『煙』7.手を伸ばせば【日常】
7.手を伸ばせば【日常】
三ヶ月が過ぎた頃。
私は休み時間の殆どを図書室で過ごすことが多くなった。
クラスメイトを避けているわけではないが、やはり、どこか馴染めない。
別段、一人一人がどうというわけではないのだが、集団となったときのあの喧騒。
苦手だ。
だから図書館で授業の予習や復習をするのだが、それも限界になってきた。
前は授業よりも大分先の予習をして、授業中にひどく眠くなった。
授業中に別の教科をするのも憚れるし、一日の予習は次の授業分だけに留めることにしたのだ。
次には図書室の本を読むことにしたのだが、残念ながらここに置いている本は初等部のうちに読んでしまったものばかりだった。
だから私は、魔導書を一冊購入した。
ディル様から習ったのは樹の魔法と魔法・機械だけ。
それ以外の元素魔法は習っていなかったのだ。
昼は本を読み、家に帰ってから実践する。
魔法はそれこそ、星の数ほどあるからしばらくはこれで時間を潰せるだろう。
「…?」
ふと窓の外を見る。
校庭の隅に設けられた花壇。今の季節は何も生えておらず、誰も居ないはずのそこに集団がいた。
目を凝らして様子を伺うと、一人の女子生徒が何人かの女子生徒にからまれているみたいだった。
「(イジメ?…あ、あの子)」
いじめられている方は何度か見たことがある子だ。
園芸部の、人。
クラスは違うが、認識はしている。
丁寧に花に手入れをしている。植物たちの声を聞いても、おおむね感謝されるような人だ。
…何だか放置するのもはばかられるので様子を見に行くことにした。
魔導書とノートを仕舞い込み図書室を出る。
やや早足で行けばほんの数分だ。
外に出ると寒さと共に女の子の声が聞こえる。
興奮した金切り声と、意地悪そうな声。
「…だから、もうバルトくんには近付かないでよ!アンタみたいに暗い人間に近付かれたら彼だって迷惑なんだから。」
「……」
またあの名前か。
絡んでいる女の子グループはよく知っている。
登校初日にクラスメイトから教えて貰った『こわいグループ』だ。
対して絡まれている方は、眼鏡を掛けた三つ編みの少女。
華奢な体型は、いかにも優等生といった感じの子。
いや、実際成績は良い。
学年テストで上位成績者にあったと思う。
積極的なタイプには見えないから、おおかたロメオが声をかけて、多少会話したのを目に付けられただけだろう。
彼女の名前、たしか。
「カミルさん、少し聞きたいことがあるんだけど良いかしら。」
私を除いたその場にいた全員が驚く。
特にカミルは初対面の私に名前を呼ばれたことに驚くが、直ぐにこちらの意図をくみ取ってくれたらしい
「あ…はい。」
「ま、待ちなよ。まだ話が」
何か言おうとするのを無視して私は背を向ける。
カミルさんもその場を早く離れようと私のあとに着いてくる。
とりあえず図書室の前まで連れてきて後ろを振り返った。
一瞬びくりと身体を震わせて、彼女も後ろを振り向く。
誰もいないのを確認して、大きなため息を彼女は吐いた。
「ありがとうございます。助けてくれて。」
「いいの、お礼だから。」
いつも花たちを世話してくれるお礼。
「え?」
彼女はやはり感謝される理由が分かっていないようで、首を傾げる。
「気にしないで。それより、さっきのは?」
「あ……いいえ…」
黙り込んで下を向く。
「ロメオの事ね。彼に何かされたの?」
「されたなんて、そんなことないです!ただ、コスモスの時に花壇を褒めてもらって…あ、ごめんなさい、助けて貰ったのに、怒鳴ってしまって…」
顔が真っ赤になって、また下を向く。
多分、バルトの事が好きなのだろう。
同じクラスになって暫く経つが、やはり私は容姿以外に彼に興味はない。
ザクト様に似ているだけの男。
こうやって何人もの女の子に声を掛けては、さっきみたいな小競り合いというか、騒動を引き起こすのは些か関心は出来ない。
「そうそう、カミルさんに聞きたいことがあったんだ。植物に詳しいと思って…」
私は廊下に置かれたスツールに座って魔導書を開く。
そしてある植物が描かれたページを開いて彼女にみせる。
彼女はとても驚いていた。魔導書を見るのも初めてだろうし、まして同級生がそれを学校に持ってきているのだから。
「これ、何だかわかる?」
「これは、えっと…カモミール、かな。」
「カモミールか。ありがとう。今手に入るかな。」
「花屋に行けば大丈夫だと思う…でも、今年も私植えるつもり……」
魔導書の内容に少し興味をもった様で、私の方を見る。
「父が疲れ気味だから、疲れが取れる魔術でも作ろうと思って。ほら、ここにカモミールエキスを使ったものがあるから。」
本当は、この花がなんなのか知っていた。
それに、土と種さえあれば花屋に行かなくても私は花を手に入れることも出来る。
「…優しいのね、デナードさん。もっと、怖い人かと思っていた。」
「私の名前知っているんだ。」
「学年トップでしょ。それに、バルトくんと一緒のクラスなのに、全然彼と話さない子ってことで女の子達の間では有名だもの。」
私は自分が有名と言うことよりも、バルトがそこまで影響力が大きいと言うことに驚いた。
やはり年上の男性というのは、女の子達の憧れの的でゴシップの元なのだろう。
「騒がしいのはちょっと。一人が好きな訳じゃないけど。」
「私も、そう…」
予鈴が廊下に鳴り響いた。
「午後の授業が始まるね。じゃあ、また。教えてくれてありがとう。」
「こちらそこ、ありがとう。」
彼女はぺこりと頭を下げて教室へと向かっていった。
『で、あるから短いとはいえ長期休暇になる。くれぐれも危ない真似はしないように!』
セメスターが終わり、二週間という短い時間だが休暇が訪れた。
宿題は出るが、多分最初の三日ほどで終わるだろう。
休暇中は、魔法の勉強と、あと情報演算に手を出そうと思っていた。
情報演算、ディル様の領域。
やはり組織から私への伝達は何もないようで、ここに転校してから何も知らされていない。
もちろんDは定期的に連絡をし、任務に就いているようだ。
それに関して私は何も言わない。
一番怖いのは、完全に関係を絶たれること。
養父Dが私と一緒に居る限り、辛うじて繋がりは保てている。それを、壊したくない。
「ショウエンちゃん、なんか貴女を呼んでいるよ。」
荷物をまとめている時に、クラスメイトが私に声をかける。
ほら、こっち、示された方を見れば、彼女がいた。
黒い三つ編みの髪の毛、眼鏡。
あの子、カミルだ。
彼女とはあの一件以来、よく図書室で会うようになった。
話題は専ら、植物の事だったが。
「どうしたの?」
「あ、あの。もし、迷惑じゃなかったら…明日、私の家に遊びに来ませんか。」
「え、…あ、うん。明日は予定がないから、いいよ。」
驚いてしまったが、私はその申し出を受け入れた。
どうせ引き籠もるだけだったのだし。
待ち合わせ場所を決めて、私は自分の席に戻った。
「なんて?」
「うん、家に行くことになった。最近、よく一緒に図書室に行っていたし。」
「カミルさんと?そうなんだ…」
クラスメイトは意外だと言わんばかりの表情をする。
「そうだ、ショウエンちゃん。よかったら春休み中に私のうちに来てよ。みんなも呼ぶから。」
「そうそう、ショウエンがいると宿題も早く終わりそうだし…あ、もちろんその為だけじゃないからね!」
途端にクラスメイトたちは、私も、私も、と名乗りでる。
もしかして、驚いたのはカミルに対してではなく、私が誰かの家に行くとう行動に対してだったからなのかもしれない。
「うん、良いよ。でも宿題だったら自分でちょっと取り組んでみてからの方が効率が良いと思うけど…」
何人かのクラスメイトと日程を調整して、五日後にそのうちの一人の家に集まることになった。
私は鞄に全てを仕舞い込んだのを確認すると、教室を出た。
交通機関を乗り継いで自宅に戻る。
この時間帯ならガレージには何もないはずなのだが、今日は違った。
いつもDが使う黒い車と、赤い大型バイクが留まっている。
見たことないバイクだ。
「(誰だろう。)」
私は鞄から鍵を取り出して扉を開ける。
中からはDの声と、若い男の
「…そうか、彼女は上手く馴染んでいるんだな。」
聞いたことのある、若い男の、あの人の
「ザクト、様…?」
気がつけば私は震える声でその名前を呼んでいた。
リビングへ向かう足が、震える。
「…帰ってきたようです。」
「みたいだな、よ、ショウエン。」
リビングに居たのは、やはり、彼。
紅いワインレッドの髪。
色素の薄い青灰色の目。
愛嬌のある、魅力的な笑顔が私を捉える。
ほんの少し会わなかっただけなのに、彼は以前よりも大人になっていた。
「見違えたよ、ショウエン。髪の毛も伸ばしているんだな。…本当に、一段と可愛くなったな。」
それはあなたの方です、ザクト様。
愛嬌のある顔のなかに、どこか闇をたたえていて。
この一年間、一体、何があったというのですか。
「おいで、ショウエン」
彼は自分の隣のソファの座面を示す。
私は言われるがままに彼の隣に座る。ああ、懐かしい。
「…ただいま。ショウエン。」
彼は私を優しく抱きしめてくれた。
こみ上げてくるものを押さえて、私は彼に身を委ねた。
「もう少ししたら、この街に戻ってくるよ。あと少しだけ掃除が必要だから、それが終わったらだけど。」
「掃除?」
長い抱擁を終えるとローテーブルにはお茶とお菓子が並べられていた。
Dが用意したのだ。
私達は用意されたお茶を飲んで、お菓子を口に運ぶ。
でも極度の緊張と安堵感で味は、よく分からなかった。
彼は私に尋ねる。
学校のこと。
勉強のこと。
友達のこと。
私は包み隠さず全てを話す。
孤立しているとまでは行かないが、一人の時間が多いこと。
でも明日と、五日後には友達の家に行くこと。
そして私は、組織の事を尋ねた。でも、彼は少し困った顔をしたあと、短く答える。
戻ってくる、と。
「それが終われば、また、会うこともでるのでしょうか。」
「…君が望めば、ね。」
少しだけ含みをもたせた答え。
拒否はされていない。でも、望まれても居ない。
そんな意図が読み取れる。
私はそれ以上追及しない。決めるのは彼と、組織だ。
養われ、守られているだけの私に決定権などないのだ。
今日はここに泊まるのだと、彼は言った。
Dの提案で私達はレストランに行くことになった。
中心市街地と、私達の住む住宅地の中間地にある高級レストラン。
Dが護衛に着いていこうとしたのだが、ザクト様が拒否し、私と二人だけになった。
「綺麗な服を着ていこうぜ。ショウエン。」
「…持っていません。」
「なんだって。おいD。お前は何をやっていた。」
「ショウエン様がいらないと仰っていたので。」
上司の追及にDは淡々と応える。
勿論ザクト様も本気で怒っているわけではない。ただ、Dをからかおうとしているだけだ。
「まだ時間も早いから、ショッピングといこうか、ショウエン。」
私は着替える時間を伝えて部屋に戻った。
教科書で重くなった鞄を机に置いて、制服を脱いでハンガーに掛ける。
タンスの中から、そんなに着古していないカットソーとジーンズを取り出す。
一応、ブランド物。
髪の毛も整えて、財布や携帯端末といった必需品をポーチに仕舞い込む。
下に降りるとザクト様が二つヘルメットを持っていて、そのうちの一つを渡して下さった。
フルフェイスのしっかりしたヘルメットだ。
「さあ、行こうか」
バイクに乗るのは初めてだ。
私はハンドルを握るザクト様に腕を伸ばして振り落とされないようにしっかりと抱きしめる。
ドキドキする。
暫く会っていなかったのに、さっきからこうして身体を密着させてばかりだ。
軽く混乱さえしている。
「もうすぐで着くからな!」
彼が叫ぶ。私は声を出さずに腕に力を込めた。
着いたのは中心街のショッピングセンターだ。
駐輪場にバイクを止めて、私は彼に手を引かれるまま一つのブティックに入る。
見慣れたノウエンコーポレーションのロゴが目に入る。
ここは直販店だ。
私も何度かDと来たことはある。
今着ているのだって、そうだ。
「お探しですか?」
「レストランに行くんだ。この子に、似合うのを」
「承知しました。お嬢様、こちらへどうぞ。」
女性店員に連れられて普段は足を踏み入れない、よそ行きの服が置いてあるコーナーに連れてこられる。
赤いワンピース
青いワンピース
白いワンピース
黒いワンピース
ロング、ミニ、タイト、セパレート
色々合わせられて、決まったのは赤と黒のワンピースだ。
試着してみると、悪くない。
「似合うよ、ショウエン。君の髪の毛と目の色によく似合っているよ」
ザクト様もいつの間にか襟シャツにベストという少し畏まったような格好になっている。
まさか、このままレストランに行くのだろうか。
「バイクは部下に引き取らせるから、少し時間をつぶしてからタクシーで行こう。ショウエンの服もDに取りに来させよう。」
私は黙って頷く。
「何か欲しいものはないかい?」
「いいえ。」
「そうか。じゃあ、ちょっと寄りたいところがあるんだ。」
ザクト様は二言三言店員と言葉を交わすと、私の手を取った。
そのまま店を出て、モールを歩く。
すれ違う人が少しだけこちらを見る。
いかにもといった、綺麗なよそ行きの服。
ザクト様はどこか着慣れた雰囲気があるが私はそうではない。
靴も一緒に買って履き替えたのだけど、私には少し歩きにくい。
「さっきアクセサリーショップを見つけたんだ。君に会うアクセサリーでもと思ってね。」
「そんな…私には勿体ないです。」
「いいんだ。僕が君にあげたいんだ。」
そう言って笑顔を浮かべる。
変わらない彼の笑顔。私は顔が熱くなるのを感じた。
「…ありがとうございます。」
「いいってことさ。でも、これで良いのが見つからなかったら悲しいよ。」
会話を交わすうちにアクセサリーショップについた。
イミテーションから本物の鉱石まで、色々と取りそろえたお店だ。
ヘアアクセサリーも多く、そちらは安いためか私と同年代の女の子が多くいた。
幸い知り合いはいないが、学校内で見たことあるような顔もいるような気がした。
居たところでどうということはないのだが。
奥のイヤリングやペンダントがおいてあるコーナーに行く。
青、赤、黄に緑、紫と沢山の色とデザインのバリエーション。
ザクト様はそれをごく短時間で一通り見て、そのうちの一つを買うと店員に伝えた。
赤い宝石のついた小柄なネックレス。
何かの花をモチーフに、周辺をシルバーが装飾する華やかなデザイン。
そして会計を済ませると早速彼は私にそれを付けてくださった。
「似合うよショウエン。…さあ、そろそろ行こうか」
ぼんやりとしているうちにまた手を引かれる。
人混みをかき分けて、ショッピングセンターを出てタクシーを捕まえる。
ザクト様は行き先を告げると、目を瞑った。
私もほんの少し休もうとまぶたをおろした。
「お帰りなさいませ。入浴の準備は整っています。」
「先にショウエンを入れてやってくれ。」
私はその提案を承諾する。
先ほど、ザクト様のすすめで一口ワインを飲んだのだが、途端に体が熱くなった。
初めてだということと、やはり体が疲れていた所為もあるのだろう。
酔いが回って、早く横になりたい気分だった。
折角ザクト様が側にいるのに。彼が、今日は泊まるというのに。
「着替えは持ってきます。ショウエン様。…よく、お似合いですよよ。」
Dが私の頭をなでてくれる。
言葉こそ敬語だが、ここ何年かでこうして頭を撫でられたりすることが少しずつ出てきた。
「…ありがとう。」
私はネックレスを外してDに渡して、バスルームに足を運んだ。
「本当に、大きくなった。」
ショウエンが部屋に行ってから、俺は呟く。
既に風呂には入って、体は心地よい。
食事も、良かった。
酒も悪くなかったからショウエンに進めたのだが、やはり彼女にはまだ早かったようだ。
大きくなったと言ってもまだジュニアハイの生徒か。
…この一年近く、見ないうちに随分と大きくなった。
元々美人の素質は垣間見えていたから予想はしていたが、やはり。
血のように赤い目は、ルビーのように美しく、髪の毛も黒炭のように黒くつややかで。
肌など薄く桃の色を湛えてて、ああ、美味しそうだと思ってしまった。
綺麗な女の子。綺麗なショウエン。
可愛い可愛い女の子。
「ええ、一般社会にも、馴染んでいるようです。」
どうやらそのようだ。
友達も居るという。明日はその子と予定があると言っていたから悪いことをしたのかもしれないな。
「……迷っているんだ。彼女をどうするべきか。」
「かなりの戦力、とディル様は仰っていました。」
「知っている。でも、それを抜かせば彼女は可哀想な女の子だ。それこそ俺達のような組織に対して憎しみを持っても良い立場だ。なのに、こうしてその組織下にいても文句も言わず、ただされるがままだ。」
「幼少期より共に過ごしてきたのです。我々が彼女の全てであるということだと思います。」
Dの言うことも尤もだ。洗脳に近い……いや、殆ど洗脳されているに等しい。
我々から離れられないのも無理はないのかもしれない。
そう、だからこそ、俺は彼女を組織から遠ざけた。
Dについても、任務を減らし一般人としての時間を多くとらせた。
彼女の親として。
しかしそれでも彼女は、組織に対する想いを抱えている。
俺に対しても、好意を持ってくれているのは見て取れる。
それを振り払うのは……俺には難しい。
「D、お前も、もう休め。あとは俺がやっておくよ。」
「分かりました。ではおやすみなさいませ。」
Dが去ってリビングには俺一人だけになる。
俺はグラスに残った酒を舐めながらDから渡された報告書を読んだ。
ショウエンのデータだ。
身体的能力。身長体重。筋肉量。筋肉量が多い。
魔法能力。魔力。習得済み魔法。ディルが教育しただけあって、既にかなりのレベルに達している。
成績。学年トップをずっと維持しているさすがだ。
『手放すのは惜しい人間だ。』
警察当局からの追撃もなく、中央区も落ち着きを取り戻し、再びノウエンタワーへの移動を決定した矢先だ。
ショウエンを一般人に戻そうとした俺に対してアイツはそう言った。
『彼女も分かっている。…どうしても君が納得しないのであれば、待つのも一つだろう。』
彼は俺の考えを否定しない。しかし、彼女が組織を選ぶと確信しているようだった。
俺は、まだ納得していない。
彼女は、手に入れることができる。
手を伸ばせば、手に入る。
ただの、人としての『日常』が。
気が付けばショウエンの部屋の前にいた。
ドアノブを捻り、中に入る。
一歩足に足を踏み入れると、ベッドの上の盛り上がりが揺れた。
起こしてしまったかとも思ったが起き上がる気配はない。
足音を立てぬように近付く。
暗闇の中でも彼女の顔がよく分かる。
白い肌に掛かる髪の毛を払うと整った彼女の顔が除く。
俺はその額に吸い寄せられるように唇を落とした。
待ち合わせ場所まではザクト様がバイクで送って下さった。
既にカミルがいて、彼女はひどく驚いていた。
ヘルメットを取ったザクト様は、あのバルトに似ていたから尚更。
ザクト様が去った後に彼女は驚いた様子で私に問いかける。
「今の人は…?」
「…父の知り合い。私が小さいときからお世話になっているの。」
「似ていたね、バルトくんに。」
「…かもね」
実際にザクト様に会うと、やはり髪の毛の色位しか似ていないのだが、ここは彼女に同意した。
「あなたの家はどこ?」
「ここから歩いて10分位よ。」
そうしてあるいた先にはごくごく一般的な一軒家があった。
ただし庭は彼女らしく花壇や剪定された低木が植えられている。
「いらっしゃい。アデーレのお友だちね!かわいいお嬢さん。」
玄関先で迎えてくれたのは小さな女性。目元がカミルに似ている。
「デナードさん、私のお母さんよ。」
「ショウエン・デナードです。」
「来たって?こんにちは。デナードさんでしたっけ?うちのアデーレがお世話になっています。」
アデーレと同じ黒髪で眼鏡の男性が奥からでてきた。
「お父さんよ。もう、二人とも気が競ってるんだから。デナードさん、部屋に行きましょう」
「お茶の準備ができたら持っていくわね。」
優しい両親。
幸せな家族。
美味しいご飯。
普通の家庭。
こそばゆいけど、眩しくて、大切なもの。
私が失い、決して手に入らないもの。
その日はお喋りをして、お茶をして、少しだけ宿題を進めて、夜ご飯までいただいた。
色々なことを聞かれたが、私はすべて当たり障りの無い回答を述べる。
母が居ないこと、父の仕事の都合で転校してきたということ。
あとは、植物に興味があるということ。
私の身の上には心から同情して、私の成績や学校での話については心から喜び、楽しんで聞いてくれる。
いい人達、なのだろう。
遅くなってしまった。
予めDに遅くなると伝えていたから、近くまで迎えに来ているはずだ。
案の定、私がカミルの家を出ると、Dが門の外に立っていた。
「娘がお世話になりました。これはお土産です。どうぞご賞味ください。」
そういって紙袋をカミルの父親に渡す。
中身は菓子折りだろう。
「あろがとうございます、デナードさん。素敵な娘さんですね。」
「ええ、自慢の子です。」
Dは父親らしく私の頭に手を置く。
私は最後にもう一度お礼を言って、カミルの家を後にした。
「楽しかったですか?」
「……うん。」
「それは良かったですね。」
「…ねえ。昨日、ザクト様と何を話していたの?」
「貴女のことですよ。といっても、今までのことばかりで、それ以外は何も。」
「そう、何も無い、のね。」
四日後、私はクラスメイト達と勉強会を開いた。
場所は、集まったメンバーの中で一番家が大きい子。
この子は郊外に繊維工場を構える紡績会社の専務の娘らしい。
ノウエンコーポの傘下でもある。
肝心の勉強会だが、予想通りというか、やはり私以外は殆ど手に着いていなかった。
私の方は、既に全て終わっていたがそれは黙っておいた。
「そういえばショウエン、この前モールで一緒にいた人だれ?」
「そうだ!あの赤い髪の人!メチャかっこ良かったけど、もしかして彼氏?ショウエンもかわいい服着ていたし!」
やはり見られていたようだ。
その場はあっという間に私への追求の場になってしまった。
やはりそう言った男女の話への興味は、この年齢では強いようだ。
「あの人は、私の父の知り合い。」
「の割りには若くない?」
「…の息子さん。」
本当は上司なのだが、ややこしいので黙っておいた。
「でもさ、そういう関係で二人で出掛けたりするもん?」
「隠してもダメよ!さあ、白状なさい~」
「…昔からの知り合いなの。私の事を妹みたいに可愛がってくれているの。」
淡々とした私の態度に、彼女達は満足しないらしい。
でもその場はそれで治まったので、まあ大丈夫だろう。
「あの人さ、何となくバルトくんに似ているよね。」
「そうだったね。でも、あの人の方が歳が上みたいだけど…」
「似てないよ。似ていても髪の毛だけ。歳は私よりも八つ上。」
「大人のオトコじゃん!…いいな~ショウエン。」
「でも似てないって、はっきり言うね、ショウエン。」
今度は否定した。だって、本当に髪の毛以外あまり似ていない。
「そういえば、次のクラスはどうなるのかな。」
「できればまたバルトくんと一緒が良いな~」
「私はショウエンと一緒が良いな。宿題とか、めっちゃ助かるし。」
きゃいきゃいと雑談は次から次へと沸いてくる。
私はそのまま遮ることなく彼女達の話を半ば聞きながら、宿題の見直しをした。