溺れる者は憎い相手にも助けを求む
「……くそ」
藤村は更衣室で水着に着替えながら忌々しげにため息をつく。
約束通り夏休みに太田川とたっぷり遊ぶことになった藤村は、早速太田川と共に市民プールに行くことに。
太田川が手を抜くだけで藤村は偽りの勝利を手にしたが、
本当に勝利したのは手を抜くだけで自分と夏休みたっぷり遊べる太田川の方なのだろうな、と苛立ちながらロッカーをガンガンと蹴るも、裸足だったために悶絶する。
ああ、どうしてこの自分が太田川の手のひらで踊っているんだ、自分が太田川を手のひらで踊らせていなければならないのにと悔しさを滲ませながら更衣室を出てしばらく待つと、水着姿の太田川が女子更衣室から出てくる。
「きりくんお待たせ、わーおセクシーだね」
「……」
「ねえねえ、水着どう? 似合ってる?」
「お、おう」
藤村の中学校では水泳の授業は夏休み明けに室内の温水プールで行うことになっていたため、今年に入って太田川の水着姿を見るのは藤村にとって初めてだったが、彼は生唾を飲みこんでそう返すことしかできなかった。
発育が良く中学一年生にはとても見えないスタイルでありながら、実年齢に合わせて子供らしさの残るスクール水着。
そのギャップが藤村の男心をくすぐるのだ。
ドキドキしながらも、女性の身体で興奮するのは当たり前だと太田川自身への興奮を否定する。
「それじゃ、今日は頑張って25m泳ごうか!」
「……ちょっと待て、何の話だ、遊びに来たんじゃないのか?」
「え? きりくんの泳ぎの特訓にきたんだけど?」
当然のように藤村が25mを泳げない体で話す太田川に、周りの人間がくすくすと藤村を見て笑う。
周りからすれば仲のいい姉弟なのだろうと忌々しく思いながら、
「お前プールの授業見てなかったのかよ、何俺が泳げないみたいな流れにしてんだよ、去年だって泳いだだろうが」
藤村は必死さを隠そうともせず、周りに泳げない人間だと思われるのが嫌で弁解する。
藤村が去年の水泳の授業で25mを泳ぎ切ったのは事実であったが、
「でも壁蹴って5mくらい進んだ後クロールをやろうとするけどすぐに足がつきそうになってその後必死で犬かきしてのゴールだったよ? 流石にアレはちょっと……」
「……」
藤村が忘れようとしていた去年の真実を淡々と話す太田川に押し黙る。
「きりくん努力家だから、水泳も練習しようと思ってるんでしょ? でも水泳ってなかなかやる機会ないし一人じゃ難しいから彼女の私が気を利かせて連れてきたんだよ」
「アーソウデスカ、アリガトウゴザイマス」
彼氏のことわかってますアピールをする太田川に貼りついた笑顔で感謝をする。
藤村が水泳の練習をしようと思っていたのは事実であったのが、余計彼には苛立たしかった。
「息継ぎこんな感じで、横を見るような感じで、違うよそうじゃないよ、こうだよ」
かくして太田川による水泳教室が始まったのだが、感覚で泳げる太田川のアドバイスは藤村の役には立たなかった。
人に物を教える才能は間違いなく自分の方が上だなと自尊心を満たしながら、太田川のアドバイスを無視して自分なりに練習をする。無視をしなかったところで、太田川の言うとおりに身体を動かすことは藤村にはできなかったが。
「もー、きりくん真面目にやってよ」
何とか15mくらいはクロールのまま泳げるようになったが、プールサイドの太田川は不満顔だ。
「……真面目にやってるよ、クロールだってかなりマシになっただろ」
お前の教え方が悪いんだよ、お前と違ってちょっと練習しただけで思い通りに泳げるわけないだろと言ってやりたい気持ちを堪える藤村ではあったが、藤村が自分の思い通りに泳げないのが不満な太田川は不機嫌そうなオーラを隠さない。
「夏休み明けの水泳の授業で笑われても知らないよ? きりくんのためにやってるんだからさあ」
藤村が悪いと言わんばかりの態度をとる太田川に、藤村はとうとうキレる。
「……何が俺のためだよ、本当は彼氏が泳げないのが恥ずかしいんだろ? 女友達に馬鹿にされたくないんだろ? お前に何がわかるんだよ、特に努力しなくても泳げる奴が、俺の何を知ってるんだよ、なあ!?」
「……! そ、それは……違う、私は」
「けっ、腹の立つ女だ。じゃあな、ついてくんなよ」
図星なのかそうでないのかが自分でもわからないのか、藤村から顔を背ける太田川。
藤村の顔を見ようとしない太田川に恨み辛みを吐き捨てると、藤村はプールからあがり太田川の元を去る。
しばらく藤村が一人で歩いていると、何の特徴もない、それ故に誰も使っていないプールがあったのでそこに入り、一人で自分なりに泳ぎの練習をする。
藤村は元々努力を他人に見られるのが嫌いな人間であった。
努力をする姿は美しいと言うがそれは高みを目指すための努力。
落ちこぼれが人並みになろうと努力するその姿は、美しくもなんともなく、惨めで滑稽で哀れで醜い、だから人に見られたくはないのだと。
泳ぎの練習をしているうちに、段々と藤村の頭も冷めてくる。
冷静な自分としたことか、いつになくカッカとしてしまった。
やはり自分と太田川は相性が悪いのだろうか、もうこれで太田川との関係も終わり、気まずい幼馴染の関係になるのだろうかと計画の失敗を悟る。
「……っ!?」
余計な事を考えながら泳いでいたのがまずかったのか、右脚がビクンと震えて動かなくなる。攣ったのだ。
バランスを崩して水の中に引きずり込まれ、びっくりして水を飲んでしまいいよいよ身体の自由が利かなくなる。
必死で助けを求める藤村であったが、さきほどまでプールの周りには監視の人間すらいなかった。
一人で泳ぐのは危ないと小学校でしっかり習ったはずなのに、どうしてこんな場所で泳ごうとしたのだろうかと自分の愚かさを呪いながら藤村は意識が薄くなっていく。
藤村はこの時、期待をしていた。
太田川が自分を助けにきてくれると。
自分があんな態度をしても、絶対に太田川は自分を見捨てない、見捨てることができないのだと。
今にも自分を探そうとプールを駆け巡り、自分が溺れているのを見て助けようとしているのではないかと。
そんな都合のいい話があるわけない、馬鹿か自分は。ああ、馬鹿だから溺れたのか。
そろそろ藤村の意識が途切れようかという直前、藤村の身体は何かに包まれた。
藤村が意識を取り戻したと同時に、顔にぽたぽたと水滴が落ちているのがわかる。
雨でも降っているのだろうかと目を開けると、
「きりくん、きりくん! ……良かった、生きててよかった……!」
それは雨ではなく、太田川の涙だった。
いつも朝起こしにくる時のような、目を覚ませば太田川の顔という状況ではあったが、
普段と違ってくしゃくしゃで涙目になっている顔に、藤村はドキリとする。
「……よう」
「ごめんね、ごめんねきりくん、私のせいで」
目覚めた藤村が起き上がると、太田川は藤村に抱きつきわんわんと泣きだす。
段々落ち着いてきた藤村の脳は、自分は太田川に助けられたのだと理解する。
太田川に助けられるというのを屈辱に感じる一方で、自分の期待していた通り助けられたことに嬉しさも感じていた。
「……いや、俺が悪かった。……水飲み過ぎて疲れちまった、今日はもう帰ろう。また今度、泳ぎの練習付き合ってくれ」
「うん、うん」
太田川に抱きしめられて水着越しに太田川の身体が密着しているとか、人工呼吸されたのだろうかとか、そんなことは今の藤村にとってはどうでもよかった。
命が助かったとは言えど、溺れたせいかフラフラしているのも確かだった藤村は、立ち上がると更衣室へ向かう。
着替えて太田川と市民プールから出て帰る途中、二人はずっと無言だった。
「それじゃあ。……今日は悪かったな、後、ありがとう」
「うん、うん、ごめんね、私のせいで」
まだ謝り続ける太田川と別れた藤村は、自室に戻りベッドに横たわる。
太田川に怒鳴った時の感情的な自分。助けられてしおらしくなった自分。
自分の知らない自分を曝け出させる太田川に、少し恐怖を抱く。
数日後、改めて太田川と藤村はプールへ行き、泳ぎの特訓を再会する。
相変わらず曖昧な太田川のアドバイスではあったが、実は役に立っているのかもしれない。
だんだんと泳ぎの上達した藤村は、無事にクロールで25mを泳ぎ切る。
「おめでと、きりくん」
「ありがとな、デルタ。これでお前に恥をかかせなくてすむ」
「う、ううん、私は、その」
「わかってるって、冗談だよ。俺のためにありがとな」
「うん。さ、泳ぎも上達したことだし、いっぱい遊ぼう! ウォータースライダー行こう!」
「ああ」
その日は本物の恋人のように、太田川とプールを楽しむ藤村。
太田川と別れた後、自分の今日の行動を思い返しては、
違う、吊り橋効果で太田川に疑似的なときめきを抱いただけだとまたも恋愛感情を否定する。