2億3千7百万年待ちぼうけ
夢みたいな事が起こった。憧れの彼女からデートに誘われたのだ。
「駅前にある噴水広場の銅像の前、大きな椿の横辺り、その場所で、明日の午後3時に待ち合わせをしましょう」
彼女はそう言ってから、ほんの少しの間の後で「もしかしたら、少し遅れるかもしれないけれど……」と付け加えてからにこやかに笑った。有頂天になった僕はそれに直ぐにこう応える。
「うん、分かった。いつまでだって待っているよ」
こんな事を書いておいてアレだけど、僕は実を言うと彼女をよく分かっていない。それは彼女の方でも同じかもしれない。よく話しても分かり合えないかもしれない。なんというか、彼女と僕はタイプが根本から違うんだ。でも、それでも彼女と一緒にいたいと思う僕がいて、だからもし分かり合えないのなら、分かり合えないままで一緒にいられる方法を考えれば良いとか、そんな事を僕は思っている。
ちょっと変かもしれないけれど、本当にそう思っているんだ。
約束の場所、駅前にある噴水広場の銅像の前、大きな椿の横辺りに約束の時間の10分前に着くと、僕はそこで彼女の事を待った。どんな服で来るんだろう?とか、どんなことを話すんだろう?とか色々と想像しながら。
ところがだ。約束の時間になっても彼女はやって来なかった。メモを確認。場所も時間も合っている。30分経っても1時間経っても彼女は来なかった。空が綺麗な夕焼け空に、それから赤黒い色へと。3時間。辺りはすっかり暗くなる。まだ、来ない。
彼女は何をやっているんだろう?
僕は思う。
ずっと待ち続けている僕を、憐れみを込めた目で見ている人達が。
だけど僕は待ち続けた。何しろ僕は彼女に待ち続けるって約束したからね。
やがて深夜を回った。人がどんどん少なくなっていく。終電が出て、駅の灯りも消え、誰も周りにいなくなった。それから空が白み始め朝になった。駅に灯りが点いて、始発の電車がやって来て、徐々に人の出入りが増えていく。それでも彼女はやって来ない。
昼を過ぎ、午後になり、3時になった。丸一日待った事になる。それでも僕は帰らなかった。彼女が何を考えているかは分からないけど、そんな彼女のことが好きだから。
分かり合えなくても好きだから。
それからも同じ様に待ち続け、二日が過ぎ三日が過ぎたけど、やっぱり彼女は来なかった。雨の日も風の強い日も、彼女は来ない。やがて一ヶ月が過ぎ少しずつ寒くなり始め、三か月が過ぎて冬になった。時には雪が降ったりとか。彼女は相変わらず来ないけど、それでも僕は待ち続けた。
そんなある日、僕と同じ様に女性と待ち合わせをする男が僕の横に並んだ。彼は僕の横に立ってから1時間程で僕にこう話しかけて来た。
「実は待ち合わせしている女の事をさ、俺、あまりよく分からないんだよ」
僕は「そうかい」とそう返す。それは僕も同じだと思いながら。
「それは向こうもそうなのかもしれないけど、もしかしたら、もう少し話せば分かり合えるかもしれないじゃないか。だから、最後の賭けだと思って、今日、俺はあいつを呼び出したんだよ。まぁ、一方的にメールを送っただけなんだけどさ。来てくれればと思ったけど、やっぱり来てくれないみたいだ。あいつとは、分かり合えないのかな?」
僕はそれを聞いてこう思う。
別に分かり合えなくたって良いのじゃないの?
それから彼は僕にこう問いかけてきた。
「あんたは、ここでまだ待っているのかい? 俺はそろそろ帰るけれど」
僕は応える。
「ああ、僕は待っているよ」
いつまでだって。
「そうかい。凄いんだな。じゃ、悪いんだけど、もし、あいつが来たら、俺はもう帰ったって伝えてくれないか? できれば分かり合いたかったって。次こそは、互いにその相手と分かり合おうって」
「分かった伝えておくよ」
僕がそう返すと、彼は少し寂しそうな表情を浮かべて去って行った。それから30分程が過ぎて女性が来た。この子だろうな、と思ったから彼が帰った事を伝え、「できれば分かり合いたかったそうですよ。それと、次こそは互いの相手と分かり合おうとも」とそう言うと、彼女は目を伏せ「私も同じ気持ちです。その方がきっとずっと良かったはずだし、良いはずですから」とそう応えた。僕はそれには同意できなかったけれど、それは言わずに頷いておいた。
それから2週間程が過ぎて、その時の男が別の女性と歩いているのを見た。そのまた1週間程後で、今度は女の方が別の男性と歩いているのを見た。どちらのカップルもお互いを分かり合っているように思えた。もっとも、気の所為かもしれないけれど。
僕はそれからも彼女を待ち続けた。彼女はまだやって来ない。2年が過ぎた。3年が過ぎた。そんな頃、例の男が赤ん坊を抱いているのを見た。同時に反対方向から、例の女が乳母車に赤ん坊を乗せて歩いて来るのも見た。お互いが視界に入っているように見えたけど、二人とも気付かない振りをしているようだった。
僕はまだまだ彼女を待ち続けた。10年が過ぎた。その間で、大きくなったあの時の男と女の子供達が遊ぶ姿を見るようになった。その子共達は互いに相容れないようだった。嫌い合っているようだ。
「君らのお父さんとお母さんは、その昔、恋人同士だったんだよ。分かり合ってはいないみたいだったけど」
子供達に僕がそう言ってみると、「分かり合っていないんじゃ駄目だよ」と子供達はそう返して来た。
どうして、分かり合っていないと駄目なんだい?
とは思ったけど、僕は何も言わなかった。
それからも彼らは憎み合い、互いを傷つけ合い続けた。それぞれが仲間を見つけ、それは大きなグループになり、そしてやがてはグループ同士で争い、互いを傷つけ合うようにすらなった。
彼女を待ち続けて20年が経った。いつのまに技術が発達したのか、街をロボット達が歩き始めた。そしてあの子共達は、まだ相変わらずに嫌い合っているようで、そのロボット達をも使って喧嘩をし始めた。始めは小規模だったのに、その喧嘩は徐々にそして急速に大きくなっていき、やがては戦争って呼べるほどのものになっていった。僕がいるこの駅前の広場でも銃撃戦が行われるようになり、たくさんの死者が出た。
駅前でずっと彼女を待っている僕には、なんとなくしか分からなかったけど、どうも似たような戦争は世界中で行われているようだった。
「分かり合えない連中とは、殺し合いをするしかない」
って、人間達は戦争を止められないでいるようだった。その辺りで止めておけば良かったと思うのだけど、その頃には誰もそれを望んでなんかいないはずだったと思うのだけど、それでもそれは加速度的な破滅を迎えた。世界中で核戦争が起こったのだ。
僕のいる駅前も跡形もなく吹き飛んで、彼女との待ち合わせの目印がなくなってしまった。
でも、
それでも、僕は彼女を待ち続けるけど。
僕の目の前に、死にかけの人間の一人がやって来て、僕を見るとこう言った。
「ああ、我々は愚かな事をやりました。もしも知能を持つ種が次に誕生したなら、今度こそは皆で分かり合うようにと、どうか伝えてください」
どうして分かり合う必要があるの?とは思ったけど、僕は「分かった。伝えておくよ」とそう応えた。
やがて、彼女を待ち続けて50年が過ぎた辺りで、ロボット達が辺りをうろつき始めた。街のようなものを創っている。人間が生き残っていたのかと思ったのだけど、どうもそれは違ったようで、何処かで生き残っていたロボット達が自律的に仲間を増やし、そうして文明を築き始めたようだった。
つまり、ロボット達が次の新たな種になったのだ。僕はあの人間との約束を思い出した。それでロボットのうちの一人にこう言った。
「皆で分かり合えるようにだって、前の知的生物からの伝言」
別に分かり合えなくたって良いと思いながら。
それを聞くと、ロボットはこう応えた。
「それなら心配に及びません。我々は互いを連携し合い、個でありながら集団であり、集団であり個であるという境界線を曖昧にした境地に達しています。これ以上、皆で分かり合っている種は存在しないでしょう」
「へー」
なんだか分からないけど、凄いもんだと僕は思った。
それからその言葉通りにロボット達はその文明を発達させていった。彼女を待ち続けて1千年。今ではロボット達がありとあらゆる場所を電子信号で結び、まるでこの世界全体が一つの大きな頭脳のようになっているかのようだった。確かにこれなら皆で分かり合っていると言えるかもしれない。
僕はその必要性をあまり感じないけれど。
彼女を待ち続けて1万年。
ロボット達は宇宙へとその触手を伸ばし、太陽系一帯は彼らの領域になっていた。ところが、そんな辺りで思わぬ事態に直面した。地球外知的生命体、まぁ、宇宙人がやって来たのだ。ロボット達はその宇宙人と交渉しようと、つまりは分かり合おうとしたのだけど、彼らは根本から違った存在で、だからどうにもそれはできなかった。それから彼らはやっぱり戦争をし始めた。
彼女を待ち続けて、100万年。互いが互いを潰し合い、遂にはロボット達も宇宙人達も滅び去った。死にかけのロボットのうちの一体が、僕の所にやって来てこう言った。
「ああ、我々は愚かな事をやりました。もしも知能を持つ種が次に誕生してここにやって来たなら、今度こそは例え相手が宇宙人でも分かり合えるような方法を見つけてくれと、どうか伝えてください」
何処かで聞いたようなその台詞。僕は納得できないまま、それでも「分かったよ」とそう応えた。
――彼女を待ち続けて、2億3千7百万年。
彼女はまだやって来ない。だけど、僕はまだ彼女を待っている。もう街も何もかもなくなっちゃったから、デートする場所に困るけれど、例えば海までの道を二人で歩くとか、夜空の星を二人で探すとか、そういうのだって良いじゃないか。
彼女とは分かり合えないかもしれないけれど、それならそれで構わないんだ。だったら、分かり合えなくても一緒にいられる方法を考えるだけだから。
彼女はまだやって来ない。
だけど、僕は待っている。いつまでだって待っている……
最近、自分の中のシュール君がよく騒ぐんです。