔族は勝てる気がしないし、君と一緒に人間の国に来て本当に驚くことばっかりなんだ。だから・・・その・・・えーっとなんて言うか・・・ゴメン。上手く言えないや」
「なんでアンタに人間のフォローされなきゃならないのよ・・・。ねぇ、人間が生み出すのが得意なら私にだって頑張れば良い案を生み出せると思う?」
「う、うん。た、たぶん」
「はっきりしないわねー。もういいわよ。あとは大臣達と話すから。アンタは椅子だとか服だとか作るのもいいけどもうちょっと文学とか読んだほうがいいわよ」
シッシと犬を追い払う仕草で女王は魔王を退室させようとする。
そんな酷い仕打ちはいつものことなので魔王はとくにショックを受けていなかったが、それよりも彼女の言葉が気になった。
「文学・・・?」
「そう文学。私のこと心配して言ってくれてる気持ちはわかるけど、ちゃんと言葉で表現できてないの。そこを直したら私のイライラも少しはマシになるかもしれないし」
「う、うん。わかった。勉強してみるね」
何度も口のなかで頷き、何か考え事をしながら魔王は忽然と姿を消す。
それを修復された肘掛けに手を突きながらふっ、と女王は笑った。
「ほんと。政治だとか戦いだとかすぐ逃げる癖にそういったことだけは真剣なんだから・・・。そういった契約だし、そうさせとくのが一番良いかもしれないわね」
そう呟く彼女の顔は聖女王と言われるに相応しいとても優しい笑顔だった。
◆
満天の星空を鏡のように映し出す湖面の城の女王の寝室。
湯殿でその日の疲れを癒やして頬を染めた艶やかな女王は薄い絹の衣だけで寝具の間へと滑り込んだ。
光魔法の蝋燭が灯り、先にベッドに入っていた者の書物を照らしていた。
「あ、お疲れ様」
ベッドの天板に背を預けていたその人物が本を下ろして女王に笑顔を向ける。
彼女はその人物に抱きつき、肩に頬を預けて尋ねた。
「絵本?」
「う、うん。文学勉強しようと思ったんだけど、僕、人間の言葉知らなくて・・・」
「だから絵本なのね。絵本を読む魔王だなんて、きっとアナタぐらいよ」
くすりと女王が笑い、魔王は少し恥ずかしげに視線を落とした。
「で、さ。もしよかったら・・・寝る前に君に読んで貰おうと思って・・・」
恥ずかしがる魔王に女王は悪戯っぽく微笑みかけた。
「どうしようかなー」
わざとらしく勿体つけながら女王は魔王が困る顔を楽しむ。
「やっぱり疲れているかな?」
「絵本を読むことなんて簡単よ。わかった。読んであげるけど、主人公の最後のセリフだけはアナタが考えてね」
彼女の提案に魔王は首を傾げる。
「どうして?」
「それはこれが美女と野獣だからよ。
じゃあ、最初から行くわね」
「あ、う、うん」
その絵本を読んだことがない魔王には彼女が言っていることが分からずに不思議に思いつつ綺麗な声で奏でる彼女の朗読に酔いしれた。
そして――最後のページをめくったとき魔王は彼女が言っている意味を理解する。
魔王は胸が締め付けられるような痛みを感じた。
「・・・・・・僕はこのセリフを守れない・・・君を傷つけてしまうよ・・・」
悲しげな顔をする魔王に女王は太陽のような微笑みで答えた。
「馬鹿ね。そんなことはどうでもいいじゃない。私はアナタが考えて言ってくれた言葉だけで十分。それ以外のことなんて湖の底にでも沈めてしまえばいいのよ」
「わかった・・・彼の最後のセリフは――
『僕と結婚してください』」
そう言った瞬間に、飛び込んでくる女王を胸に抱き留めながら魔王はこの瞬間が永遠に続けばいいとただ願った。
◆
湖畔に立つ白亜の城。
その国は建国500年の歴史ある古い大国。
かの国には魔王を倒したという初代女王に不思議な噂があった。
聖女王、傾国の美女、憲法の母とも讃えられた初代女王は世界中の国々から結婚の申し入れがあったが、すべて断り、生涯独身を貫いた。
その女王の傍らには決して歳をとらない不思議な職人がいたという。
そして、420年間、女王の命日にはいつも必ず供えられる指輪と物語は彼が今もなお生きて彼女の死を悼んでいると噂されていた。
終わり。