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Say goodbye

作者: 碧水

 雪が深々と降っていた。

 わたしが立っている通りに並ぶ家々はどこもあかりが灯っていて眩しかった。そこには、仲良くテーブルを囲む家族や友人とわいわいと騒ぐ人たち、ソファーに並んで座る恋人たちの姿が容易に想像できた。

 分かっている。わたしにも帰らなければならない家がある。それでも、もう少しぶらぶらと歩いていたかった。ただ、コートを着ていてもとても寒い。ホワイトクリスマスなんてくそくらえだと思う。


   

          *

 


 しんとした静けさの中に俺は一人いた。俺の吐く息と服の衣擦れ以外音がなくこの空間だけ時間が止まったようだった。カチッと時計の針が動く音が聞こえた。自分以外のものが動いていることに気づき俺はほっとした。

 香織が出ていって、もう1時間になる。なんであんなこと言ってしまったんだろうと後悔しそうになる。――でも。

 彼女が残していったテーブルの上の豪華な料理に目を向ける。


 

 今年のクリスマスは家で盛大に祝おう。と言ったのは香織だった。香織と付き合って今回で5回目のクリスマスになる。

 料理上手な香織は、張り切ってお祝いのディナーを作ってくれた。クリスマスに相応しいハーブを詰めこんがりと焼かれた七面鳥をはじめに、オリーブオイルとレモン汁塩コショウで味を整えきれいに盛り付けられたタコのカルパッチョ、チーズを効かせたシーザーサラダにホクホクのじゃがいもとベーコンの入った熱々のグラタンそして、俺達の好物のうにとイカの冷製パスタ。デザートにはシュトレーンまで作って持て来てくれた。プロ顔負けの献立だ。

 それらを一生懸命作っている彼女を見ているのは、とても愛おしかったし誰かに自慢したくもあった。それでも、心のなかに潜んだ引っかかりは取れることがなかった。

 ――だから、あんなこと言ってしまったんだと思う。

「もう、終わりにしないか?」

 彼女は一瞬不思議そうな顔をした。そして噛みしめるように「終わり」と呟きながら悲しそうな顔をした。

「それって、別れようってこと?」

 彼女は静かに問うた。

「そうだよ。もう、いい加減うまくいってるふりはやめよう」

 俺も静かに答えた。

 俺はその瞬間、静かに響く俺の声と裏腹に何かがガラガラと五月蝿く崩れ落ちていく音を聞いた――気がした。

「そう。でもなんで今なの? 少し考えさせて」

 そう言い残して彼女はこの部屋を出ていった。

 



なぜ今?香織が言った言葉を呪文のように頭のなかで繰り返す。いつからだろう。違和感を持ち始めたのは。いつからか心のなかに引っかかるものがあった。それは、きっとはじめは気づかないほどの小さな引っかかり。でもそれは、少しずつ確実に心に降り積もって無視できないものになっていった。

 香織が嫌いになったわけではなかった。むしろ好きだった。いや、今でも好きだ。何事にも一生懸命な彼女、料理上手な彼女、頭のいい彼女、強がりだけど泣き虫な彼女。

 今、どこかで泣いていないだろうか。そう思うと、やっぱりなんであんなこと言ってしまったんだろうと、考えてもどうしようもないことを悶々と考えてしまう。

 でもさ、はっきり言って俺達うまくいってなかったよな?

 おたがい些細な事でイライラして。ケンカして。君もわかっているだろう? その違和感をどうやって見て見ぬふりをすればいいの?

 ふとした時に俺はいつも考えていた。俺達はどこへ向かえばいいんだろう、って。別れるべきなんじゃないかって。考えて、考えて結局今その言葉が口を出たんだよ。

 だからお願い。俺の話を聞いてよ。

 もう、昔と同じような気持ちを君に抱けないんだ。

 君はもう一度ここに戻ってきてくれるって俺は信じてる。

 部屋の電気がぼやけて見えた。



          *



 真面目なあいつだから、きっとあの言葉を言うまでに何度もうじうじ考えていたんだろう。でも、わざわざ今日言う必要なくない? ごちそうまで用意して、折角のクリスマスなのに。



 本当は、そんな予感がしてた。いつか別れを切り出されるんじゃないかって。だから今年は彼の部屋で、二人だけの空間で、私の得意な料理を出してパーッと祝おうと思ってた。

 不安を忘れるように、わたしは夢中に料理を作り続けた。もちろん、彼の喜ぶ顔が見たかったのもある。

 でも、そんなことをしてももうわたし達の関係は繕うことができなかったんだね。

 料理している間は会話を忘れていられても、それが終わった瞬間ふたりの間に沈黙が流れる。今までは、沈黙の時間さえも愛おしくて居心地が良かった。でも、今は違う。不安とも焦りともつかない気持ちで胸がいっぱいになる。

 その息苦しい空間から開放してくれたのは彼だった。そして、それは現実の幕開けでもあった。

「もう、終わりにしないか?」

 そう言われたときは何を言われたか分からなかった。でも、それも一瞬のこと。正直、――ああ。ついに来たか。とそう思った。

 ただ、時間が欲しかった。前々からなんとなく感じていた事ではあったけれど、やっぱり実際に言われるとキツいものがあった。頭をガーンと殴られたような衝撃があった。

 まだあの部屋から、現実から逃げていたかったけれど、彼を一人あの部屋に残してきてしまった。優しくて意外に涙脆いあいつは今頃泣いていないだろうか。

 そう思うと、冷えたからだを抱えてあの部屋へ帰るしかなかった。



          *



 彼の待つ家に帰り、扉を開けると「ああ。帰ってきてくれたんだね」と案の定目を赤くした秋大がいた。

 わたしは、うん。とかああ。とか適当な返事をしてテーブルに置きっぱなしにしていた七面鳥とグラタンを温めた。ついでに彼が買ってきてくれたわたし達が付き合った年のワインを開けてグラスに注いだ。葡萄のフルーティーな香りが鼻腔をくすぶる。

「とりあえず、せっかく出し食べましょう」

「話があるんだ。ちゃんと話そう」

「わかってる。それに食べながらでも話はできるでしょう」

 そう言うと彼も「香織が一生懸命作ってくれたしな」と席に座ってくれた。

 とりあえず乾杯してワインを飲んだ。口に含んだ赤ワインは渋みが際立って物悲しかった。サラダを取り分けてフォークでつつく。その間、秋大は無言だった。

 きっとわたしが話し始めるのを待ってる。さっき遮ってしまったから。こういうとき秋大は自分から催促することはない。サラダを黙々と食べていた。

 ワインをクイッと飲み干し一息入れてから、わたしは重い口を開いた。

「……5年。決して短くはなかった。色々あった。辛いことも楽しいことも。それでも、もう決めたんだね」

「うん」

「「別れよう」」

 こんな時に、こんな言葉でハモるなんて。すれ違っていたふたりが皮肉なものね。わたし達は顔を見合わせて笑った。それはもう、大きな声でお腹を抱えて。他の人が見たら、別れ話をしてるなんて思いもしないほど楽しそうに。

 笑ったら心が軽くなったみたいにスッキリした。

 七面鳥を切り分けてお皿に盛る。グラタンも取り皿によそった。はいはい、食べて食べて。と促す。

「おいしいよ」

 秋大はそう言って嬉しそうにわたしの作った料理たちを食べた。それを見ながら、――ああ。秋大とこんな時間を過ごせるのも今日で最後か。と思った。泣くつもりはなかったのに、この時間が愛おしくて哀しくて自然と涙が落ちた。

 秋大は一瞬驚いた顔をして「おいおい泣くなよ〜。グラタンもパスタもおいしいよ。ほら香織も食べて」と今度はわたしに食事を促した。これも、これもと口いっぱいに頬張って、おいしい。おいしい。と言う彼の姿は可笑しかった。

「あたりまえでしょ。私が作ったんだから。でも、秋大のおいしいって言葉が嬉しくて泣いちゃった」

 私はおどけてそう言った。

 そう、わたしは悲しくて泣いてるんじゃない。酔いが回っているから感情の波が激しくなっているだけ。そう自分に言い聞かせて。

「そっか。そうだよ。こんなおいしい料理が作れてかわいい君はすぐ彼氏が見つかるよ」

 彼も軽い冗談で返した。でも、声がかすれてる。

 


 それはとてもとても儚くて大切で幸せな時間だった。

 きっと最後の方は涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっていたことだろう。



          *



「5年……良い事ばかりじゃなかった。たくさん喧嘩もした。でも、香織と過ごせてよかった。幸せだったよ俺」

 別れようって言った俺が虫の良い事を言うようだけど。

「わたしも幸せだったよ。5年、一緒に過ごしたのが秋大でよかった」

 それを聞いた瞬間俺は、ああ。よかったと心の底から思った。

 最後にハグをして、おたがい笑いながら別れた。

 いつの間にか雪はやんでいて、俺は暗闇に溶けていく彼女をただずっと見守っていた。



          *



 あれから3年と半年になる。

 半年前に偶然街であった香織から「もうすぐ結婚するの」と聞かされた。

 そして今日、俺は今付き合っている彼女と結婚式に出席する。香織の友人として。友人としての彼女との中は良好だ。



「何してるの? 早く行かないと遅刻しちゃうよ」

 今日の天気は快晴だ。うだるような暑さに思わず太陽を睨む。その照りつける光のなか、少し汗ばみながら俺は声の方へと一歩踏み出した。

クリスマスなので短編を書きました。

ご精読ありがとうございました。よろしければ感想等々よろしくお願いします。

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