餌付けをしあう野良猫達の愛
「痛いよ……」
叩かれた頬をさすりながら、太田川は堪えていた涙をわっと出しながら藤村を睨みつける。自分の出した答えを、彼に否定して貰いたくなかったのだ。
「はは、はははっ、ふざけやがって。 留学? 俺の前から消える?」
「うん、それがお互いのために」
「なるわけねえだろうが!」
「ひっ……」
激昂して太田川の髪を掴む藤村。どうしてここまで藤村が怒るのかがわからない彼女は、抵抗することなく藤村を涙目で見つめる。
「俺には、何もないんだよ。あるのは、お前だけだ。いつも俺よりずっと先にいたお前が、俺に惚れてたこと、俺のおかげでお前が努力を手に入れたこと。俺にはそれくらいしかないんだよ。いや、そもそもお前がいなければ、俺は努力すら身に着けることができなかった、お前は俺の全てなんだよ」
「そんなことないよ、きりくんは」
「それにな、もう手遅れなんだよ。俺達は」
「わかってるよ、もう私達は手遅れだって。だから、お互い離れ離れになった方が」
「そういうことを言ってるんじゃねえんだよ!」
太田川を怒鳴りながら、突き飛ばすように太田川を床に倒して馬乗りになる藤村。
「思いあがるなよ、お前はもう手遅れなんだよ、ずっとずっと俺に依存して、浮気されたと勘違いしてビービー泣きだすような女が、俺抜きで生きていけると思ってるのかよ!?」
「でも、それだときりくんが」
「俺もなあ! もう手遅れなんだよ! お前の側で、底知れぬ劣等感に苛まれながら、お前に依存して生きていくしかねえんだ! もう限界だ、お前から距離を置いても、虚無しか残らない」
ボロボロと涙を流しながら、太田川の服を破りはじめる藤村。
「ちょ、ちょっときりくん。何を、駄目だよ、今日は」
「俺の目の前から消えるだって? それで俺が幸せになることがお前の望みだって? 嘘をつくんじゃねえよ、お前が本当に望んでいたことは、こういうことだろうが! 俺を自分に依存させて、一生離れられないようにしたいんだろ?」
「だけど……」
「逃がすもんかよ、例えお前を壊してでも、過ちを犯してでも、絶対に逃がすもんか」
「……私も、きりくんを、離したくないよ。でも、これでいいの……? そんなことしなくても……んっ」
藤村に自分が求められていることに安堵するも、これから藤村が何をしようとしているかを理解して、嗜めようとする。そんな太田川の唇を、藤村は強引に奪って黙らせた。
「……ぷはぁ。二人の気持ちなんて、俺は信用できないんだよ。形にしたもので、お前を縛り付けないと、駄目なんだ。なあ、馬鹿な男だろう? でもな、お前も馬鹿な女だよ、それは自分がよくわかってるだろう?」
「……うん、ごめんね。馬鹿な女で」
抵抗を諦め、藤村に全てを委ねて抱きしめる太田川。その目にはもう涙は無かった。
「……」
一年と半年後。藤村は実家にある自分の部屋のベッドで目を覚ます。
「おはよう」
「おはよう桐流。今日デートでしょ? 時間は大丈夫なの?」
「どうせ向こうが迎えに来るし」
リビングで両親と食事を採りながら、その時を静かに待つ藤村。
「……ちゃんと責任は取るんだろうな」
「当たり前だろ父さん。大学卒業したらちゃんと働くし、養っていくよ。だからもう少しだけ、モラトリアムをくれ」
「その言葉は向こうの親に言うんだな」
「……」
ため息をつく父親から目を背けていると、家のチャイムが鳴る。
「じゃ、行ってきます」
両親に挨拶を告げてドアを開くとそこには、
「おはようきりくん! 子供の成長は早いよね、すぐに新しい服買わないと」
「まーま、ぱーぱ」
太田川……いや、もう姓が藤村となった彼女と、その愛の結晶がいた。
「そう言えば、あの猫も気づいたら近所の猫と盛って子供作ってやがった、アホだな」
「そうだね、アホだね」
「全くだよ……なあデルタ。これで、よかったのかな」
「今更どうしたのさきりくん」
ショッピングモールに向かう途中、ベビーカーを押しながらアンニュイな表情で空を眺める藤村。あの日太田川は孕み、高校在学中に子供を産んだ際に籍を入れ、子供を育てるために二人とも実家から通える大学に進学し、普段は太田川の両親に子育てを任せているという状況だった。
「馬鹿だったな、あの時の俺。どうして止めてくれなかったんだよ。お前は高校三年ほとんど休んで卒業できるか危うかったし、俺はクラスメイトにドン引きされながら過ごす羽目になったしよ」
「あはは……何でかな、きりくんの言うとおり、こうすることできりくんをずっと縛り付けていたかったのかも」
「可哀想にな、こいつも。そんなエゴに利用されて」
「とか言って、きりくん子煩悩だから滅茶苦茶可愛がるんでしょー?」
「きゃっきゃ」
優しげに子供の頭を撫でながらも、ため息をつく藤村。
「俺はともかく、周囲から将来を期待されてた天才少女様が、こんな田舎の大学だなんてな。世界的損失だよ」
「何言ってんのさきりくん。いい大学に入る事が人生のゴールじゃないでしょ?」
「でもなあ……」
「それに私『達』なら、何だってできるよ。そうでしょ?」
「……そうかもな」
私が押す、と藤村からベビーカーをひったくり、鼻歌を歌いながらいつのまにか寝ていた子供を安らかに見つめる太田川。
「……ねえ、私は今幸せだよ。大好きだったきりくんの子供も産めて、結婚もできて、女としては人生のゴールかもね。私にとっては、きりくんと一緒にいることが全て。留学でやりたいことだって、勿論嘘だよ。私がいなくなればきりくんが幸せになれるはずだって、本気で思ってた」
「……」
「きりくんは、今幸せ?」
「俺は――」
太田川がそう問いかけると、藤村は空を見上げる。自分は果たして後悔しているのか、幸せを感じているのか。まだ大学生になったばかりの藤村には、その答えを出すことができなかった。
「幸せじゃなくても、私が幸せにするけどね」
「馬鹿かよ、そりゃ男の俺が言う台詞だろーがよ」
「んふふ」
「……ははっ」
お互いに笑いあうと、二人でベビーカーを持って押して行く。
愚かな、けれど愛に生きた野良猫達に幸あらんことを。




